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Philip の 続・ちょっといい話

実りの秋

 すっかり秋らしくなりました。秋というと、私は「読書の秋」よりは「食欲の秋」のほうを先に連想しますが、今回はもうすこし上品に「実りの秋」というタイトルにしました。

 最近はグリーンハウスで果物がつくられ、世界中の果物が空輸されるようになり、季節に関係なく、年中さまざまな果物がマーケットにならぶようになりました。でも、やはり、その季節に実を結ぶもの、その地域でとれたものが一番おいしく、秋は、果物がどの季節よりも多く実る時です。

 そんな果物のことを考えている時、聖書にある「御霊の実」を思いうかべました。これは、神が私たちの人格の中に結んでくださる実のことです。御霊の実には、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」の九つがありますが、これは三つづつに分けることができます。「愛、喜び、平安」は神と私との関係の中で結ばれる実です。ほんとうの「愛」は「愛」のみなもとである神から来ますし、ほんとうの喜び、ほんとうの平安は、まわりの状況に依存するものではなく、やはり、神から来るものだからです。

 「寛容、親切、善意」は、他の人との関係の中で結ばれる実です。人間関係には難しいこともいろいろありますが、そこから逃げていては、こうした実を結ぶことができません。他の人とのかかわりの中で、「寛容」や「親切」、そして「善意」を身につけたいですね。

 「誠実、柔和、自制」は、自分自身との関係の中で結ばれる実です。「自分自身との関係」とは、奇妙に聞こえるかもしれませんが、私たちの多くは、自分を好きになれなかったり、自分を偽ったり、自分を甘やかしたりと、自分自身との関係が正しく持てないでいる場合が案外あるものです。神との関係を正しくすることによって、他の人との関係も、自分自身との関係も正しくしていきましょう。

 しかし、どうしたら、このような実を結ぶことができるのでしょうか。御霊の実も果物の実と同じようにして実りますので、果物の木がどうやって実を結ぶかを考えてみると良いでしょう。それには、大地にしっかりと根をはり、地中から水分や栄養を得、葉をしげらせて太陽の光を受けなければなりません。大地はキリスト、水は神のことば、太陽の光は神の恵みのことかもしれません。「桃、栗、三年、柿、八年」と言われるように、木はすぐには実を結びません。寒い冬、暑い夏を何度か通って、やっと実を結ぶのです。そのように、御霊の実も、神からの人生の試練や訓練を通して、私たちに与えられるのです。

 しかし、一番大切なのは「いのち」です。いのちある木はかならず実を結びます。いのちのないものは実を結びません。クリスマス・ツリーのように切りとられたものは、どんなにきれいに飾りつけられても、決して実を結ばないのです。神のいのちから遠く離れた人生はどんなに飾りつけても、やがては枯れていきますが、キリストを信じる信仰によって神のいのちにつながっている人生は、時がくれば、神にも、人にも喜んでいただける「九重」(ここのえ)の実をならせることができるのです。

(2002年10月)

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