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Philip の 続・ちょっといい話

ネパールの母

 ネパールには、世界一のエベレスト山のほか八千メートル級の山が七つもあり、多くの人が険しい山岳地帯に住んでいます。ネパールは1950年まで鎖国政策をとっていたこともあって、さまざまな面で近代化が遅れていました。とくに医療の遅れはひどく、1960年代には医師の数は全国で三百人ほどしかいませんでした。そのようなネパールに日本のキリスト教海外医療協力会から派遣されたのが、岩村昇医師と史子(ふみこ)夫人でした。

 岩村医師は病院に来る人々の診察の他に、毎月、山地の村々を巡回して結核や天然痘の予防に力を注いできました。しかし、このような仕事は、岩村医師ひとりで出来ることではありませんので、岩村医師はバルバ県内の村々から青年たちを一人ずつ選び、彼らに公衆衛生の技術を教え「村の衛生士」にしました。ネパール政府は岩村医師の方法を採り入れて、他の県でも衛生士を養成し、ネパールの山地に住む人々の健康に大きく貢献しました。

 史子夫人は、生後一年半のネパール人の赤ちゃん、マヤちゃんを引き取りました。マヤちゃんの母親が結核のため、マヤちゃんを育てることができなかったからです。史子夫人は病弱なマヤちゃんを苦労して丈夫な子どもに育てました。マヤちゃんの母親が結核で亡くなり、父親も事故で亡くなった後、岩村夫妻はマヤちゃんを養子にしました。岩村夫妻はネパールを「わがふるさと」と呼び、ネパールの人々からも「ネパールの父、ネパールの母」と慕われていたのですが、文字どおり、ネパールの女の子の両親となり、「ネパールの父」、また「ネパールの母」になったのです。

 「母」になるのは、出産によってだけではありません。聖書で、使徒パウロは「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」(ガラテヤ4:19)と言っています。パウロは自分の子どもを持ちませんでした。しかし、人々を愛することによって、霊的に多くの子どもを産み、育てました。男性であるパウロでさえ、そのような意味での「産みの苦しみ」ができるのなら、女性はなおのことです。

 岩村夫人ばかりでなく、多くの女性が、その献身的な愛によって、「母」として慕われてきました。みなさんの身近にも、そういった「お母さん」がいませんか。教会のサンデースクールの教師で、こどもたちが成人しても、なお母親のように慕われている人、多くの若い人々を娘のようにして導き、「この人はわたしの霊的なお母さんです」と言われている人を、私は知っています。皆さんもそうしたお母さんたちに育てられてきたのではありませんか。この母の日に、皆さんが誰かの母になれたら素晴しいと思います。あなたの身近にいる誰かを、また、世界の恵まれない子どもを愛することによって、自分が産んだ子ども以外の母親になることを考えてみるのも良いことかと思いますが、いかがでしょうか。

(2002年5月)

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