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Philip の 続・ちょっといい話

はじめの一歩

 「12ステップ」というのをご存知ですか? これは、アルコール依存症からの回復のプログラムとして作られたものですが、今ではアルコール依存症に限らず、ギャンブルや過食症、仕事中毒など、さまざまな依存症からの回復のために使われています。これは、もともとは、牧師によって、クリスチャンのために、聖書に基づいて作られたものですが、誰もが、特別な依存症がなくても、自分自身の人格の向上のため、日々の生活の導き、また、人生の道しるべとしても用いることができます。私はこれを「心のいやしの12ステップ」と呼んでいます。12のステップは次のとおりです。

  1. 私は、自分の依存症にたいして無力であることと、自分の生活が自分の手に負えないものになってしまっていることを認めました。

  2. 私は、自分よりもすぐれた力が私を正常にもどしてくれることを信じました。

  3. 私は、私の意志と生活とを神の配慮のもとに置く決心をしました。

  4. 私は、臆することなく自分自身をほりさげ、道徳面での自己反省をしました。

  5. 私は、神に対し、自分に対し、他人に対し、自分のどこが間違っていたかを、はっきりと認めました。

  6. 私は、これらの性格上の欠点を取り除いていただくことを、全く神におまかせする気持ちになりました。

  7. 私は、私の短所を取り除いてくださいと、謙遜に神に求めました。

  8. 私は、自分が害を与えたすべての人々の名をあげ、その人たちすべてに心からそのつぐないをする気持ちになりました。

  9. 私は、機会のあるごとに、その人たちへのつぐないを、その当人や他の人を傷つけない限り、直接にすることにしました。

  10. 私は、引き続いて自己反省を行い、自分が誤っていた時は、すぐにそれを認めました。

  11. 私は、私に対する神の意志を知り、それを実行する力を得るために祈り、神との意識的なふれあいを、祈りと黙想とによって高めていく努力をしました。

  12. 私は、これらのステップをへて精神的に目覚めましたので、このメッセージを他の人に伝え、あらゆる事がらにこの原則をあてはめるよう努力しました。

 特別な依存症が無いと思う人は、第一のステップの「自分の依存症」とあるところを「自分の問題」、「自分の短所」、「自分の弱点」、「自分の欠陥」などと置き換えて読むと良いでしょう。「12ステップ」は、自分の依存症や問題に、自分が「無力」であることを認めることから始めています。これを見て、みなさんは「『やればできる』という励ましを与えてくれるのが、『12ステップ』だと思っていたのに、自分の無力を認めたら、解決なんかないのではないのではないか。」と思われたのではないでしょうか。一般に「12ステップ」は「セルフ・ヘルプ(自助努力)のプログラム」だと思われていますが、厳密にはそうではありません。自分で自分を変えることができない、自分の問題を解決することができない、だから、神に頼るように教えるのが「12ステップ」です。「12ステップ」は神への信頼のプログラムです。

 依存症の人は、自分の無力を認めたがりません。アルコール依存症の人は「自分は酔っていない。」「自分はたいして飲んでいない。」といって、現実を否定する傾向があります。ドランク・ドライブで捕まっても、自分が悪いのではない、と言い張ります。警察の取り調べを受けたり、ジエイルに行ったりしても、それがとんでもないことだという意識がないのです。ある日突然仕事をやめてきたり、それがどんなに重大なことであるかを意識できず、考えられないような行動を平気でするようになります。どうにもならない状況になっても、まだ、何とかできると信じているのです。そして、自分ではなんとかできると思い込んでいるうちは、決してそこからの解決はないのです。

 依存症の人がいる家庭がなんとか保たれているのは、その家族が犠牲を払っているからです。親が子供の始末をし、妻が旦那さんの始末をしています。アルコールやギャンブルの出費を、奥さんが働いたり、家計をやりくりして穴埋めをしています。子どもは、父親が酔っ払って乱暴なことをしてもじっと耐えます。そうして問題をカバーするのです。しかし、夫や父親が酔っ払って家族に迷惑をかけているという現実は少しも解決しないのです。また、どこにでもルールを無視する困った人がいるものですが、「良い人」ばかりの団体では、なぜかそういう人を大目に見て、ほとんど苦情を言わないのです。結局、そのしわよせは特定の立場の人が吸収しなければならなくなり、その結果、それに耐えている人は疲れ果て、身体をこわしたり、こころの病にかかったりすることがよくあります。健全な家庭、健全な団体はみんなが犠牲を払い合います。しかし不健全な家庭や団体には「スーパーヒーロー」の役割をする人、またその役割を期待される人がいて、一手に犠牲を引き受けたり、引き受けさせられたりします。けれどもスーパーヒーローは物語やムービーの世界だけのもので、誰もスーパーヒーローにはなれません。家族や団体の問題を一手に引き受けて、それをカバーしていると、いつか身も心もボロボロになってしまいます。依存症の人ばかりでなく、依存症の人ととも生活している人々も、「良い人」をやめ、問題を背負い込むことをやめ、自分が問題に無力であることを素直に認めなければ、ほんとうの解決はやってきません。

 第二のステップは「私は、自分よりもすぐれた力が私を正常にもどしてくれることを信じました。」です。ここでいう「自分よりもすぐれた力」というのは、「神の力」、「イエス・キリストの力」のことです。自分の無力を認めたなら、神の力に頼るのです。イエス・キリストの助けを呼び求めるのです。そうすれば、そこから解決に向かっていくことができます。ある工場で、機械が壊れました。その機械を使っていたテクニシャンは一所懸命それを修理しようとしましたが、できなかったので、エンジニアを呼びました。エンジニアが、いつ壊れたのかと訊いたので、テクニシャンは「2時間前です。」と答えました。エンジニアが「2時間も何をしていたのか。」と言うので、テクニシャンは、不満げに「修理しようとしていたのです。最善をつくしたのですよ。」と答えました。するとエンジニアは、そのテクニシャンに言いました。「あなたの最善は、私を呼ぶことです。」このエンジニアの言葉は、私たちにも当てはまります。問題に苦しむときに、私たちのできる最善は、イエス・キリストを呼ぶことです。自分の無力を認めることは勇気のいることです。無力な私を助けてくださる方がもしいなければ、私たちは自分の力にしがみつくしかないのですが、私たちには、全能の神がおられます。あわれみ深い神がおられます。神は力に満ちておられるだけではなく、愛とあわれみと恵みに満ちたお方です。神は、その愛の腕、力の腕で、自分の無力を認める者を受け止めてくださいます。

 「12ステップ」は1ヶ月にひとつづつのステップをたどることができるようになっています。新しい年を迎えたこの機会に「12ステップ」の「はじめの一歩」を踏み出してみませんか。教会の礼拝では「12ステップ」からのメッセージがシリーズで語られており、レントの期間には「12ステップ」のデボーションが配布されます。この機会に、いっしょに「12ステップ」の旅を始めませんか? ご質問があれば、いつでも声をかけてください。あなたのスピリッチュアル・ジャーニーを喜んでお助けしたいと願っています。

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