9月1日(土)日本はロシア、中国、韓国と領土問題でギクシャクしています。平和的に解決しようとすると、弱腰だと言われますし、強硬に主張し続ければ最後は戦争になってしまいます。外交というものは難しいものです。外交官の苦労を察せられます。
9月2日(日)ある会社のカタログは670ページもあって、電話帳のようにずしりと重いのですが、私は時々眺めては楽しんでいます。この会社から「印刷版を希望しますか?」という質問がきました。おそらくウェブ版カタログにしようと計画しているのでしょう。私は印刷版を希望しましたが、さて、印刷版が今年は届くでしょうか。
9月3日(月)8月31日に、キリスト教放送局 FEBC の60周年記念番組で「礼拝の豊かさへの挑戦」という放送がありました。私はインターネットで聞きました。日本基督教団秋田楢山教会牧師の川島隆一先生が、秋田の地で、礼拝とは何かを問い続け、あるべき礼拝の形を作りあげてこられたことを聞き、とても感銘を受けました。先生が「イベント型」から「礼拝型」の教会へと変えられていくこと、そこでキリストに出会い、そこから宣教に遣わされていく聖餐を守ることを目指し、それを実践しておられることを聞き、うらやましく思いました。私も、同じことを目指しましたが、みごとに挫折してしまったからです。先生のように「礼拝とは何か」を教会員とともに、じっくりと学ぶことができなかったからだと思い、反省しています。
9月4日(火)9月2日の FEBC の礼拝収録番組も秋田楢山教会の礼拝でしたので、聞いてみました。9月2日の放送でしたが、実際は5月6日の礼拝でした。川島先生の説教はフォーサイスやボンフェッファーが引用される、きわめて堅実で、心探る説教でした。テレビの話題やスポーツの話題ではなく、フォーサイスやボンフェッファーの引用を聴衆が聞いて喜んでいるという姿を思い浮かべ、この教会はなんと霊的に成長した教会だろうと思いました。120年の歴史がある教会とのことですが、世代から世代へ信仰がしっかり継承されていることを感じさせてくれる礼拝収録番組でした。
9月5日(水)川島先生は東京神学大学で学んでいたとき、アメリカのディサイプルズ・オブ・クライストの流れを組む滝野川教会で研修を受け、そこで毎週聖餐を守る礼拝に触れたのですが、私は、この滝野川教会から出版されていた「形成」という雑誌をずっと取って読んでいました。「形成」は日本キリスト教団の混乱の時期に、「破壊ではなく形成を」を掲げて発行されていたもので、小さな雑誌ですが、赤木善光、左近 淑、大木英夫、熊沢義宣、松永希久夫など、日本の指導的な牧師たちの寄稿があり、私は、おおいに刺激を受けました。川島先生と共通のものを多く見出し、うれしく思いました。
9月6日(木)川島先生の牧会について知るため、秋田楢山教会のウェブページに入ってみました。2006年アドベントから始まって2009年に完結した「旅する教会」の説教シリーズと、2009年から現在も続いている「十字架への道」シリーズの説教要約がありましたので、ダウンロードしました。また、「礼拝のしおり」や、31日分の朝・夕の祈りをまとめた「祈祷書」ファイルもダウンロードしました。貴重な参考書になることと思います。
9月7日(金)オバマ大統領が民主党の大統領候補指名受諾演説をしました。オバマ大統領は中絶や同性婚を支持しているので、「生命」や「家族」を大切にしたいと考える人々からは好意を持たれていません。協和党との違いをきわだたせようとしているのかもしれませんが、選挙運動中に発言したことは実際の政治に反映されていきますので、推移を見守りたいと思っています。
9月8日(土)きょうで USA Diary はちょうど5000日目になりました。1999年1月1日から14年近くかかっています。「ダイアリー」と言っても、その日の出来事をきちんと記録しているわけでもなく、誰かに読んでもらうことを想定しているわけでもない「モノローグ」のようなものですが、書くことによって自分の考えをまとめ、発展させたいと思っています。10000日目になるまで再び14年かかります。それまで続けられるでしょうか。
