USA Diary

September, 2010

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9月1日(水)今週届いた本のうちの一冊は John Stott の "The Radical Disciple" でした。これは John Stott が 2007年4月、86歳ですべての公務から引退したあとにまとめたもので、著者が「これでペンを置く」と書いているように、Stott の最後の著作です。彼はこの本で、キリストが主であり、キリスト者が弟子であるなら、キリストの教えたとおりに実行しなければならない。今日のキリスト者は主イエスに聞き従う弟子であるだろうかという問いかけから始まっています。「従う」ということが忘れられている現代に Stott は反省を促しているようです。
9月2日(木)John Stott が "The Radical Disciple" で取り上げている「訓練」は「妥協しないこと」、「キリストに似た者になること」、「成熟」、「被造物を大切にすること」、「シンプルな生活」、「バランス」、「信頼」、「死」の八つです。「妥協しないこと」を第一に挙げているのは、真理はひとつではないとする「多元主義」、霊的なことよりもモノを大切にする「物質主義」、絶対の道徳規準はないと言う「道徳的相対主義」、他者のことよりも自分のことを優先させる「自己愛」などが蔓延しているからです。初代教会が直面した迫害の時代ばかりでなく、現代はもっとキリストの弟子として従って生きていくには難しい時代なのだということを心しておきたいと思います。この本はポケット版の小さな本なので、分量的に読むのに苦労はしませんが、内容的には決して軽いものではありません。いろんな人にギフトとして差し上げたいと思う本のひとつです。
9月3日(金)もう一冊は Tim Gray の "Praying Scripture for a Change" で Lectio Divina の入門書です。Lectio Divina は古来からのデボーションの方法ですが、著者によると Carthusian の修道士 Guigo du Chstel(1083-1137)が「天にいたる四段のはしご」として紹介したものとのことです。この本の中にも紹介されていますが、Carthusian 修道院の様子を映画にした "Into Great Silence" は以前から見たいと思っていたフィルムです。修道士の生活の中から生まれた Lectio Divina ですが、プロテスタントでも Read, Reflect, Respond, Rest の四段階のデボーションとして紹介されています。この本はこの四段階をきちんと解説しており、これも多くの人に紹介したい良書のひとつです。
9月4日(土)私が Lection Divina にこだわるのは、私たちの祈りが、自分の願いを神に申し上げるだけで、神が聖書から私たちに語りかけてくださったことを聴き、思い巡らし、それに答えるものになっていないのではと思うからです。祈りが神との対話であるなら、まず、神に聴くことから始めなければならないはずです。どの聖書の箇所を読んでもそのあとの祈りが同じというわけであるはずがありません。ところが、祈り会などでは、今、学んだばかりのみことばへの応答の祈りがすこしもなく、いつものように決まりきったことばが並べられるということが多くあります。ですから「祈りを唱える」だけで終わらないで、ほんとうに「祈る」こと、神の臨在の中に憩うことを Lection Divina から学びたいのです。
9月5日(日)礼拝後リタイアメントホームに、ある人を訪問しました。それが終わってパンダ・エキスプレスでお昼に食べるものを買って帰りました。ファーストフードなので味は期待していなかったのですが、実際食べてみたら結構良い味でした。買ったのは娘の好物のチャオメンでした。
9月6日(月)家内と一緒にグロッサリーに買い物に行きました。レイバーデーなので店は混んでいましたが、必要なものでセールのものがあまりなく、いつもより少ない買い物となりました。
9月7日(火)北カリフォルニアの牧師会があり家内もいっしょに行きましたが、家内は友人宅に、私は牧師会後、先輩牧師のところに行きました。帰りに再び落ち合って、いっしょに家に戻りました。それぞれに良い時を過ごすことができました。
9月8日(水)緊急の電話などがあり、応対に慌しく過ごした一日でした。英語部の牧師も土曜日のメモリアルサービスの準備のために忙しくしており、私が夜の祈り会のために来たときもまだ教会にいました。
