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Philip の 続・ちょっといい話

目からウロコ

聖書のことばは、身近なところで使われています。それが聖書から取られたことを知らないで、聖書の表現を使っていることが、多くあります。「目からウロコ」ということばは、そのひとつでしょう。

イエス・キリストは、私たちを罪から救うために十字架で身代わりの死を遂げられました。しかし、イエスは三日目に復活され、四十日の間、人々にご自分の生きておられることをお示しになりました。そして、もとからおられた天に帰られました。それからさらに十日してから、キリストは、もうひとりの助け主、聖霊を弟子たちに与えました。弟子たちは、聖霊の力によって、キリストが神であり、救い主であることを力強く宣べ伝え、多くの人々がイエス・キリストを信じ、洗礼(バプテスマ)を受け、クリスチャンになりました。

サウロという青年は、こうしたことを大変苦々しく思っていました。彼は、「大工の子であるイエスが神であり、救い主であるはずはない。イエスを神と言うことは神を冒涜することだ。」と堅く信じていました。それで彼は、クリスチャンを見つけ出しては捕まえ、捕まえては牢に入れていました。教会の最初の殉教者はステパノという人でしたが、ステパノに対するリンチのとき、ステパノに石を打ちつけた人々の上着を預かったのも、サウロでした。サウロはエルサレムの町のクリスチャンを迫害するだけでは飽き足らず、遠くダマスコの町まで出かけて、そこにいるクリスチャンを迫害しようとしていました。

そのダマスコへの道で、キリストはサウロに現れました。それは、ダマスコのクリスチャンを守るためばかりでなく、サウロがこれ以上罪を犯さないように、サウロもまたキリストを信じ、彼がキリストのために生きる者になるためでした。キリストの栄光に撃たれたサウロは、そのために目が見えなくなりました。サウロは他の人に手を引かれてダマスコの町に入りました。サウロはダマスコの「まっすぐ」という通りのユダという人の家にいて、断食し、自分に現れてくださったキリストのことを思い巡らしました。自分が今まで否定していたイエスに出会い、十字架で死んでしまったと思っていたイエスが栄光のうちに生きておられることを知ったのですから、きっとサウロの心の中には大きな混乱があったことでしょう。しかし、祈りの中で、サウロはイエス・キリストを信じ、このお方のために生きる準備ができるようになりました。

三日目にダマスコのクリスチャンの指導者アナニヤがキリストに遣わされて、サウロのところに来ました。アナニヤがサウロに手をおいて祈ると、サウロの目からうろこのような物が落ちて、サウロは再び目が見えるようになりました。サウロはアナニヤから洗礼(バプテスマ)を受け、イエス・キリストへの信仰を言い表し、クリスチャンになったのです。サウロは、それから教会の指導者となり、宣教師となり、キリストの使徒のひとりに加えられました。後の使徒パウロが、この青年サウロだったのです。

「目からウロコ」ということばは、聖書にある使徒パウロの回心の記録(「使徒の働き(使徒言行録)」9:1〜19)から取られたことばです。そこには「するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。」と書かれています。今まで知らなかったことを知ったとき、あるいは、誤解していたことに対して正確な事実を知ったとき、私たちは「目からウロコでした。」と言いますが、使徒パウロの「目からウロコ」は、イエスがキリスト(救い主)であり、今も生きておられる神であるということでした。私も、この「目からウロコ」の体験を16歳のときにしました。みなさんも、同じ「目からウロコ」の体験に導かれるよう、こころから祈っています。

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