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Philip の 続・ちょっといい話

はじめの一歩

 私は人生の半ばでアメリカにやってきました。長年日本で牧師として働いてきて、教会堂を建て、伝道所をつくり、聖書学校で教え、翻訳や執筆もし、宣教団体の理事として働き、教団の運営にもかかわってきました。とてもやりがいのある仕事をしていたのですが、もっと自分を成長させたい、日本の教会を成長させたいと願って、アメリカに勉強に来ました。ところが、神さまは、私の願いとは反対に、「アメリカで学んだものを日本に持ってかえるのでなく、日本で経験したことをアメリカの日本人のためにささげなさい」と言われたのです。それで、大学院を卒業して一旦帰国しましたが、ふたたび、アメリカに戻ってくるようになったのです。

 皆さんも、お感じになったと思いますが、アメリカでは、日本で勉強したこと、経験したことがあまり役に立たないことがあります。日本語でどんなにうまく話せても、文章を書けても、英語でそれが出来なければ、英語を話す人たちにものごとを伝えることができないのです。ちがった言葉、ちがった文化の国に来ると、今までの知識や経験に頼ることができず、いろんなことを新しく学び直し、やり直さなければなりません。たとえば、医者に自分の病状を説明するなど、日本だったら、簡単にできることが、アメリカでは大変な苦労をしなければならないということが多くありますね。それが、ある人には大きなストレスとなるのですが、私の場合は、もう一度、初心に返って、新しくやり直す良い機会となりました。今まで学校で教師であった者が学生になり、教会で牧師であった者が一訪問者となり、地域で役員をしていた者が新参の外国人としてそこに住むという経験は、誰もが出来ることではなく、私は、そうしたことによって、多くを学ぶことが出来ました。それはキリストが「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(マタイ18:4)と言われたように、謙虚になることによって得られる恵みでした。

 私は最近米国市民になりました。「新・米国民」ですが、私は自分のことを「新米・国民」と考えています。余計なプライドがあると、アメリカ生活のプレッシャーは大きくなります。謙虚になって、回りの人々から学べば、アメリカ生活の大きな恩恵を受けることができます。特に新しくアメリカにおいでになった方々が、そのような「はじめの一歩」を踏み出されるよう、願っています。

(2002年9月)

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