9月9日(木)夜の宣教委員会では、宣教委員会のポリシィを作るためのマニュアルを勉強しはじめました。よく書かれたマニュアルでとても参考になりました。
9月10日(金)月一回の「使徒信条の学び」で、きょうは「御子」について学びました。キリストは人となって生まれイエスと名づけられる以前から神の「御子」として存在しておられたことをラテン語の Gloria を鑑賞しながら学びました。はじめて聴いた人からも「グレゴリアン・チャントっていいですね」という反応を聞きました。時代や文化、民族を越えて人の心を打つ賛美というものがあるのです。そうしたものを古いからというだけで葬り去るのは、なんとも残念です。
9月11日(土)メモリアルサービスがありました。遺族の方が最後の挨拶のときに「私たちの救い主は素晴らしいお方です」と話してくだったのに感動しました。お別れするとき、その方にそのことへの感謝を述べたら、喜んでくれました。
9月12日(日)きょうはピクニックのあと近隣の教会で持たれている「霊性セミナー」に行きました。昨年度もこの時期に9回行われ、多くの人々が集まりました。大部分が昨年に続いて出席している人たちでしたが、新しい人たちも加えられていました。今年は去年とは違ったテーマで、テキストブックの紹介もありました。さっそく注文してみようと思っています。
9月13日(月)ある牧師が「コーランを焼く会」を呼びかけましたが、世論にたたかれ、アフガニスタンのアメリカ軍司令官や大統領も介入し、それを引っ込めました。9・11 を前にしてのパフォーマンスなのかもしれませんが、アメリカのイメージを低めたことは否めないと思います。
9月14日(火)インドネシアといえば、私の神学生時代に福音伝道が進み、リバイバルが起こったのですが、今は伝道の制限があり、教会の集まりができなくなりつつあり、教会の指導者が襲撃されるといったことが起こっています。インドネシアのクリスチャンが守られるよう祈りました。
9月15日(水)きょう Elias Chacour 師が書かれた "Blood Brothers" が話題となりました。この方はパレスチナ地区のギリシャ・カトリック教会の大司教で、アラブ人とイスラエル人との和解のために数多くの働きをしてこられた方なのですが、私は、うかつにもそのことを知りませんでした。それでさっそく本を注文しました。電子版ならその場ですぐ手に入るのですが、私はまだ Kindle を持っていませんので、本が届くまで一週間ほど待たなければなりません。
9月16日(木)先週木曜日にサンブルーノという町で大きな火災がありました。この町はサンフランシスコ空港の近くなので、ラジオニュースでは、最初飛行機が墜落したのではないかと言っていましたが、すぐに、これがガス管の爆発によることがわかりました。老朽化したガス管からガス漏れがして爆発したのですが、住民からは「ガスの臭いがする」ということがガス会社に通知されていたにもかかわらず、ガス会社がそれに対応しなかったのが事故につながったようです。昨日はカリフォルニア知事も視察に来ましたが、カリフォルニアは難問を数多く抱えており、知事も頭が痛いことです。
9月17日(金)英語会話のクラスが再開されました。毎月第三金曜日にはショートメッセージを頼まれており、きょうは神さまの創造について話しました。聖書のはじめは創造を語っており、創造は信仰の出発点であり、土台です。創造主である神さまを知ってほしいと願って話しました。
9月18日(土)クリスマスのための聖歌隊練習がありました。聖歌隊は今年のサンデースクール・クリスマス・セレブレーションとクリスマス礼拝で奉仕しますが、サンデースクール・クリスマス・セレブレーションの日程はまだ決まっていません。昨年、日曜日にという意見も出ましたが、さまざまなことを総合して考えると、例年どおり土曜日のほうが良いかと思っています。
9月19日(日)きょうは「いやし」についての2回目のメッセージをしました。神のみわざは、ニード・ベースで表れるので、「いやし」への渇望が教会に集う人々のうちにあるのかわかりませんが、こころを病んでいる人々の多い時代ですから、きょうのメッセージがそれらの人々に役立つよう願いました。
9月20日(月)注文してあった "Into Great Silence" が届いたので、今週のムービー・タイムはこれを観ることにしました。修道院の日々を、修道士たちの生活を妨げないように撮ったものです。そのため最小限の機材で撮影したようで、画面はかならずしも綺麗ではありませんが、修道士たちの真剣な祈りの生活を垣間見ることができ、心洗われる思いがしました。3時間もの長い映画なので、きょうは前半だけにし、後半は来週にでもと思っています。
