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Philip の 続・ちょっといい話

恐れから喜びへ

「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。」(マタイの福音書28:5-6)

アメリカの墓地は、明るく、広々としてはいますが、それでも、夜、明かりのない墓地には、誰も好きこのんで、行きたくはないでしょう。ユダヤの国でも、墓地は死者たちの世界で、普段は、誰も近づきたくない恐ろしい場所でした。ところが、イエスのなきがらに香油を塗るためにやってきた女性たちは、その墓地で、イエス・キリストはよみがえられたというメッセージを聞きました。死者の世界である墓場で命のメッセージが語られ、人々が恐れて近づかなかった墓場から、喜びのメッセージが生み出されました。イースターは、神が「死」を「命」に、「恐れ」を「喜び」に変えてくださった日です。

勇敢で忠実なことで知られていたローマの兵士たちがイエスの墓の番をしていましたが、キリストの復活を知らせるために現れた天使を見た時、恐ろしさのあまり逃げ去ってしまいました。復活の出来事は、それほどに驚くべきことであり、人々を恐れさせるものでした。しかし、天使は、墓にやってきた女性たちには、「恐れてはいけません。」と語りかけています。なぜでしょうか。それは、復活は、それを信じる者から、恐れを取り除くものだからです。キリストが復活され、私たちに永遠の命を与えてくださったので、私たちは今まで恐れていたものを恐れる必要がなくなったのです。

私たちは、「健康を失ったらどうしよう、仕事を失ったらどうしよう、友だちを失ったらどうしよう、人に悪く思われたらどうしよう」などと、さまざまなことを恐れます。そんな私たちに、イエスは、

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイの福音書10:28)

と言われました。多くの小さな恐れは、本当に恐れなければならないお方、神を恐れることによって、消え去っていくというのです。スコットランドの宗教改革者ジョン・ノックスは、「血のメアリー」と呼ばれたメアリー女王に対しても決して屈服することなく、信仰を貫き通した人でしたが、この人について、「彼は、神を恐れるゆえに、神以外の何者をも恐れなかった」と言われています。あなたは、本当に恐れるべき方を知っているでしょうか。

星野富弘さんも、その詩画集の中でこう言っています。「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるののが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」星野さんは、中学校の体育の先生だったのですが、クラブ活動の指導をしていて宙返りに失敗して首を痛め、それ以来、首から下の体の自由が全く効かなくなってしまいました。彼は生きていてもしかたがない、死にたいと常に考えていましたが、イエス・キリストを信じて生きる喜びを与えられ、口に筆をくわえて絵を書き、詩を書いて、多くの人を励ましています。星野さんもまた、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と言われたイエスによって、本当に恐れるべきお方を知り、恐れのない人生を送るようになったのです。

聖書は言っています。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。…私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:8:31-39)

キリストの復活を信じる時、私たちは恐れから解放されるのです。

天使のメッセージを聞いた女性たちは、キリストの復活を、「恐ろしくはあったが大喜びで」(マタイの福音書28:8)他の弟子たちに知らせに行きました。恐れから喜びが生まれました。墓場から「命のメッセージ」が語り出されました。私は、今からおよそ四十年前、キリストの復活のメッセージによって、死への恐れから解放されました。そして、イースターの朝にバプテスマ(洗礼)を受けました。イースターが、あなたを恐れから喜びに変える日となるよう、こころから願っています。

(2005年3月)

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