USA Diary

December, 2018

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12月1日(土)アドベントは明日からなのですが、今年のアドベントの黙想は12月1日からはじめて25日で終わるようにしました。12月のあわただしい時期だからこそ、黙想の訓練がより必要だと思っています。
12月2日(日)きょうから、アドベント。今年も、ある人がアドベントキャンドルを準備してくれました。きょうは「預言のキャンドル」を灯して「希望」を思いみました。希望は神の言葉から来るのですが、わたしたちの生活や人生に希望が灯るためには、神の言葉がキャンドルの蝋やランプの油のように燃えなければなりません。神の言葉を燃やし、それを光に変えていくとうのは、聖霊がわたしたちの霊のうちでしてくださる神秘だと思います。今年も「アドベントの黙想」を準備しましたが、黙想の世界はこの神秘を追求するものだと思っています。
12月3日(月)私の家の近くの大きな交差点にカメラがあって信号無視の車をチェックしています。先月、「信号無視をしたので罰金を払うように」という通知がきました。私が違反したというその日は、普段行くことのないところに行った帰りでした。この道路では赤信号でも右に曲がることができるので、この通知には不服だったので、警察署に出頭して弁明したいという請求をしました。きょう出頭する日だったので、宣誓したうえで、そのことを言いましたが、「赤信号で右折してもいいが、きちんと一時停止していなかった」と言われ、証拠のビデオを見せられました。一時停車したつもりでいたのですが、交差点がクリアだったので、前の車につられていったようです。私は違反を認め、その場で罰金を払ってきました。痛い経験でしたが、このレッスンを忘れず、注意深い運転に心がけたいと思いました。
12月4日(火)毎年、自動車の登録が必要で、簡単な車検を済ませてからインターネットで登録更新をしました。インターネットで行うと 1ドルのディスカウントがもらえ、今年の更新料は $73.75 でした。車検には $25.50 払いましたが、$7 の洗車クーポンをもらいましたので、実質は $18.50 です。車検と更新料をあわせも $$92.25 で、カリフォルニアでは、$200 くらい払っていました。ステートによって違うのは、ステートの税制の違いによるのでしょう。カリフォルニアではガソリンが 1ガロン $3 以上でしたのに、ここでは $2 以下です。これもガソリン税の違いからくるのでしょう。
12月5日(水)今日は、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領(1989〜1993年)の葬儀でした。このため、お役所はお休みで、郵便局も休みで、当然、配達もありませんでした。私がアメリカに来た時の大統領がブッシュ大統領のときで、彼は好きな大統領のひとりでした。
12月6日(木)Amazon で注文した品物がなんと英国から一週間かからずに郵便で配達されてきたので、びっくりしました。モンキーのおもちゃですが、子どもにあげるためではなく、自分のため、メッセージの実物教材に使うため買ったものです。どんなふうに使ったかは、実際にこれを使ってお話ししたあとで報告します。
12月7日(金)Target のカードを失くしたので、かなり前に手続きをしました。なかなか新しいカードが届かずにいたのですが、きょうやっと届いて、一安心しました。カードを失くしたは、おそらく今年から着るようになったダウン・ジャケットのせいだろうと思います。ポケットが浅く、すべりやすいのです。きょうも、ポケットに入れた別のカードを落としてしまいました。このポケットにはものを入れないようにしなければと思いました。
12月8日(土)週報の印刷をし、メッセージの英訳を終え、スライドを準備して、明日に備えました。メッセージの英訳は、手伝ってくれる人がいて、とても助かっています。ひとりは神学生なので、聖書の用語など的確に訳してくれます。ひとりで訳していると、日本語の不備に気がつきません。英語翻訳を見て、日本語を直すこともよくあります。たんに翻訳を手伝ってもらっているだけでなく、共に礼拝メッセージを整える奉仕ができることをうれしく思っています。
