USA Diary

January, 2017

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1月1日(日)午後、夕礼拝のかわりに「賛美の時」を持ちました。好きな讃美歌や思い出の讃美歌を持ち寄り、みんなで賛美しました。一時間で14曲を歌うことができました。こういった集まりをしたいと言っていた人はとても満足して「またやりましょう」と言っていました。みんなが選んだ賛美はどれも以前から歌い継がれているポピュラーなものばかりでした。新しい賛美にも良いものがたくさんあるのですが、やはり、時代を経ても廃れず、世界中で歌われているものには、人の心を神に向けるものがあることを改めて確認しました。「心へと 染み入る賛美 時こえて」
1月2日(月)月曜日は牧師の休日ですが、わが家のための買い物や庭仕事などがあります。ある牧師が「日曜日は主に仕え、月曜日は妻に仕える日」と言いましたが、どの牧師家庭も同じようだろうと思います。「わが妻に 主にするように 仕える日」
1月3日(火)とても寒くなりました。きのう、暖かくて庭仕事ができたのとは大違いです。今週は夜だけでなく、日中も氷点下になるとの予報が出ています。雨のあと氷点下になると道路が凍るのでたいへんですが、どうやらそれはなさそうです。「神の無い 人の心は 氷点下」
1月4日(水)隔月に行うようになった牧師祈り会をしました。教会に集まるのは、どの牧師からも遠いのですが、他に日本語のミニストリーをしている方が加わることを願って、教会で集まっています。きょうはペンテコステに合同礼拝をしようということになり、その案をそれぞれの教会に持ち帰ることになりました。「輪を作り 広げてともに 祈り合う」
1月5日(木)レントの黙想の準備をはじめました。七週分を六名で執筆しますが、執筆をお願いした先生方がこころよく引き受けてくださり、うれしく思いました。これを心待ちにしている方が多くいますので、良いものができるようにと祈っています。「十字架の 重さを想う レントの日」
1月6日(金)雪が降りました。どの家の屋根も白く雪化粧されました。柊に雪が積り、小鳥がそこにとまっています。クリスマスカードの表紙のような風景です。これがもう少し早ければホワイト・クリスマスになるのですが、当地では、クリスマスごろは、寒くはなっても、雪が降ることはあまりなかったようです。「雪の日に カードの絵柄 そのままに」
1月7日(土)私は、どうやら風邪をひいたようで、いっぱい着こみ、そばに加熱式の加湿器を置いて過ごしました。加湿器の水にカンフル液を少し入れると、上記とともにたちのぼり、効果があるので、私はいつもそうしています。「たちのぼる 祈りと蒸気 風邪いやす」
1月8日(日)きょうは人数の少ない礼拝になりそうでしたが、若い人たちが遅れてですがやってきて、ほぼ席が埋まりました。晩餐式のときは昼食を無しにしているので、何人かは韓国グロッサリーのフードコートに食事に行きましたが、私たちは晩餐式の余韻を大切にしたいので、教会でいくつかの所用を果たした後すぐに帰りました。「主を食し 味わう時間 今少し」
1月9日(月)今週のムービーアワーは「三丁目の夕陽」でした。終戦後、集団就職で町の自動車修理屋にやってきた女の子がその家で、また親に捨てられた男の子が売れない小説家の家で、それぞれ家族として迎えられる物語です。血のつながりをこえた家族の結びつきがほのぼのと描かれていました。私のこどものころの時代設定なので、「そう、そう、あのころあんなふうだった」と共感を覚える場面が多くありました。「映画見て こどものころを 思い出す」
1月10日(火)「レントの黙想」の私の担当分ができたので、他の執筆者の参考にしていただくために送りました。家内は「早いわね」と言っていましたが、私は他の執筆者のものも編集しなければなりませんし、今年は、英語で書いてくださる方がいるので、英語版を作るためにも時間がかかるので、自分の分を先にやっておかなければならないのです。「この世では 期日に追われ 日を過ごす」
