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神の御顔

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ福音書1:14)
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ福音書1:18)

神にそむき、罪に罪を重ね、とことんまで堕落しても、神のかたちに創造された人間は、神なしには生きていけない存在である。宗教の存在はこのことを何よりよく証明している。ところが神についての説明(有神論)だけでは人間の心情は決して満足できない。

また、神を限られた物質でもって目に見える形に表現しても(偶像崇拝)それで霊なる活ける神に触れることはできない。それは言わば被造物の被造物であり、神の代用品にすぎないからである。この悲惨な人間に自らを啓示し、御自らとの関係を回復し、神のかたちを修復するため(救い)、神は御子イエス・キリストをこの世に派遣された。ここにクリスマスの出来事がある。

ある少女が寝るために二階のベッドルームにやられた。家族はまだゲストと楽しそうに語り合っていた。少女は母に、ひとりではさびしく、こわいとだだをこね始めた。とうとう母も二階に上がってきてやさしくなだめて言った。

「こわがってはいけませんよ。サンデースクールで先生が話していたでしょう。
『神様があなたと一緒にいてくださるのですから』って。」
少女は言った。「でもお母さん。だれか顔のある人にいてもらいたいの」。

すべての人が切望してやまない、「顔のある」愛の神、肉体をもって私たちのところまで身を低くして来てくださった神、このお方こそ主イエス・キリストでありたもう。

主の弟子の一人、フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言った時、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネ14:8,9)

私たちが「神様」と言うとき、主イエス・キリストの御顔を連想しよう。このお方こそ「インムヌエル」、われらと共にいます神であられる。

メリークリスマス!!

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