USA Diary

September, 2020

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9月1日(火)コロナのために落ち込んだアメリカ経済もすこし立ち直ってきたようで、失業率も減少したとのことですが、テキサスは、いままで急成長してきた分だけ、回復も遅く、失業率も高いようです。テキサスではコロナの新規感染者のピークは超えたとはいえ、まだ、毎日3千人以上の感染者が出ていますので、早くこの数字が下がってほしいと願ってています。
9月2日(水)大学の通常授業が再開されたところではコロナの感染が広がりました。小中高校生と違って大学生は自由に行動しますので、そうなるのでしょう。通常授業からオンライン授業にもどしている大学も多いと聞きます。
9月3日(木)近いうちに自民党総裁選挙が行われますが、もう結果が分かっているようなもので、興味や関心が削がれてしまいます。アメリカの大統領選は共和、民主の両候補が拮抗しており、州ごとの総取り形式の「選挙人選挙」という独特な選挙方式なので、最後まで票を読めず、世論調査とは違う結果がでるので、とてもエキサイティングです。
9月4日(金)自民党総裁選挙に出ている石破茂氏は鳥取教会に属するクリスチャンなので、クリスチャンの中には期待する声もありますが、今回の選挙での当選は難しそうで、次を狙っているようです。彼の政策は、現在の自民党の主流とは違っていますので、将来総裁になり、首相になっても、自分の党から支持されるかどうかという心配があります。
9月5日(土)テレビのスピーカーが下向きについていて、音が鮮明でないので、「サウンドバー」と呼ばれる外部スピーカーを買いました。SONY の一番ちいさい製品で、音量はあまりでませんが、冷房がうるさいときでも、テレビの音がはっきり聞こえるようになりました。
9月6日(日)教会での日本語礼拝は、相変わらずの小人数です。教会があるプレーノ市が属するコリン郡は、コロナ感染者も少なく、教会も清潔、安全なので、もっと大勢の人に来てもらいたいと思っています。
9月7日(月)聖書黙想日課『日々の聖句』の原稿を諸先生方にお願いし、編集作業をはじめていますが、黙想の前に通読をしておきたいという声も多く聞き、聖書通読の手引き出版することにしました。きょうは一日、その編集作業をしました。
9月8日(火)8月末に雨が降ったので、また草が伸びてきました。それにキノコも生えてきたので、まずキノコを抜いて、あと目立つところだけ少しカットしておきました。来週涼しくなったら、きちんと草刈りをしたいと思っています。バックヤードは雑草だらけだったのですが、草刈りや枯れ葉の掃除をよくしたせいか、芝生が戻ってきたので、他のところもそうなればよいと願っています。
9月9日(水)キッチンの出窓に蜂の巣が四つもあるのに、ずっと気づかないでいました。今日は午後からずっと雨でしたが、雨が降り出すまえに蜂を退治し、巣を取り除いておくことができてよかったと思いました。こんなことは、今年はじめてで、気象の変化が虫たちの行動にも変化をもたらしたのでしょうか。そういえば、今まで賑やかだったセミの声は、もう聞こえなくなりました。
9月10日(木)カリフォルニアからテキサスに引っ越すときに、かなり多くの本を処分してきましたが、教会論や霊性神学に関係するものは大事にして持ってきました。きょう、そうした本を何冊か読み返しましたが、その中に、「リカバリー」に関するものがありました。私はリカバリー・プログラムのひとつ「12ステップ」を霊的訓練に結びつけ説教したことがあり、最近その12回の説教を Penguin Club Booklet としてまとめたばかりでしたので、その本を見て、わが意を得たりという気持ちになりました。
9月11日(金)私が師事したケヴィン・ジョイス先生も、スピリット・サイト・リトリートで「12ステップ」を強調しておられ、お母様がリカバリー・プログラムについて証しをしておられたのを思いだしました。
9月12日(土)テキサスに来てからは、In His Presence Reterat に出ただけで、リトリートから遠ざかっていました。そんな中で南カリフォルニア・クリスチャン・リトリートに参加し、今年は、オンラインでしたがメッセージの奉仕もできました。感謝なことです。
