USA Diary

September, 2007

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9月1日(土)手術後の傷が痛みますが、なんとか明日のメッセージの準備を終えることができました。Taize スタイルのミュージック CD を注文してあったのが木曜日に届いたので、静養中ずっと聴いていて、とても慰められました。この祈りの賛美が私の回復を早めてくれたように思えました。
9月2日(日)今日は礼拝後、すぐに家に返してもらいました。日曜日の午後1時前に家に帰ってきたのは、ヴァケーションの時以外の新記録です。いつもと同じようにメッセージを教会のウェブページにアップロードする仕事をしました。きょうのメッセージは、アップロードしたメッセージの第300「個」目になりました。最近、若い人たちは何でも「個」をつけて数えますので、私もそう書いたのですが、正しくはどう言ったらいいのでしょうか。
9月3日(月)今月の写真は先月参加した Prayer Retreat の会場で見た鹿の写真です。リトリートが終わって数週間たちますが、このリトリートも、リトリート会場も、谷川の流れを慕う鹿のようだった私の霊的な渇きをいやしてくれるものでした。この数年、他のリトリートに満たされないものを感じていましたが、ようやく霊的なリトリートに、しかも身近なところで巡りあうことができ、ほんとうにうれしく思っています。
9月4日(火)きょうは、他の牧師のヴァケーションのためもあって中断していたスタッフミーティングもあるので、教会に行きました。腹部になにか入っているような鈍痛を感じましたので、用心しながら仕事をしてきましたが、保存してあったファイルが開けず、またタイプしなおすということなどもあり、あまり仕事のはかどらない一日でした。
9月5日(水)水曜日の聖書の学びが再開されました。きょうは、みんなで夏休み中の体験をシェアしあい、これから一年間使う教材の説明をしました。この教材は、はやくから準備しておいたので、突然の手術でも困ることはありませんでした。来週から第一回目がはじまります。最初は慣れないかもしれませんが、会をかさねるごとに内容が深められていくようにと願っています。
9月6日(木)手術から一週間がたって、体調もようやくもとにもどりつつあります。けれども、午前中はなんとかいいのですが、夕方には、さすがに疲れが出ます。きょうのシニア・グループの集まりで Living Will の話が出て、そこから葬儀の準備について話が進みました。以前から、その方とは、そのようなことになったときどうするか、話したいと思っていたのですが、それを話すよいきっかけができました。
9月7日(金)静養中聴いていた Hear the Prayers That Rise は CD 7枚に135曲が入っているアルバムで、演奏時間は全部で6時間半におよびます。私はそれを続けてききましたが、それぞれの曲がバラエティに富んでいて、まったく退屈しませんでした。最近のワーシップ・ソングがひとつの傾向に流れ、神にささげるためのものよりもミュージシャンのパフォーマンスのためのもののように思え、そうしたものの代わりになるものを探していましたが、このアルバムに出会って、やっとそれを見つけることができたように思えました。ソングブックは一冊6ドルという手頃な値段ですので、多くの人に歌ってもらいたいと思っていますが、そのためには、日本語の歌詞が必要かと思います。数曲でも日本語の歌詞をつけてみようかと思っています。
9月8日(土)昨日からチャーチ・リトリートがはじまっているのですが、私はきょうだけの参加にしていただきました。講師のメッセージは一回しか聴けませんでしたが、「どうしたら他の人に信仰の話ができるか」について、とてもしっかりしたメッセージを伝えてくださいました。もっと長くいたかったのですが、明日の礼拝にそなえて早めに帰りました。久しぶりのドライブだったので、少し疲れて横になってしまいました。といっても、手術のあと、身体を横向きにすると苦しいので、仰向けになって寝ていました。
9月9日(日)きょうは、リトリートのためもあり礼拝は小人数でした。午後のあつまりもなかったので、帰りに、あと二人の人といっしょに食事に寄ることにしました。そうしたらリトリートに参加している英語部牧師のかわりに説教してくださった講師と英語部の二家族がすでにきていて、食事が終わるころでした。ここは教会の多くの人がよく立ち寄るところです。お世辞にもきれいな店とは言えませんが、いつも賛美歌が流れている、感じの良い店です。
9月10日(月)まだ痛みは残っていますが、手術後の経過もよいので、家内といっしょに買い物に行きました。このごろは、特に何かを食べたいという欲求があまりなく、食料品を選んだり、レストランでメニューを決めるときに困ります。他の人が何かをおいしそうに食べているのを見ても、それを食べたいと思わなくなりました。食欲がないわけではありませんが、ご馳走よりも、こどものころ食べた粗末な食事のほうがおいしかったような気になります。
9月11日(火)今日は9・11の6周年目です。記念の式典があり、犠牲者の名前が読み上げられました。その現場にはいなかった大勢のアメリカ人にとっては、9・11はただテレビ報道の中だけのものとして受け取られ、記憶から消えていくのでしょうが、愛する人を亡くした人にとっては、あの日は今もリアルに心の中に刻まれていることでしょう。憎しみと争いの社会をいやすものは祈りの他ありません。私たちはもっと平和のために祈る必要があると痛感しています。
9月12日(水)二週間ほど前、水道会社が「5〜6月の水道料金が未払いになっているので、水を止めるぞ!」と脅してきました。水道会社に説明しても調べようともしてくれなかったので、銀行に連絡しました。私は水道料金をオンラインバンキングで支払っており、私の口座の明細には支払い済みの記録があります。銀行も、水道会社が銀行からの電子小切手を現金化しているとのことで、銀行はすぐ水道会社とかけあってくれました。今週になって銀行から水道会社が私の支払いを認めたとの電話連絡がありました。しかし水道会社からはお詫びはなく、7〜8月の水道料金の請求だけが来ました。
9月13日(木)きょう手術後の検診の予定でしたが、ドクターの都合で検診は来週に延期されました。手術後の経過は良く、ほぼ通常の生活にもどりつつありますが、やはり、ドクターの検診とアドバイスが必要と思いますので、次週はかならず検診を受けられるようにと願っています。
9月14日(金)きょうの白百合会では「身近な聖書のことばシリーズ」の第一回目として「目からウロコ」を取り上げました。これが聖書からのことばだったと、はじめて知った人が大勢だったようです。その人たちにとってはほんとうに「目からウロコ」だったかもしれません。ところで、これは聖書のどこから取られたか、わかりますか?
