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Philip の ちょっといい話

『ダ・ヴィンチ・コード』の「事実」と「虚構」(その4)

 ブラウンは彼の小説『ダ・ヴィンチ・コード』で、登場人物の口を通して、「聖書は天国からファクシミリで送られてきたのではない。…聖書は人の手によるものだということだ。神ではなくてね。雲の上から魔法のごとく落ちてきたわけではない。混沌として時代の史記として人間が作ったもので、数かぎりない翻訳や増補、改訂を経て、徐々に整えられた。聖書の決定版というものは、歴史上一度も存在していないのだよ。」と言っています。確かに、私たちが今持っている聖書は、最初からこのままの形で存在したのではありません。旧約聖書は、ユダヤの長い歴史の中で、さまざまな人物が、さまざまな時代に書き綴ったもので、それが39巻の書物としてまとめられたのです。旧約聖書は紀元118年のヤムニア会議ではじめて正典として認められたと言われることもありますが、そうではなく、紀元前にはすでに聖書として認められ、ユダヤ教の会堂で、神のことばとして朗読されていました。紀元前3世紀の半ばには旧約聖書のギリシャ語訳があったのですが、翻訳が存在するためには原典がなければなりません。今日、私たちが読んでいるのと同じ旧約聖書が、紀元前に存在していたのです。主イエスは、聖書が神のことばであることを認め、その権威を主張されました。主イエスは、聖書よりも儀式を守ることに心をとらわれていたユダヤ教サドカイ派に対しては、「あなたがたは聖書も神の力も知らない。」(マタイ22:39)と責め、聖書よりも自分たちの言い伝えを重んじたパリサイ派に対しては、「あなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。」(マルコ7:13)と非難しておられます。

 新約聖書は、ブラウンが言うように、紀元325年のニケーア会議ではじめて聖書になったのではありません。新約聖書の27の書物は、それが書かれた時から聖書として認められていました。使徒パウロの手紙の中には、旧約聖書からの引用とおなじく福音書からの引用も「聖書」としている箇所があります(テモテ第一5:18)。パウロが伝道をはじめたころにはすでに福音書が聖書のひとつとして扱われていたのです。使徒パウロは、自分の書いた手紙が教会で朗読されるように求めました(コロサイ4:16)。使徒ペテロは、パウロの手紙について、「無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」(ペテロ第二3:16)と言っています。こうしたことは、パウロの手紙が「聖書」として認められていたことを示しています。初代教会にやがてグノーシス主義という神秘宗教が入って来て、聖書に似せた様々な書物が書かれるのですが、初代教会は、何が聖書であり、何が聖書でないかをはじめから区別していました。ニケーア会議ではじめて新約聖書ができあがったのではなく、そこで、何が聖書であるかが確認されたにすぎません。

 キリストを信じる信仰には、それを欠くなら信仰が成り立たない重要な真理がいくつかありますが、聖書を神のことばと信じることは、そのひとつです。なぜなら、私たちは聖書によってはじめてキリストが神の御子であり、キリストの十字架が私たちの罪のためであったことを知り、キリストが死に勝利して、私たちのために救いを与えてくださったことを信じることができるからです。そして、キリストは、今も、聖書によって私たちに語りかけて、教え続けてくださっているのです。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと教勢と義の訓練とのために有益です。」(テモテ第二3:16)とある通り、聖書は、単に人手によるものではなく、神が、神のしもべたちの心に働きかけ、その手を用いて、私たちに与えてくださったものです。聖書は神の手による神のことばです。ブラウンがしたように、聖書が神のことばであることを否定することは、信仰の真理のすべてを否定することになるのです。(つづく)

(2006年9月)

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