9月13日(日)きょうもいつものように礼拝をささげることができました。都合があって来れなかった人もいて、きょうも少ない人数の礼拝でしたが、神さまが人を送ってくださることを信じて続けていきたいと願っています。
9月14日(月)「クリスチャニティ・ツゥディ」の前編集長マーク・ガリ氏がカトリック教会のメンバーになりました。こういう人々を ERC(Evengelical to Roman Catholic)というのだそうですが、ERC の中には、Elizabeth Ann Seton、John Henry Newman、G. K. Chesterton、Francis Beckwith、Tony Blair、Scott Hahn などの著名な人々がいます。Hank Hanegraaff 氏はカトリックではなく、オーソドックス教会に移りましたが、それぞれに動機があり、理由があったことだろうと思います。また、カトリックから福音派に移るひとも多くいます。福音派とカトリックというと両極端のように思われがちですが、互い惹かれあうものがあるのは、よく理解できます。
9月15日(火)福音派の人がカトリックに心ひかれる理由のひとつは、礼拝の美しさだと思います。カトリックの礼拝は、初代教会の礼拝の形式をとりいれ、天の礼拝をできるかぎり再現しようとしています。それにくらべ福音派の礼拝は、歴史的要素に乏しく、かならずにも天を仰がせてくれるものではありません。よく構成されたミサには形式美があり、会堂や式服もそれにサポートしています。「美」という要素は礼拝において忘れられてはならないと思います。
9月16日(水)福音派の人がカトリックに心ひかれるのには、カトリックの学問に対する度量の広さがあります。福音派には知的なものをあまり重んじず、神学する人の層が薄いように思います。福音派は個人の救いを強調し、それが、福音派の良いところだと思うのですが、カトリックには、個人とともに社会や自然、世界などをも含めた全体的な知的作業があります。
9月17日(木)福音派の人がカトリックに心ひかれるのは、その豊かな霊性にあると思います。福音派も近年、ようやく、霊性の神学に注目するようになりましたが、カトリックには、長い歴史を通しての霊性の神学の蓄積があります。カルヴァンの恵みの神学がアウグスティヌスからの引用であったように、福音派の霊性の神学も、ある意味ではカトリックからの引用だと思います。そして、たとえ、組織的、神学的に違っていても、この霊性という分野では、福音派もカトリックもひとつになることができると、私は信じています。
9月18日(金)マーク・ガリ氏のカトリックへの転向は、ガリ氏にとっては「転向」というよりは、彼が追求してきたより広い世界へと進んでいったことであり、自然なことであったでしょう。私は常に、福音派とカトリックのこと、ERC と呼ばれる人々のことを考えています。教会の歴史で、宗教改革とは何であったのかという答を、ERC の人々を通して学びたいと思っているのです。
9月19日(土)前編集長マーク・ガリ氏のカトリック教会への移行を報じた「クリスチャニティ・ツゥディ」は、そのことについて、ホイートン大学ビリー・グラハム・センターのディレクター、Ed Stetzer 氏のコメントを載せています。その中で Stetzer は福音派の弱点を五つほどあげ、福音派に反省を促していますが、同時に、福音派ならではの宣教への情熱と実績を称賛しています。Stetzer 氏がマーク・ガリ氏に理解を示しながらも、なお福音派にとどまっているのは、「宣教」という大事業がるからだと言っています。
9月20日(日)『日々の聖句』は、アメリカ各地で日本語伝道をしておられる牧師たちに書いていただきたいと、私の知るかぎりの先生がたにお願いしましたが、お返事がなかったり、お断りがあったりで、目標にしていた10名の執筆者を得ることができませんでした。また、共同執筆のため Google Dociment を利用することにしたのですが、私よりも若い先生がたでも、クラウドを利用した共同作業に慣れておられないので、順調なスタートとはいえない出発をしましたが、月を追うごとにひとつの形ができてくるだろうと思っています。このコロナ禍で小さな教会もインターネットの活用に目覚めていますが、文書の共同編集はまだ牧師たちの意識には乏しいようです。