1月11日(水)地域のネットワークに入ってからいろいろなニュースが入ってきます。犬がいなくなったとか、信頼できるガラージドアの修理業者を教えて欲しいとかいうのはまだしも、外に停めてあった車からものが盗まれたとか、夜中にドアをこじ開けようとした人がいたなどというのを読むと怖くなります。近所ではありませんが、同じ市内の銀行に強盗が入ったがすぐ逃げたなどのニュースがポリスからも届き、犯人の写真なども添付されていました。全体としてみれば平和で安全な町なのですが、一軒一軒の家ではいろんなことが起こっていることがわかります。「それぞれの 家に平安 守りあれ」
1月12日(木)粗大ゴミの処理場で火災があったため、年末、年始の粗大ゴミ回収が休止されていましたが、きょうから再開されました。きのう庭の落ち葉などを出しておいたのがすべて回収されていました。ゴミが片付くのは気持ちが良いものです。「今少し 精を出そうか 片付けに」
1月13日(金)きのう、きょうと、いままでにくらべて温かい日になりました。日本には寒波が訪れているそうです。子どものころ大阪に雪が積もったことがあるのを覚えていますが、めったにないことで、暖かい地方のほうが、雪に弱いかもしれません。皆さん、ご注意を。「慣れぬ雪 始末に疲れ もういやだ」
1月14日(土)雨がふりましたが、弱い雨です。それでも、恵みの雨で、助かっています。夕方、散歩に出かけました。道路を横切る信号に歩行者用の押しボタンがあるのですが、支柱から外されたままになっていました。誰かが意図的に壊したのかと思いますが、実際のところはよく分かりません。学校も始まっていることですから、早く修理して欲しいと思っています。「湿り気が 少しはあって 暖かく」
1月15日(日)来月、就職のため日本にいく人の歓送会をしました。Go In Peace は「歓送会の歌」というわけではないのですが、祈りの前にみんなで歌いました。何回か歌う機会があったので、みんなも少しは歌うことができるようになりました。「主のことば ゴー・イン・ピースを 胸に秘め」
1月16日(月)夕べは雷雨や竜巻の警報がありましたが、今朝はすっかり晴れてひさしぶりの青空となりました。家内が明日のドクター・アポイントメントを確認するため電話し、娘も定期検診のため電話したら、きょうはキング牧師の記念日でしたのに、両方とも電話が通じました。郵便やゴミの収集は休みでしたが、クリニックは休みではありませんでした。「トランプ氏 キング牧師に 何学ぶ」
1月17日(火)今年の「レントの黙想」の初稿が入ってきましたので、ページに収まるように編集しました。限られた字数にもかかわらず、それぞれに要点を得た原稿を届けてくださり、感謝しています。今年は執筆者の個性がより一層きわだった黙想集になりそうで、楽しみにしています。「十字架を たどる思いは みな同じ」
1月18日(水)祈り会で詩篇119篇を8節づつ黙想しています。6月まで続けるつもりですが、どなたも「黙想」に慣れていないようです。「習うより慣れろ」と言われるように、短い時間でもみことばに向き合う時を重ね、「黙想」とは何かを体得してもらいたいと思っています。「みことばと 語る方法 身に着けて」
1月19日(木)今度の日曜日に教会の年度総会があります。以前作った集会出席の統計プログラムがうまく動かなかったので、それを修復して、ようやく総会資料を作ることができました。「コンピュータ ゴミを入れれば ゴミが出る」
1月20日(金)トランプ大統領の就任演説を聞きました。詩篇133:1「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」を引用していました。大統領は、肌の色がどうあれ、われわれにはみな同じ赤い血が流れているとも言いましたが、この国で人々が見かけの違いをのりこえてひとつになっていけるようにと、演説を聞きながら思いました。「赤い血で 結ばれ生きる 四方の国」
1月21日(土)今週メッセージの準備は順調だったのですが、ビッグバン説や進化論のことをとりあげたので、翻訳が面倒で少し時間がかかりました。でもそれも無事に終え、年度総会のための報告書やレントの黙想の準備なども順調に進みました。「造り主 あっての世界 この私」