9月9日(日)公園で教会ピクニックのため、日本語の礼拝はピクニック会場で野外礼拝にしました。午前中出席できなかった方、数名と夕礼拝も守りました。
9月10日(月)先週録音した川島先生の番組を教会役員に聞いてもらうため、録音の複製を作りました。礼拝式順のことを話しあっているので、参考にということなのですが、実は、役員の方たちにいちばん聞いて欲しいのは「イベント型から礼拝型へ」の部分です。「そういう話は好きではない」と反発が返って来るかもしれませんが、真理探求は「好きか、嫌いか」の問題ではないと思います。しかし、そういう私にも「好き、嫌い」があるので、自らも反省していきたいと思っています。
9月11日(火)きょうは、北カリフォルニアの牧師会でした。11年前の9月11日も火曜日でやはり牧師会がありました。その牧師会に出かけるまえに、あの同時多発テロが起こったのです。あのときは、牧師たちみんなで祈ったのに、きょうの牧師会では「9・11」のことは話題にあがりませんでした。とても残念に思います。
9月12日(水)夜の祈り会にいつも出ているメンバーが三人とも出ることができず、少ない人数で祈り会を守っています。しかし、信仰をひとつにして祈り合えることをうれしく思っています。数が増えても、心をひとつにしていける、そんなまじわりが教会に育つようにと願っています。
9月13日(木)きょうは、家内とふたりで出かけることになり、帰り道、車の中で喋っていたら、フリーウェーを降りるところを間違えてしまいました。勘違いをして、ひとつ早く降りて別のフリーウェーに入ってしまったのです。ちょっと迷ってしまいました。きょうは初めて行くところだったので、GPS を持っていっていましたので、それで道を確認して無事に帰ることができました。
9月14日(金)夏休み明けの「いずみ会」はスタッフの三人とも日本に行っていて、参加者も少なかったのですが、様々な話題が出て、良い話し合いが出来ました。出た話題のどれも掘り下げて考えてみたいものばかりでしたが、聖書の主題に戻って、話をまとめました。そのため終わるのがいつもより遅くなってしまいました。
9月15日(土)Amazon.com での買い物は今までセールス・タックスがかからなかったのですが、カルフォルニアのでは、きょうからタックスがかかるようになりました。サンノゼのタックスは 8.375% ですので、それを考えて買い物をしなければなりません。こうなると、ローカル・ストアで買っても値段はあまり変わらなくなるでしょう。ローカル・ストアの販売が少し伸びるようになるかもしれません。
9月16日(日)きょうも夕礼拝を持ちました。リモデル工事が完成しなければ、9月一杯は夕礼拝を続けることになるかと思います。高齢者中心の小さな礼拝でしたが、信仰の先輩がたとささげる礼拝もまた麗しく、良い時を持つことができました。
9月17日(月)きょうのムービータイムには「しゃべれども、しゃべれども、しゃべれども」を観ました。まだ二つ目の落語家の物語で、古典落語一筋の青年のひたむきな生き方がうまく描かれていました。英語のサブタイトルがついていたので、それを見ながら、ついでに英語の勉強もしました。日本のビデオに英語のサブタイトルがつくようになったのは、ごく最近のことのようです。日本にも外国の人が多くなったためや日本映画を世界に広めるためかもしれません。それは良いことだと思います。
9月18日(火)日曜日にルドルフ・シュタイナーの「ヨハネ福音書講義」という本を貸してもらいました。シュタイナーは神秘主義者のひとりで、彼の影響のもとに The Christian Community(キリスト者共同体)という宗教団体がつくられていることを知りました。この本は伝統的なキリスト教による聖書講義とは違いますが、何かを学ぶことができると思いますので、時間がとれるときに読んでみようと思っています。
9月19日(水)けさの祈り会では「水曜日の午前中に仕事の空きができたので、祈り会に来ました」という、うれしいあかしを聞きました。その人のためにも、良い祈り会でありたいと思います。