9月21日(月)低気圧の通過で嵐になるのではと心配されていましたが、きょう午後から降り始めた雨は静かな雨となりました。7年間使ったトリマーが壊れて、歩道沿いにはみ出た草の処理が残っていましたが、午前中に新しいトリマーを買って、雨の降る前に処理を終らせました。
9月22日(火)きょうも静かな雨でした。娘をチェックアップのためクリニックに連れていきました。ダラスのクリニックが閉鎖しているので、同じグループのプレーノのクリニックに行きました。新しいドクターですが、娘と相性があいそうです。テキサスで最初にかかったドクターとはうまくいかなかったので、評判のよかったドクターにかえ、よくしてもらったのですが、彼女はリタイアして別の仕事をするようになりました。次のドクターもそこを辞め、今回のドクターとなりました。個人経営のところだとドクターがかわることはありませんが、グループ経営のところだとドクターがかわることが多いようです。できれば、同じドクターに長くみてもらえればと思っています。
9月23日(水)雨はあがりましたが、テキサスには似合わない曇り空で、気温もそんなに上がりませんでした。いままでガンガン鳴っていたわが家の冷房も休止中です。これから過ごしやすい時期を迎えますが、11月になったらこんどは暖房が回り始めます。
9月24日(木)ダラス郡の新型コロナ・ウィルスの感染リスクは四段階に分かれており、今までは最もリスクの高い四段階目だったのですが、ようやく三段階目まで下がりました。郵便番号別のリスク度では、わが家のある地域は、一番安全な地域になっています。しかし、感染の終息はまだまだのようです。
9月25日(金)アメリカの連邦最高裁の判事は9名いて、終身制です。判事が引退するか亡くなった場合、欠員は大統領が指名し、上院が承認します。今回、トランプ政権になってから3人目の判事が任命されようとしていますが、民主党はこれを阻止して、自分たちの大統領候補が大統領になったら、民主党の政策に近い人を判事にしたいと考えいるようです。トランプ氏の判事任命を評価する人が多いので、これも大統領選挙に影響を与えそうです。
9月26日(土)『日々の聖句』の新シリーズの最初の号になる12月号の最終校正をしました。直したつもりでも、直ってしないところがたくさん見つかりました。「校正」の仕事は地味ですが、大切なものだと思いました。「校正」とともに、書かれている内容の正確さを検証する「校閲」も大切です。聖書にかんするものでは、引用箇所、人名、地名、年代などが正確かどうかなども検査する必要があります。
9月27日(日)礼拝から帰ってきて、いつものようにメッセージのアップロード作業をはじめたのですが、とても眠くなったので、昼寝をしてから再び作業にとりかかりました。夜中に停電し、そのことで目が覚めたので、睡眠不足で疲れてしまったのだろうと思います。
9月28日(月)きょうは近所で買い物をしました。けれども、ここでは買い物リストにあるもののうち、いくつかは買えませんでした。一軒だけで全部間に合うということはめったにありません。しかし、店をはしごしていると、時間ばかりかかります。それなら、ウェブでオーダしてピックアップしたらと思うのですが、グロッサリーをウェブオーダで買うのは不安です。
9月29日(火)大統領候補者の討論会。トランプ氏に勢いはありましたが、ルール無視。そのうちバイデン氏も感情的になって、まるで子どもの喧嘩のようになりました。次回は有権者からの質問に答える形式で行われるので、今回よりも良くなるだろうと思われますし、良くなってほしいと思います。
9月30日(水)「日々の聖句」印刷版の12月号の発送を始めています。大勢の方から注文があって、使ってもらいたいと願っています。明日からは1月号の執筆期間になります。また、2月の聖句も選んで、執筆をお願いしなければなりません。小さな出版物ですが、毎月のことですので、けっこう忙しくなります。
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