Philip の ちょっといい話 |
教会のステンドグラスは、聖書のテーマを具体的に、あるいは抽象的に描いています。文字の読めない人々が多かった時代には、人々はステンドグラスに描かれたものを通して聖書のメッセージを学びました。ステンドグラスは、芸術であると共に教育の手段でもありました。ステンドグラスを見る人は、それによって、神からのメッセージを思い起こしたのです。
しかし、ステンドグラスは、教会の外から見ていても、すこしも美しくはありません。何が描かれているかすら分からないことがあります。しかし、教会の中に入ってそれを仰ぎ見ると、陽の光を通して、ステンドグラスは美しく輝き、そこに描かれたものをはっきりと見ることができます。ステンドグラスは、教会の中に入ってこそ、はっきり見えるようになるのです。そのように、神のこともまた、教会の中に入ってこそ、はっきりと見ることができ、神のことばも、教会の中でこそ、心に届くものとして聞くことができるようになるのです。私は、教会に行く前、聖書通信講座で聖書を学んでいました。神について、キリストについて良く理解することが出来ました。しかし、神の前に悔い改めてキリストを信じる告白に導かれたのは、やはり、教会に出席してからのことでした。洗礼(バプテスマ)を受け、教会のまじわりの中に迎え入れられ、教会の中で信仰を育てていただきました。もし、あなたがまだ教会においでになったことがなければ、思いきって教会にいらっしゃいませんか。教会の中でしか見えないものがきっとあるはずです。もし、教会から足が遠のいているなら、勇気を出して、教会に戻ってきませんか。教会の中でしか聞くことのできないものがあるはずです。
ステンドグラスは、昼には、教会の中から美しく見ることができるのですが、夜は逆で、そこに描かれているものは、外から見て、はっきりと分かるようになります。教会にあかりが灯る時、その光を通して、ステンドグラスは外に向かって輝くのです。これは、世の中が暗くなればなるほど、教会はその光を輝かせて、この世に、神の光を輝かせなければならないことを教えています。イエス・キリストが「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイの福音書第五章十六節)と言われた通りです。あなたも、教会に来て、キリストにあって光となる時、多くの人々に、教会を通して、光を届けることができるようになるのです。
(2004年9月)