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Philip の 続・ちょっといい話

ベッドの下におられる神

 私は毎日たくさんのEメールを受け取ります。何日かチェックしないとたいへんなことになります。その中の多くは、いわゆる「スパム」メールで、たいていはごみ箱に行くのですが、その中から次のようなメールがあり、目に留まりました。もとは英文ですが、日本語にしてみなさんに紹介します。

『ぼくはケヴィンをうらやましく思う。ぼくの弟、ケヴィンは神がベッドの下に住んでいると思っている。すくなくとも、彼がそう言っているのをぼくが聞いた、あの夜には。彼は、自分のベッドルームで声を出して祈っていた。ぼくは、たちどまって、彼が「神さま、そこにいるの? どこにいるの?ああ、わかった、ベッドの下でしょう?」と言っているのを聞いた。ぼくは、笑いをかみしめて、そうっと、自分の部屋に戻った。

ケヴィンのユニークな発想は、しばしば、ぼくたちを楽しませてくれる。しかし、あの夜は、ユーモア以上のものが心に残った。ぼくはケヴィンが住んでいる全く違った世界をはじめて理解したような気がする。

彼は、30年前、出産時に問題があって、知的障害をもって生まれた。彼の6フィート2インチの体格を別としては、彼には、大人らしいところはすこしもない。彼は、7歳のこどもの能力で考え、コミュニケーションをとっている。これからもそうだろう。彼は、いまも、神がベッドの下に住んでおり、サンタ・クロースがクリスマス・ツリーの下にギフトを置いていき、飛行機は、天使がそれを運んでいるので、空の上に浮いていることができるのだと思っているかもしれない。

ぼくは、ケヴィンが自分が他の人と違っているのだということが分かっているのだろうかと思う。彼は、彼の単調な生活に不満を持ったことはないのだろうか?毎日夜が明ける前に起きて、障害者のための作業所に働きに行く。家に帰ってからは、ペットのコッカー・スパニエル犬を散歩に連れて行く。帰ってきてから、好物のマカロニ・チーズを夕食に食べる。そして、遅くなってからベッドに行く。

彼の生活の枠組みの中で唯一の変化は、洗濯をする時だ。その時、彼は、まるで、母親が生まれたばかりのこどもにするように、洗濯機を抱きしめる。彼は、不満を感じることが無いようだ。彼は、毎朝7時5分、バスに乗るために、いそいそと家を出、単純な作業を熱心に行う。彼は夕食の前、コンロで湯を沸かしている間、やかんを両手でしっかりと押さえる。彼は週に二回夜遅くまで起きている。それは、翌日の洗濯の日のため、ぼくたちの洗濯物を集めるためだ。

そして、土曜日には----そう、土曜日は至福の日なのだ!---土曜日には、父が、ケヴィンを空港に連れていく。そこで、ソフト・ドリンクを飲み、飛行機を見て、空港にいる乗客たちの行き先を大きな声で言い当てる。「あの人はシカゴへ行くよ!」ケヴィンは手をたたきながら叫ぶ。そのために、金曜日の夜は、わくわくして眠れないほどだ。このように彼の日々の儀式とウィークエンドのフィールド・トリップが繰り返される。彼は、不満という言葉の意味を知らない。彼の生活はシンプルだ。彼は、富や権力のもつれを知らない。どのブランドの服を着るか、どんな種類の食べ物を食べるかは、おかまい無しだ。彼の必要はいつも満たされており、彼は、いつかそれが無くなるだろうという心配をしない。

彼の手は勤勉だ。ケヴィンには働いている時ほど幸せな時はない。皿洗いをしたり、カーペットを掃除する時、彼はまったく、それに没頭する。彼は、いったん仕事をはじめたなら、怠けることはない。それが終わるまで、仕事を投げ出すことはない。けれども、仕事が終わったらリラックスすることを知っている。彼は自分の仕事や他の人の仕事にとりつかれることはない。彼の心は純粋だ。

彼は、みんなが本当のことを話すべきだと信じている。約束は守られなければならず、間違ったことをしたら、議論をするかわりに謝らなければならないと信じている。プライドと外見の評価にとらわれないので、ケヴィンは傷ついたときには泣き、怒り、悲しむことを恐れない。彼はいつも透明で、真剣だ。そして、彼は神に信頼している。

知的な論理付けに制限されないので、彼は、キリストのもとに行くとき、こどものようにして行く。ケヴィンは神を知っている。「教育ある」人間には、把握できない方法で、神を友だちのように知っている。ぼくがキリスト教に疑いや失望を持っていた時、ケヴィンがその単純な信仰によって得ている確かな平安をうらやましく思った。ぼくは、彼が、ぼくの人間的な疑問をはるか越えた、なんらかの天的な知識を持っていることを認めざるを得ない。ぼくは、彼が障害者なのではなく、ぼくがそうなのだと思う。ぼくの義務感や恐れ、プライド、環境など、それらすべては、それらを神の配慮のもとに任せない時、ぼくを障害者にしてしまうのだ。

ぼくが決して会得できないものを、ケヴィンがすでに把握していることを、誰が知っているだろうか?彼は、暗くなってから祈り、善なるものと神の愛を吸収するために、彼の、無垢な全生涯を費やしている。いつの日か、天の神秘があきらかになり、神がいかにぼくたちのこころに近くおられるかにすべての人が驚く時、(でも、ケヴィンはその時も驚かないだろう。)ぼくは、神はベッドの下に住んでおられると信じていたひとりの少年の単純な祈りを、神が聞いていてくださったことを知るだろう。

このメールを受け取ったら、祈ってほしい。それが、あなたのなすべきすべてのことだ。何の付け加えるものもいらない。祈りには力がある。祈りは、私たちがただで受け取ることのできる、最高の贈り物のひとつだ。何も支払う必要はないが、多くの報いを得る。』

 私はこのメールがいう通り、神は単純な心から出る祈りを聞いてくださることを強く確信しました。みなさんはどうでしたか。

(2006年12月)

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