目 次(4)

最新記事を見る

ホームにもどる

Philip の 続・ちょっといい話

新年の祈り

 南イタリヤの田舎に、地主の息子でマリオという少年と、アンセルモという、貧しい靴屋の息子がいました。二人は、境遇は違いましたが、大の仲良しでした。こどもの頃、誰もが話す話題ですが、アンセルモがマリオに、「将来何になりたいの?」と聞きました。マリオは「ぼくは、大勢の人々の前で話す、大説教家になりたい。」と、目を輝かせて話しました。マリオがアンセルモに、「君は?」と聞くと、アンセルモは、それには答えず、「ぼくは、君が大説教家になれるように祈るよ。」と言うだけでした。

 やがて、マリオが修道院に入るために村を出て行く日がやってきました。家が貧しいために学校に行けなかったアンセルモは、村に残って、マリオのために祈っていましたが、数年してから、アンセルモも村を出て、マリオの修道院で召使いとして働くことになりました。

 マリオが司祭になって、はじめて説教をする日がやってきました。マリオは落ち着かず、廊下を行ったり来たりしていました。すると、召使いのアンセルモがそっと近づいてきて、「マリオ様、あなたのために祈っていますよ。」とささやいて、通り過ぎました。それから説教壇に立ったマリオは、気持ちを落ち着けるために、深呼吸をしてから、大勢の人々を見渡しました。すると、教会の柱のかげで、祈っているアンセルモの姿が見えました。マリオの説教は、この日、人々に大きな感動を与え、次第に、マリオは、名説教家として人々に知られるようになりました。そして、マリオが説教するところにはどこにでも、アンセルモもいて、目立たないところでマリオのために祈っていました。

 こうしてマリオはローマの大聖堂で説教するという光栄が与えられました。幼い日から夢見たことがとうとう実現することになったのです。マリオは、今までしてきた名説教の中から、よりすぐりのものを選び、自信をもって、堂々と説教しました。マリオは、この日を境に、大説教家としての地位を不動のものにすることができると信じて疑いませんでした。

 ところが、ローマの大聖堂での彼の説教は、弁舌はさわやかであっても、人々に何の感動も与えませんでした。マリオは自分の説教は完全に失敗だったと知りました。そして、その日、いつもいっしょにいるはずのアンセルモの姿が見えないことに気づきました。修道院長に尋ねると、アンセルモは、その日の朝、マリオのことを気遣いながら天に召されていったとのことでした。

 数日後、修道院の片隅にあるアンセルモの粗末な墓に、マリオの姿がありました。マリオはそこで熱心に祈っていました。修道院長が、マリオを見つけ、「マリオ司祭、あなたは再び前のような名説教が出来るように祈っているのですか。」と聞きました。すると、マリオは振り返って、こう答えました。「いいえ、名説教家になりたいとは祈りませんでした。アンセルモのような謙遜さを身に着けたいと、祈っていたのです。」

 新年に、私たちは、多くのことを願います。しかし、忘れてならないのは、「謙遜」を願い求めることです。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブの手紙4:6)からです。

(2005年1月)

前の記事 ホーム 次の記事

[編集] [追加] [削除] [復元]