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Philip の 続・ちょっといい話

チロルの歌

 「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。
 それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。」 (ルカの福音書2:6-7)

 クリスマスに「きよしこの夜」が歌われないことがないほど、この歌は世界中で歌われています。この歌は、アルプスのふもと、オーストリアのチロル地方でうまれた歌で、原詩はドイツ語で書かれましたが、どこの国の人によって、どんな言葉で歌われても、とても美しく響きます。以前、フィリピンの方がタガログ語で歌うのを聞いたことがありますが、「きよしこの夜」がまるでフィリピンで作られた歌のように、歌われていました。

 この歌の作詞者は教会の助祭(司祭の補助者)であったヨーゼフ・モールです。彼は、長い間、クリスマスに歌う新しい歌のことを考えていたのですが、 1818年のクリスマス・イヴに突然のようにして、クリスマスの情景が心に描きだされ、この詩を書きました。翌日、ヨーゼフは、その詩を持って、教会のオルガニスト、フランツ・グルーバーのところに急ぎました。フランツは、この詩を見て、「ヨーゼフ、これこそ、ほんとうにクリスマスの歌だ。さっそく曲をつけよう。」と言って、作曲を始めました。瞬く間に、あの美しい曲ができあがりました。そして、クリスマスの夜の礼拝で歌うために、二人はさっそく練習をはじめました。そして、そのクリスマスの夜、教会に集まったチロルの村人たちは、この新しいクリスマスの歌にとても感動し、心からの賛美を神にささげました。

クリスマスの歌は、他の季節に歌われることがほとんどありませんので、このクリスマスの日以来、「きよしこの夜」の楽譜はフランツの机の中にしまわれたままになっていました。ところが、翌年11月のことです。教会のオルガンの調子が悪くなり、修理をしました。修理が終わって、オルガン職人は「調子をみたいんだが、一曲弾いてくれませんかね。」とフランツに頼みました。フランツの心に「きよしこの夜」のメロディがよみがえってきたので、彼は、その曲を弾きました。すると、それを聞いたオルガン職人は、この曲をとても気に入って、楽譜を写し、自分の村に持って帰りました。

 このオルガン職人の村に、歌の上手な四人姉妹がいて、「きよしこの夜」が彼女たちの愛唱歌になりました。この四人姉妹がライプッチヒの大聖堂に招かれた時「きよしこの夜」を歌い、それ以来、この歌は人々の間に広まったのです。「きよしこの夜」は、チロルの村で作られたので、そのころは「チロルの歌」と呼ばれていました。

 イエス・キリストは、全世界の救い主であるのに、ベツレヘムの家畜小屋の中で、誰にも知られず、ひっそりと生まれました。そのように、今は、誰もが知ることとなったこの名曲も、片田舎でひっそりと生まれたものでした。だからこそ、この曲は、イエス・キリストの誕生をより良く描くことができたのかもしれません。「有名になること」「金持ちになること」「人の上に立つこと」などが求められている現代に、それとは全く反対の人生を生きるために生まれてくださったイエス・キリスト…。このお方の生涯を歌うのにふさわしい心をもって、私たちも「チロルの歌」(きよしこの夜)を賛美したいと思います。

(2005年12月)

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