目 次(2)

ホームにもどる

ただわたしの霊によって

「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわたしの霊によって、と万軍の主は言われる。大いなる山よ、お前は何者か、ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば、見事、見事と叫びがあがる。」(ゼカリヤ4:6)

ねずみどもが委員会を開いて、どうすればあの猫の危険から身を保護することができるかを、知恵を絞って語り合った。一匹のねずみはこれこそ名案だと言って、猫の首に鈴をつけることを提案。一同賛成したまではよかったが、ではだれがその冒険を敢行するかという大事な点にきたとき、ストップしてしまった。

「ああすればよい」「いや、こうすればよい」とアイデアを出すことはよいことだが、よいアイデアが実現するために、何か大事なものを見失ってはいないか。

私どもはとかく自分を見て、無力だから、無知だから、未経験だから、貧しいからできない。もっと力があり、才能があり、団結力があれば、と考えやすいが、上に掲げたみことばはそれらに「NO!」を語る。そして「武力によらず、権力によらず、ただわたしの霊によって」と。

ここに登場するゼルバベルというのは、イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還後、総督として精力的に活動した人徳のある人物で、特に荒廃したエルサレムで神殿を再建するに当たって、大祭司ヨシュアとともに尽力した事が記録されている(ハガイ書2章参照)

「お前たち、残った者のうち誰が、昔の栄光のときのこの神殿を見たか。今、お前たちが見ている様は何か。目に映るのは無に等しいものではないか。今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せ、と主は言われる。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいると万軍の主は言われる。」(ハガイ書2:3,4)

工事は実に難航した。しかし巨大な基礎が敷設され、「見事、見事」と歓声があがった。

総督をはじめ大祭司、民全体に勇気を与え、終始彼らを導き助けたのは神の霊であった。今年もペンテコステの意義ある日を迎えるに当たって、私どもも虚心坦懐、心謙虚に、今、教会がそして私どもが何より必要としているものに心を向けるべきではないか。

「必要なことはただ一つだけ」(ルカ福音書10:42)

前の記事 ホーム 次の記事

[編集] [追加] [削除] [復元]