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新しい出発点〜ヨブ記通観(3)

ヨブ記38章の初めに、「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった」とあるように、突然、神が登場される。神は今まで沈黙を保っておられたが、ご不在ではなく,ヨブと彼の友人との議論に耳を傾けておられたのである。この神の顕現によって、ヨブの内的苦悩と疑惑は雲散霧消する。分からないことは分からないままに、神に向って一途に信頼してすることによって、ヨブは刷新されていくのである。

無知の知
神はヨブに答えて言われた。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは」と(38:2)。ヨブは自己の義を弁護するあまり、売り言葉に買い言葉で、次第に語調も激しくなり、論議すればするほど神の経綸、つまり神のなさり様が分からなくなってしまった。ヨブは「神様は‥‥であるにちがいない」と、自分の思考の中だけに閉じ込めていたので「なぜ‥‥自分だけが」と長い間、自問自答を繰り返し、神様の本心を悟り得なかったのである。

この無知に光を与えるために、神は人知を超越した自然界の神秘にヨブの注意を向けられる。「無知」であることを知ることは、真に自分を知り、物事を知る第一歩であることをヨブは経験したのであった。

神を知る
「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」(42:5)ヨブは今まで神について知っていたが、今や神を知る者となった。Second hand の知り方から First hand の知り方に上昇したのである。神を呼ぶのに第3人称単数の「かれ」“He” から第2人称単数の「あなた」“You”に変化したのであった。マルチン・ブーバーの言う「われとなんじ」(I and Thou)の関係に入れられたのである。これが信仰の本当の姿であり、それまでの知識や経験の行程は準備に過ぎなかったのである。

ヨブの聖化=完全な愛
ヨブにとって対神関係が新しくなったと同時に、対人関係も新しくなった。「ヨブが友人のためにに祈ったとき‥‥」(42:10)赦すということは難しい。しかし神のアガペーの愛が心を捉えるとき可能となる。その具体的な突破口は「執り成しの祈り」をすることである。これこそがヨブの回復した祝福中の祝福ではなかったか。

「主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。」(42:12)

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