目 次(3)

ホームにもどる

クリスマス、その後

華やかにクリスマスを祝うよりも、クリスマスを通して自分は何を得たかということを重んじたいものである。主イエス・キリストのご誕生という出来事を目のあたり目撃した、あのベツレヘムの羊飼いたちは、あの時を境にして大きな変化をそれぞれの生活の中で経験したことが聖書の中に記されている。(どうかルカ福音書2章8-20節をゆっくりとお読み下さい。)

「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ2:20)

この人たちはすでに神を知り、信じてはいた。しかし主イエスのご誕生の出来事に出会ってからは、もっと現実に神の臨在を身近に覚え、「神はすばらしいお方」と賛美する生き方へと変えられていった。それは聞いたことを実際に身をもって確かめてみて、「本当にその通り」と納得したからであった。

私共は聖書の文字を目で読み、知識として学んでいるが、果たして日々の生活の中で自分に語られている神のお言葉を、神の語りかけとして読んでいるだろうか。告げられたことをそのまま受け取っているかどうか、大いに反省したい。

「神の痛みの神学」で知られている北森嘉蔵先生は、青年時代に生まれて初めて新約聖書を手に入れたとき、真剣に読み、一節一節に非常な感動を覚え、赤鉛筆でしるしを入れておられたが、全部読み終ったとき、すべての頁が真っ赤になっていたと半生の記に書いておられる。

明治に生きた石井十次先生は、自分に与えられたみ言葉には血判をおして、日付けを記し「今日より実行」と記されたその聖書が今も保存されているという。

アンゲルス・シレジウス(Angelus Silesius) がクリスマスのために詠んだ詩を紹介しよう。

  Tho Christ a thousand times   キリストが千回

    In Bethlehem be born,    ベツレヘムにお生まれになっても

  If He’s not born in thee    あなたの心に生まれならないなら 

    Thy soul is still forlorn.  あなたは永遠に惨めなままでいるでしょう。

恵みと喜びに満ちたクリスマス、メリー・クリスマスを祈ります。

前の記事 ホーム 次の記事

[編集] [追加] [削除] [復元]