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Philip の 続・ちょっといい話

系図が語るクリスマス・ストーリー

 新約聖書の最初のページには「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」とあって、「アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、…」と、アブラハムからダビデにいたる、四十二世代の名前が長々と書かれています(マタイの福音書1: 1-17)。皆さんの中には、「聖書を読んでみよう」と意気込んで、新約聖書を開いたら、いきなり、知らない人々の名前がならんでいて、戸惑ってしまったという人がいるかもしれません。

 いったいなぜ、新約聖書のはじめに、「イエス・キリストの系図」が記されているのでしょうか。この系図は、私たちに何を教えようとしているのでしょうか。ここにはいくつもの大切なメッセージが含まれていますが、今回は、三つのことをとりあげましょう。

 イエスは、物語の中の人物ではなく、実在の人物です。昔話の登場人物は、「昔むかし、あるところに」生まれたことになっており、「いつ」「どこで」という歴史的事実がありません。しかし、イエスは桃太郎や、かぐや姫とはちがって、皇帝アウグストの時代、クレニオが総督であった時、ベツレヘムで生まれたお方です。マリヤとヨセフが人口調査のために、本籍地であるベツレヘムに来ていた時にイエスは生まれ、その時、そこで、アブラハム以来の系図とともに、戸籍に登録された、歴史上の人物です。

 イエス・キリストの系図は「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」ということばで始まっています。なぜ、アブラハムとダビデのふたりだけが、特別扱いされているのでしょうか。それは、キリストはアブラハムの子孫から出る、またダビデの後継者から出るとの約束があったからです。イエスは、今から二千年前に生まれましたが、そのさらに二千年前、神は、数多くの民族の中からアブラハムを選び、彼に「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:2-3)と言われました。これは、すべての人を祝福するキリストがアブラハムの子孫から出るとの預言でした。

 神は、多くのユダヤ人の中から、さらにダビデを選びました。そして、ダビデに「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(サムエル第二7:12-13)と約束しました。

 新約聖書は旧約聖書の続編と言ってもよいもので、旧約聖書に約束され、預言されていたことがどのように実現し、成就したかを書いています。この系図は、旧約の約束が、アブラハムの子孫、ダビデの子として生まれたイエス・キリストによって成就したことを示しています。

 ユダヤの人々は系図を重んじ、由緒正しい血筋を持っていなければ救われないと考えていました。しかし、イエス・キリストの系図はそのような考え方が間違っていることを教えています。

 この系図には五人の女性の名前が出てきます。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻とマリヤです。タマルはユダの嫁でした。タマルは夫が亡くなったために、当時の規定に従って、夫の兄弟に嫁ぐことを待っていたのですが、ユダはその約束を守りませんでした。それで、タマルは遊女のふりをして、自分の舅であるユダと関係を持って子どもを身ごもりました。タマルの名は、ユダのスキャンダルを思い起こさせます。「ウリヤの妻」にはバテシバというちゃんとした名前があるのですが、「ウリヤの妻」という言い方は、ダビデが忠実な家臣ウリヤから妻をとりあげて自分のものにし、ウリヤを戦場で殺させた、あの罪を思い起こさせます。マタイの福音書の系図は、どんなに由緒正しい血筋を誇っても、人間は罪を背負って生まれてくるのだということを教えています。

 その罪から救われるのは、信仰によってです。ラハブは、エリコの町の遊女でした。本来は滅ぼされるべきカナンの女だったのですが、大胆な信仰によってイスラエルのスパイをかくまったので、救われ、神の民の一員に加えられました。ルツは、イスラエルの会衆に加えられてはならないモアブの女性でした。しかし、その素晴らしい信仰によってダビデ王の曾祖母となりました。マリヤも、当時「異邦人のガリラヤ」と呼ばれた、ガリラヤ地方の一少女にすぎませんでしたが、従順な信仰によって、イエスの母となったのです。聖書に、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ 1:12-13)とあるように、マタイの福音書冒頭の系図は、イエス・キリストの救いは信仰によって与えられることを教えています。

 新約聖書は、このような系図を持つイエス・キリストがどのようなお方かを教えようとしています。皆さんが、系図でつまずくことなく、その先までも読み進んで、イエス・キリストをさらに深く知っていただきたいと、心から願っています。

(2002年12月)

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