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ヨブ記―解決なき解決

旧約聖書の真ん中に置かれている、詩歌書の最初はヨブ記である。この書ほど教会の外において広く愛読されたものはないといわれている。なぜかというと、この書が人間として最も一般的な問題である苦難を、主題としているからである。

ヨブという人物は、「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。」そして模範的な家庭生活を営んでいた。この時、天上では、神とサタンとの間に一つの賭けが行われた。サタンは義人ヨブの信仰をごりやく利益信仰と見て、「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか」と言い、ヨブをテストするため苦難を与えることを神に求める。苦難に遭えばヨブは必ずこんなはずではなかったと神に文句を言い、神を呪うに違いない。そしてご利益信仰が暴露されるというねらいであった。

この賭けは実行に移され、ヨブは一切の財産を失い、息子、娘を失い、一日のうちに無一物になったとき、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ1:21)と実に突き抜けた信仰を表明する。

ところがサタンはこの賭けに敗北しながらも、それに屈しないで更に追い討ちをかけて来る。ヨブの骨と肉、つまりヨブ自身を打つことを神に求め、条件付で許可される。

全身にひどい皮膚病を病み、灰の中に座って苦しむヨブを慰めようと訪ねてきた、エリファズ、ビルダド、ツォファル、そして後からはエリフと、長々と論争する。

ヨブの悩みは、苦難の背後にある天上の賭けを知らなかったとことにあった。もしそれは分かっていたら、早晩、雲散霧消したのである。

「なぜ、義人は苦しむのか」この問いには答えられないまま、ヨブは最後に神の御前に立たしめられる。これこそが苦難に対する解決ならざる解決、いや解決中の解決。つまり、分からないまま神のみこころの最善を信じて、神に一切を任せるところに真の解決があったのである。

「忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。」(ヤコブ5:11)

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