1月22日(日)教会総会を無事に終えることができました。全員は出席できませんでしたので、二ヶ月に一度開かれるプロジェクトミーティングで、今年の目標をどう実現していけるか、具体的なことがらを推し進めていきたいと思っています。「この年は 行事こなして 終わらずに」
1月23日(月)ダラス地方の情報紙「いろは瓦版」に、いままで、「アメリカの祝祭日」と「讃美歌物語」を連載してきましたが、今年からは「日常の中の聖書」というタイトルで、身近なところで使われている聖書の言葉をとりあげています。2月号には大統領就任式でのスピーチで引用された聖書の言葉の本来の意味について書きました。アメリカに住む日本人の皆さんに少しでも聖書に親しんでもらいたいとの願いで始めた連載です。しばらくの間続けてみたいと思っています。「御言葉に 親しみ学び 励まされ」
1月24日(火)稀勢の里が横綱になりました。久かたの日本人横綱に多くの人が喜んでいます。稀勢の里は、インタヴューの中で何度も、自分を育ててくれた親方のことに触れていました。相撲の稽古は厳しく、何度も親方からしごかれたことでしょうが、稀勢の里は親方への感謝を何度も口にしていました。今の時代では、ごく限られたところでしか見ることのできない師弟愛ですが、とても美しく思いました。「クリスチャン どこへ行ったの 師弟愛」
1月25日(水)祈り会で、男女に分かれて祈りました。私はもうひとりの男性と一緒でしたので、祈りの他に聖書の話をしました。それで祈りの時間が少し足らなってしまいましたが、それでも、聖書の話ができたのは有意義だったと思います。教会での話題が聖書のことでなくて、この世のあれこれというのは悲しいことです。「あたりまえ それがなくなる 差、寂しさよ」
1月26日(木)少ない髪の毛なのに、かなり伸びてきたので、床屋に行きました。内装がきれいになっていました。それと同時に料金も値上がりしていました。リモデル費用が料金に反映しているのでしょうか。次回は少し安い店に行ってみようと思います。「『きれい』より 『安い』がいいな 私には」
1月27日(金)2月はどの教会も活動が少しスローになるので、さまざまな研修会が行われます。いろいろと案内が来るので、行ってみたいと思っていますが、なかなか時間がとれないでいます。こういったものは余裕ができれば…と待っていたのでは、いつまでたっても参加できないでしょう。私には、もう少し賢い時間管理が必要です。「創りだせ 時間も金も 体力も」
1月28日(土)きょうもまた一週の終わりを迎えました。きょうは、比較的早く明日の準備を終えました。ほんの一時間の礼拝、たった20分のメッセージですが、準備には多くの時間がかかります。たくさん時間がかかったものほど、漬物のように「美味しい」礼拝やメッセージになるのでしょうか。「美味しくて 栄養もある 説教に」
1月29日(日)先週の礼拝メッセージでは「ビッグ・バン」をとりあげましたが、きょうのメッセージでは「DNA」を取り上げました。メッセージの前に専門家にアドバイスをいただきました。そういえば「ビッグ・バン」についても、アドバイスをお願いできる専門家を知っているのですが、最近出産なさったばかりでしたので、遠慮しました。いつか、こうした方々から、教会で「科学と信仰」について講演をしていただけたらと思っています。「創造の 知恵に驚く 信仰者」
1月30日(月)おひとりの方から「レントの黙想」の初稿が届きましたので、編集作業をしました。来週の月曜日にはもうおふたりからの初稿が届いて、第一次編集を完了したいと思っています。15日までには印刷も完了できればと願っています。「小冊子 産みの苦しみ 今年また」
1月31日(火)ここ数日、ずっとデスクワークが続き、散歩に行っていませんでしたので、夕方、少し遠くの店まで歩いて買い物に行きました。庭のホースのゴムのリングを買いました。税込みで1ドル7セント。安い買い物だったので、店員は愛想よくありませんでした。ここからは、以前、高いものを買っていますから、もうすこし、愛想よくしてもらいたかったです。「早足で 歩いて帰る 冬の夕」
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