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復活が事実でないとしたら

私どもはこれまで幾たびとなく、死の冷酷な事実を見てきた。「死んでしまったら、もうこれですべてが終わり」これが死に関するこの世の常識である。むかしコリントの人々は、この現実に耐えられず「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」と言って、快楽に身をゆだねていた。

しかし、聖書はわたしどもの常識、経験、過去の歴史を覆すような、驚くべき出来事を伝えている。十字架に死を遂げた主イエス・キリストが死に勝利して復活されたという事実である。

今日、現代人がこのことを信じられないのは当然。キリストの弟子たちですら最初は信じられなかったのだから。有名な教育学者であったフリードリッヒ・フレーベルは言っている。「本当か嘘かを見分ける方法は事実以外にはない」と、実際、事実ほど雄弁に語るものはないからである。

使徒パウロはコリントの信徒への手紙第一15章の中でキリストの復活が事実であり、もしこれが事実でなかったとしたらどうなのか、実際問題として真剣に論じている。

「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです」。(15:14-15)「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」(15:17-19)「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し眠りについた人たちの初穂となられました。」(15:20)

イースターの勝利、ハレルヤ! 主のご復活を喜び、声高らかにお祝い、この喜びを分かち合いましょう!

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