12月9日(日)きょうはアドベント第二週の礼拝を守りました。きのうまで雨だったのですが、きょうは晴れました。でも、気温はあまり上りませんでした。町では、さまざまなクリスマス行事があるのですが、どこへも行かないうちに、それらが終わりそうです。
12月10日(月)クリスマスカードをほぼ出し終えました。カードを出せなかた方々にはEメールで送りました。味気のないものですが、ふだんご無沙汰している方々に、せめて、この機会にでも連絡をとりたいと思っています。
12月11日(火)この時期、郵便局が混むので、日本に送る荷物を、郵便局がオープンする朝8時30分に持っていきました。すでに10人くらいの人が並んでいましたが、あまり時間をとられないで、荷物を出すことができました。クリスマスまでには届くそうです。
12月12日(水)Eメールでのクリスマスカードに同じようにEメールでクリスマスの挨拶を返してくださった方々が何人かあり、うれしく思いました。
12月13日(木)毎週木曜日は、ヤードトラッシュの回収日です。紙袋にいれて出すと、リサイクルしてくれます。腐葉土になるのでしょう。ところが、きょうは雨だったので、紙袋を外に出せず、きょうの回収日を逃してしまいました。残りの枯れ葉が、雨が上がって乾いたら、それを集めて、次の週には出したいと思っています。
12月14日(金)きょうは、赤穂浪士討ち入りの日です。このごろはテレビでも映画でも「忠臣蔵」が無くなり、寂しく思っています。それで、吉川英治の『新編忠臣蔵』を今月の始めから読んでいます。今日までに読み終えるつもりでしたが、まだ半分までしか進んでいません。
12月15日(土)『新編忠臣蔵』を読む前は、『三国志』を読んでいました。先月のヴァケーションの時、飛行機の中で読むために、青空文庫からダウンロードし、電子書籍の形式に変換して、キンドルで読みました。『三国志』や『新編忠臣蔵』から、いろいろなことを学びました。すこしづつ、このダイアリーに書いていくつもりです。
12月16日(日)アドベント第三週になりました。きょうは「喜び」のキャンドルを灯しました。確かに、クリスマスは喜びの日なのですが、その喜びの中にも悲しみがあります。世間で「クリスマス、クリスマス」と言っても、そこにはキリストはおられませんし、クリスチャンもまた、キリストのおられないクリスマスを逆輸入しているように思うからです。そのことを思うと、かえって悲しくなるのは私だけではないと思います。
12月17日(月)ところで、『三国志』ですが、吉川英治は劉備、関羽、張飛の個性を良く書きわけ、三人の義兄弟の堅い結びつきを、みごとに描いています。義兄弟の結びつきは、やがて、臣従の関係へと変わっていくのですが、臣従の関係は、キリストとキリスト者の関係でもあるので、彼等の主君への忠誠と情愛から、信仰的にも多くのことを教えられました。
12月18日(火)劉備は三顧の礼をもって諸葛孔明を得ますが、孔明は優れた軍師であるばかりでなく、すぐれた政治家であり、国を富ませ、民の安寧を第一にしました。しかし、関羽、張飛、また劉備も世を去り、優れた人物が亡くなっていったとき、孔明のリーダーシップも用いられなくなり、蜀は衰退していきました。何事を成し遂げるのにも、大切なのは「人」である。吉川英治は、そのことを描こうとしたのではないかと思います。
12月19日(水)『新編忠臣蔵』でも、浅野内匠頭と大石蔵之介との臣従の関係が描かれていました。蔵之介が赤穂城を明け渡すとき、藩札の交換や藩士への、今日でいう「退職金」を決めるとき、「亡き殿ならどうされたであろうか」という思いでそれをしたと、吉川は書いていますが、この部分は "What would Jesus do?"(イエスさまならどうなさっただろうか)という言葉を思い起こさせてくれました。
12月20日(木)夕べから雨だったため、枯れ葉のゴミを出せませんでした。来週はクリスマス空けで、ゴミの回収があるので、バックヤードの枯れ葉も袋に詰めて出すことにしました。
