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Philip の 続・ちょっといい話

地の塩

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。(マタイ5:13)

「この人は長年、老人福祉にたずさわり、『地の塩』としてこの町に貢献してくださいました。」などと使われる「地の塩」ということばは、聖書からのことば、イエスご自身のことばです。「地の塩」というと、目立たないところで、社会に貢献するという意味だと考えられていますが、イエスが言われたのには、別の意味があります。

日本では、かつては塩は海水を日に干したり、釜で煮詰めたりして作りましたが、他の国々では食用塩は岩塩から作りました。世界の食用塩の4割は海水から、6割は岩塩から作られているそうです。私はイスラエルの死海に旅行したことがありますが、その近辺の岩山はみな塩でできていて、そのかけらをひろってなめてみましたが、たしかに塩の味がしました。そんなわけでイエスは「あなたがたは『海』の塩です。」ではなく、「あなたがたは『地』の塩です。」と言われたのです。

では、「あなたがたは地の塩です。」と言われたとき、イエスは私たちに何を期待しておられたのでしょうか。

第一に、「地の塩」であることによって神の真理を保つことです。塩はたんなる調味料ではなく、人間にとって不可欠な栄養素です。塩分のとりすぎに注意しなければなりませんが、塩分が足らなくてもからだの調子がくずれ、死に至ることもあります。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでるひとつひとつのことばによる。」(マタイ4:4)とイエスが言われたように、神の真理が人を生かします。塩が命を保つのになくてならないものであるように、神の真理もまた人のたましいを生かすのになくてならないものです。塩には賞味期限がありません。そのように神の真理は永遠のものです。時代によって変わるものではありません。「塩が塩けをなくしたら、…何の役にも立たない。」と言われているように、イエスは「地の塩」たちに、永遠にかわらない真理をしっかり保ち、それによって生き、他の人を生かすようにと教えられたのです。

第二に、「地の塩」として社会の腐敗を防ぐ役割を果たすことです。塩には腐敗を防ぎ、消毒する力があります。旧約聖書エゼキエル書16:4に「あなたが生まれた日に、へその緒を切る者もなく、水で洗ってきよめる者もなく、塩でこする者もなく、布で包んでくれる者もいなかった。」とあるように、新生児は塩できよめられました。日本の手話では「塩」は歯を磨くしぐさであらわすそうですが、昔は塩がツース・ペーストでした。社会が悪くなっていくのは、人々が何が正しいことで何が間違ったことか、何が良いことで何が悪いことかの区別をあいまいにするからです。意見が違うからといって相手を苦しめる「差別」は間違っていますが、ものごとの善悪を「区別」することは必要なことです。「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」という勇気ある態度が社会を健全なものにします。「地の塩」である人々はそのようにして自分自身をきよめ、社会の腐敗を防ぐのです。

第三に、「地の塩」となって日常の生活を「おいしい」ものにすることです。塩は、食べ物においしい味をつけます。ヨブ記6:6に「味のない物は塩がなくてたべられようか。卵のしろみに味があろうか。」ということばがあります。塩はラテン語で "sal" と言い、そこから"salary" という言葉が生まれたというのは、皆さん、よくご存知ですね。昔の日本では給料が米で支払われていたように古代ローマでは給料は塩で支払われていたことにいわれがあります。"salada"というのも、塩から出たことばで、野菜が塩で味付けられたことから来ています。私たちは食べ物を塩で味付けますが、聖書は、私たちの語ることばも塩で味付けなさいと教えています。コロサイ4:6に「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。」とあります。

どうしたら私たちは「地の塩」になれるのでしょうか。それは聖書に教えられています。聖書は塩のほかにも、蜂蜜、バター、ヨーグルトなど、数多くの食品、調味料について触れ、毎日の生活をもっと「おいしいもの」にする方法を教えています。あなたも聖書から人生のレシピをたくさん学んでください。

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