9月20日(木)夜の教会役員会の議長が会議に遅れるので、議長の代役が私に回ってきました。日英合同の部はいつも長くなるので、議長特権で議事を早く進めたつもりですが、リモデルの報告や役員たちの写真撮影があって、30分延長してしまいました。けれども、和やかに話すことができたので、良かったかと思っています。
9月21日(金)きょう、フォトディレクトリーのため家族写真をとってもらいました。今回のカメラマンはわりとあっさりした人で、そんなに注文も多くなく、私たちも写真を買うつもりはありませんでしたので、さっさと済ませてきました。
9月22日(土)ニューメンバークラスは先週から4名になったのですが、そのうちのひとりが仕事で日本に行っていますので、今回と次回は3人になります。短い時間なので、要点だけを学ぶようにしています。
9月23日(日)夕礼拝には午前中仕事のため来れなかった人が参加できました。また、夕礼拝に来るつもりだった人が、「夕方になると疲れて来れないかもしれないから、朝に来ました」と言って朝の礼拝に出ました。それぞれ、しっかり礼拝を守りたいという気持ちを見ることができ、うれしく思いました。
9月24日(月)きょうは、教会のウェブページ、夏期修養会のウェブページ、牧師リトリートのウェブページ、そして自分のウェブページなどの仕事をしました。コンピュータのディスプレーをずっと見ていると、とても目が疲れます。夜目薬をさして眠りました。
9月25日(火)きょう、8時の礼拝に来ている人たちが、教会の一室に昼食を用意してくださり、牧師たち三人でごちそうになりました。まるでレストランのようにテーブルをセットアップして、音楽まで流れていました。「食べ終わっても片付けないでそのままにしておいてください」とのことでしたので、サンキュー・ノートを残してそれぞれ自分たちのところに帰りました。チップを置きたいほどでしたが、それはしませんでした。
9月26日(水)礼拝堂のリモデルがようやく見える形で進んできました。私は個人的には白い壁よりも、ベージュのような暖色が好きなのですが、礼拝堂の壁はいままでどおり白い壁になりそうです。長椅子もそれにあわせて、薄い色に仕上げてもらうよう発注してあります。椅子が入れば雰囲気が変わるかもしれません。
9月27日(木)礼拝堂が仕上がっていく様子を見るのは楽しみであると共に、どんなふうにして壁や仕切りを作るのかが分かって、好奇心を満足させてくれます。それを真似て自分で改造をするわけではありませんが、私は、こどもの頃から、職人さんが仕事をするのをじっと見ているのが好きでした。
9月28日(金)教会では、聖書を学ぶスモール・グループの司会、進行をどうすすめたら良いかという勉強会が始まっています。これは、あるクラスを任された人から「自信がないから、研修会をしてほしい」という希望があって、行われることになったものです。そういう学びをした人が準備をしてやってくれています。これが役立つことを願っています。
9月29日(土)きょうのニューメンバークラスは、もうひとりが旅行中なので3人でしたが、正確に言えば、一組の夫妻の子どもがふたりですから、5人の出席でした。D.L.ムーデーが「きょうはふたり半、来ましたよ」と言ったとき、それを聞いた人が「大人ふたりに子どももひとりですね」と答えたので、ムーデーは「いや、大人ひとりに子どもふたりだよ。大人は人生の半分が終わっているからね」と説明したそうです。子どもへの伝道を重んじたムーデーらしいことばだと思います。
9月30日(日)きょうの午後、別の教会で地域の教会の協力会の集まりがあったのですが、夕礼拝があるためお休みしました。かわりに教会役員の方が参加してくれました。きょうの夕礼拝では、小さなテーブルを用意し、それを聖餐卓にし、そのまわりを囲んで礼拝をささげ、聖餐にあずかりました。聖餐でキリストのからだを受けて、教会がキリストのからだになっていくということを、少しは表現できたかと思います。
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