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祈りの人ネヘミヤ

ネヘミヤという人は、バビロン捕囚の後、久しくたってから廃墟に化したエルサレムに帰還し(445BC)、かずかずの困難を乗り越えて、城壁の修復を成し遂げた人である。ネヘミヤ記はその記録であるが、この書を通読してまず感動を受けるのは、ネヘミヤが祈りの人であったということである。

彼は何の奇跡も行わず、何の幻も見ず、天からの特別な任命も受けなかった。彼は神が自分を派遣したとも言わなかったし、他人にそれを言うようにも頼まなかった。

しかし、彼はどんなことにも祈りをした。悪い音信についても祈り、破壊された都のためにも祈り、神の民の受けている恥辱のために祈り、落胆している人々のために祈った。

その祈りの応答として何か不思議なことが起きたのでもなかった。天使の来訪もなかった。神は何のしるしも与えられなかった。昔、エリヤが祈ったときはいろいろなことが起きた。しかし、ネヘミヤの場合には別に何事も起こらなかった。

では、神はネヘミヤの祈りにどのように答えられたか。彼の中にすばらしいことが起きたのである。感情は祈祷に変わり、祈祷は確信となった。更に確信は目的を明らかにし、目的は精力に方向と具体性を与え、働きに活力をもたらし、遂に城壁は完成した。

「わたしの神よ、わたしを御心に留め、お恵みください。」(ネヘミヤ13:31、5:19, 13:22)

ことごとに神を唯一の相談相手とし、神とのみ取引し、神にのみ訴えて、偉業を成し遂げたネヘミヤに私どもも学ぶべきではないか。

PT.フォーサイスは私どもに次のように祈ることを勧めている。「『わたしは祈ることができない。祈る気持ちになれない』などと言ってはならない。祈る気持ちになるまで祈るとよい。….もし、祈るのが嫌に思えるときは、あなたはいっそう祈るがよい。….あなたの寝室に入り、ドアを閉め、そして口にして祈る習慣を養うがよい。祈りを書き留めて祈り、そのあとに火を燃やせ。あなたの魂の求めを簡明に述べよ。ことばの形式に気を止めず、ただ霊的実在である神にのみ注意を払え。聖書を読み、祈りの姿勢に入り、聖句を書きとめ、あるいは口にして祈れ。」(『祈りの精神』より)  

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