Philip の ちょっといい話 |
アメリカの「古き良き時代」をテーマにしているテレビ・ドラマ「大草原の小さな家」に、こんなエピソードがありました。 主人公のインガソル氏が、夫人と子どもを連れて、ゴールドラッシュのカリフォルニアにやってくるのです。そこは、今まで暮らしてきたところとは違って雑然としたところでしたが、やがて、そこにも、テント張りの教会が建ちます。今まで教会の礼拝を欠かしたことのなかった彼も、この時は、教会から遠ざかり、一攫千金を夢見て、金探しに没頭してしまいます。けれども、身の回りでさまざま出来事が起こり、彼は教会の礼拝に戻ってくるのです。
その礼拝が始まる前に、牧師は、「みなさん、黙祷しましょう」と呼びかけ、黙祷が終わってから、「インガソルさん、何かお話ししてください」と指名します。インガソル氏は、立ち上がって話し出しました。「皆さん、黙祷している間、何を祈りましたか。金持ちにしてくださいと祈りませんでしたか。そう祈った人は手をあげてください。」数人が正直に手をあげました。彼は続けてこう言いました。「わたしは、ここに来るまで、家族の健康のために、安全のために、平安のために祈ることはあっても、金持ちにしてくださいとは祈ったことは無かった。ところが、富を求めた瞬間、安全も平安も失われてしまった。わたしは、もとの生活に戻ります。」そういって彼は、喜びに満ちて、家族と共に故郷に帰っていくのです。
事業をしていて、収益を考えない人は無く、働いていて報酬を求めない人はいないでしょう。金銭は誰にも必要です。しかし、お金さえあれば何でもできるとばかりに、金銭だけを求めても、本当の幸福は得られません。ある人がわたしに、「金儲け」という言葉は、「金信者」と書くのですよと、教えてくれました。また、「カミ」と「カネ」、「カミ」と「トミ」とは一字しか違わないが、大きな違いだという話を聞いたこともあります。聖書は、「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」と言っています。
カリフォルニアは今までずっと好景気で、みんながよりよい収入を得ようと競いあってきました。しかし、今、景気は落ちこみ、レイオフが続き、「学校を出ても、仕事があるのだろうか」と、若い人たちの間に、将来に対する不安が広がっています。お金があればそれで幸せな人生が送れるのではありません。経済が良ければそれで社会が良くなるわけではありません。本当の幸せと、平和な社会のために、わたしたちは何を求めるべきか、考え直してみたいと思います。
(2002年8月)