9月21日(火)DVD に続いて注文してあった本も届きました。私は Amazon の Used DVD、Used Book を利用するのですが、送られてくるものはほとんど新品同様で、新品の四分の一程度の値段なので、とても助かっています。
9月22日(水)先月、ケーブルテレビの会社に、「デジタルテレビが良く入るようになったので、ケーブルTVを解約したい」と言ったら、私の場合、インターネット接続も同じ会社で、ケーブルTVを解約するとインターネットの料金が上がりますよと言われました。それで、ケーブルテレビの契約をそのままにしました。ケーブルでもデジタル信号が流れていて、アンテナよりもデジタル放送がきれいに写りましたので、解約しなくて良かったと思いました。けれども、そのとき、ケーブルTVの解約を取り消したというのでディスカウントをもらいました。きょう送られてきたケーブルテレビの会社の請求書にそれが反映されていました。まったく期待していなかったディスカウントでした。電話の相手を恐れずに何か言ってみるものですね。
9月23日(木)きょうは英国から来たという中東の青年に会いました。英国ではクリスチャンの信仰に触れる機会がなかったとのことでしたが、アメリカに来て、聖書を学び始めました。一般の日本人にくらべ、霊的なものや信仰に深い関心があり、理解の早いのは、中東のひとびとの宗教的背景が日本人のそれとは違うからでしょうか。
9月24日(金)この日曜日には「からだのいやし」について話します。大きな主題なので、すべてをカバーできませんので、主イエスが人々をいやされた目的にしぼって話すことにしました。聖餐があるので、病をになってくださったイエス・キリストのお姿をさししめすことができるようにと、準備をしました。
9月25日(土)「伝えておきたいこと」と題して戦争体験を語る会を教会で行いました。若い人たちも出席し、体験をわかちあった三人の話に熱心に耳を傾けていました。三人のどなたも、30分の制限時間の中ではとてもすべてを語りきれず、会は午後にずれこみました。来月は女性の方々から同様の話を聴く会になるかもしれません。
9月26日(日)午後から「ぼくはうみがみたくなりました」という映画の鑑賞会がありました。高校時代好きだった人を白血病で亡くした女性がふとしたことで自閉症の青年とその青年の幼稚園の園長夫妻に出会い、自閉症への理解を深め、自分の人生を見つめ直すという物語でした。城ヶ島を舞台に丸一日の間に起こったできごとの中に様々な要素を盛り込んだ作品でした。ところで、城ヶ島ってどこだったろうかと調べてみましたら、神奈川県三浦市でした。北原白秋の「雨はふるふる、城が島の磯に、利休鼠の、雨がふる」という「城ヶ島の雨」の歌で有名なところですが、まだ行ったことはありません。この映画を見て行ってみたくなりましたが、北原白秋が歌ったときのような風情はもうなくなっているでしょうね。
9月27日(月)訪米中のクリエーション・リサーチ・ジャパン・アドバイザーの宇佐神実先生とお会いしました。短い時間でしたが、ヒューマニズムの問題点ついてなどを夕食を交えて話し合うときが与えられました。その中で聖隷事業団の長谷川保氏がどんな権力者に対しても正しいと信じることを貫き通したという話を聞き、とても励まされました。
9月28日(火)きょうは9月末とは思えないほど暑い日になり、各地で過去数十年間の最高気温の記録が塗りかえられました。駐車場の車に向かうときの暑さ、熱せられた車のシートに座ったときの感覚は、ダラスにいたときのそれに近いもので、二十年前のことを思い出しました。
9月29日(水)白百合会での寸劇、敬老礼拝への招待状、コンサートのポスター、サンクスギヴィング・レターなど準備をしなければならないことがたくさんあった一日でした。しかし、きょうは朝、夕の集会のある日で、そのために使うことができた時間はほんのわずかで、たくさんのことがやり残したままになってしまいました。
9月30日(水)宇佐神実先生とはいつもヒューマニズムの問題点を話し合います。ヒューマニズムは人間を大切にするのだから良いことなのだという響きがあるので、ヒューマニズムを敵にまわすのはとてもやっかいです。むしろ、仲良くやるほうが賢いかもしれません。しかし、人間から出発して人間に帰っていく「人本主義」は聖書とは相容れないものと思います。この思想闘争はキリストの教会にとって永遠の課題のように思います。
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