12月21日(金)クリスマスの賛美の中には日本人の作詞作曲によるものがあります。「ひつじはねむれり」や「まぶねの中にうぶごえあげ」などです。英語の歌詞がないため、礼拝で歌うことがなかったのですが、こうした曲が選ばれたので、英語の歌詞を探したら、見つけましたので、スライドを作ることができました。とてもよく訳されていて感心しました。
12月22日(土)今日6時から、クリスマスの夕食つき祝会なのですが、娘の仕事が5時まであったので、開始ぎりぎりにやっとかけつけることができました。準備の手伝いができなかったので、後片づけを手伝い、遅くまでかかりました。明日の準備があるので、後片付けがほぼ終わったところで帰宅しました。
12月23日(日)きょうはアドベント第四日曜日で、アドベントの最後のキャンドルを灯しました。明日は、庭仕事ができないので、きょう夕方、バックヤードの枯れ葉を袋に詰めました。全部で10袋になりました。紙バッグはは5袋づつ売っていて、1袋は水に濡れて底が抜けましたので、あと4袋残っていますが、これも全部使うことになるだろうと思います。
12月24日(月)クリスマス・イヴの礼拝をしました。キャンドルが足らないかと心配したのですが、予想の半分でした。土曜日から集会が続いたからだろうと思います。ちょうど一時間の予定だったのですが、人数が少なかったので、45分で終わりました。けれども、この45分の礼拝の準備のためには、きのうときょうの二日かかってしまいました。
12月25日(火)きょうのクリスマスは、どの教会のクリスマス礼拝にも行かず、ある教会でのクリスマス・コンサートをテレビで観ました。新しい歌が演奏されましたが、私は、聴衆もいっしょになって歌った、古くからのクリスマス・キャロルのほうが好きでした。聴衆が聞くだけでなく、いっしょに歌うコンサートは、教会でおこなうのにふさわしいと思いました。
12月26日(水)ウェブページに掲載した「アドベントの黙想」にはアメリカと日本とをあわせて 30名ほどの閲覧者がありました。「レントの黙想」のときにはもっと多くの人に見てもらいたいので、私のウェブページを訪ねてくださる方、ぜひ Penguin Club に登録し、他の方にもよびかけていただきたいと願っています。
12月27日(木)昨夜は大量の雨がいちどきに降りましたが、きょうは晴れて暖かくなりました。クリスマス前に床屋に行けなかったので、きょう、ようやく髪を刈ってもらいました。髪を刈ったあとは頭が寒くなるので、帽子をかぶっていったのですが、それもいらないほどの暖かさでした。
12月28日(金)日本ではきょうが「仕事納め」で、帰省ラッシュが始まり、空港は海外に出かける人たちで混み合います。こちらは31日まで仕事で、お正月休みも1日だけです。それでも、クリスマス休みで来ている他州からの車をかなりみかけます。
12月29日(土)来年になったら庭の木を切ってもらおうと思っていたところに、ツリーサービスの人がやってきたので、早速、枝が屋根に伸びている木3本をトリムしてもらい、屋根にくっついている木2本を根元から切ってもらいました。かなりスッキリしましたし、歩道や道路に伸びている枝があると、市から切るようにとの命令がきますので、これで当分は心配しなくて済みます。仕事をした人は三人でしたので、手際がよく、ずいぶん早く終わりました。
12月30日(日)きょうは教会の初期のころ一緒だったなつかしい方が教会を訪ねてくれました。とても日本語が上手で、そのころ、毎週説教の同時通訳を、原稿なしでしていました。その後、宣教師となって日本で働いていましたが、今は情緒的に不安定な高校生を教える学校で働いているとのことでした。長い年月を感じさせない良いまじわりができ、うれしく思いました。
12月31日(月)今年は、ビリー・グラハムやユージン・ピーターソンといった方々が亡くなった年でした。そんな中で、ある雑誌に J. I. パッカーへのインタヴュー記事が載っていました。92歳ですが、お元気なようです。のちほど、その記事をゆっくり読んでみたいと思っています。
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