9月15日(土)Jim Houston の "Joyful Exiles" が『喜びの旅路』というタイトルで翻訳されましたので、機会あるごとに、この本を紹介しています。明日の礼拝メッセージにちょうどよい箇所がありましたので、そこから引用しました。礼拝メッセージを聞いて、この本を読んでくれる人がひとりでもいたらいいなと願っています。
9月16日(日)我が家を訪ねてくださる方が、このところ立て続けにありました。家内は、来客が来るたびに、私たちの婚約時代の写真を見せるのですが、多くの人は私があまりにも変わっているので、その写真を見て驚きます。髪の毛が薄くなっただけではなく、人相も悪くなったのでしょうね。
9月17日(月)ヴァケーションで出かける先のツアー・ブックと地図を AAA からもらってきました。私たちがでかける先は観光の町ですので、ホテルがたくさんあり、どこにしようかと、hotels.com で調べていました。ウィークエンドは満室のところが多く、また、値段の安いところよりも、高いところのほうが一杯になっていました。
9月18日(火)テゼ・スタイルの聖歌を集めたアルバム Hear the Prayers That Rise を無理矢理、英語部の牧師に聞いてもらいました。「最初は抵抗があったけど、聞いているうちに、神の前に静まるように導かれた。良かったよ。」と言ってもらえました。彼にもテゼ祈り会に出てもらって、私たちの教会でもテゼ祈り会ができないかどうか、一緒に考えてもらえたらと願っていますが、それでも、あまり、押しつけないようにと、気を使っています。
9月19日(水)私の部屋には書棚が少ししかなく、びっしり本が詰まっています。安物の本棚なので、本の重みで棚板が反っているのもあります。ベッドの上には読みかけの本が散らかっています。それでも、新しい本が出ると読んでみたいと思い、実際はじっくり読めなくても、つい買ってしまいます。9月10日に「食べ物への欲がうすれてきた」と書きましたが、本に対する欲はまだ残っています。
9月20日(木)手術から3週間後の今日、外科医の検診を受け、ドクターから「徐々に普通の生活に戻っても良い。」と言われました。けれども、私は手術後三日目には説教をしましたし、もう、すでに普通の生活に戻ってしまっています。検診の結果を英語部の牧師に告げましたら、「われわれ牧師の生活はノーマルな生活じゃないよね。」とからかわれました。
9月21日(金)きょうから英語会話教室が再開されました。これは第一金曜日と第三金曜日に行われ、「第三金曜日には聖書の話をしてください。」と頼まれていたので、お話を用意して教室に顔を出したら、「来月からです。」とのことでした。教会が英語会話教室をしているのは、たんに社会奉仕のためではなく、英語を習うとともに神のことばに触れてもらいたいためです。月1回と言わず、毎回でも、聖書のことばに触れる機会があって良いのではないかと思っています。
9月22日(土)時代とともに文化が変わるのだから、キリスト教もその時代に応じて姿が変わっていかなければならないという主張があります。そうした考え方は Emerging Church Movement と、それを明確に主張している人は Emergent と呼ばれています。その代表格の人が Scott McKnight で、"Jesus Creed" など、多くの本を出しています。私は、こうした主張には大きな疑問を感じています。
9月23日(日)今日は、日本語部が英語部に合流する形での合同礼拝があり、その後、恒例の教会ピクニックがありました。いつもは、日本語部が遅れて参加するピクニックだったのですが、今年は、時間的にはとてもうまく行きました。しかし、ピクニックに参加する人が例年よりも少なく、礼拝も休んだ人が大勢いたのが気になります。
9月24日(月)教会に懐中電灯(フラッシュ・ライト)がなくて不便していたので新しく買いました。クランクがついていて、これをグルグルまわすと充電されます。ライトも電球でなく LED がついています。充電池が悪くならないかぎり長く使えそうだと思い、これを買いました。1セントたらなかったのですが、まけてもらいました。店のレジには1セントや5セントなど、小銭のいらないお客さんが、小銭のたらないお客さんのために残していくお皿があるのですが、そこから1セントもらったわけです。
9月25日(火)明日からヴァケーションに出かけるので、郵便の配達をストップしました。しかし、宅配便は配達をストップできませんので、以前注文してあったものが出かける前に届きますようにと願っていましたら、そのとおり、昨日と今日届きました。最悪の場合、配達人が荷物を玄関先に置いていき、それが盗まれることもありますので、これで安心して出かけることができます。
9月26日(水)ヴァケーション中、四泊するので、豪華なホテルでなく、手頃なモーテルに予約しました。私たちが泊まったところは、そんなにきれいなところではありませんでしたが、ここからどこに行くにも便利なところで、フリーウェーから少し離れていますので、音もうるさくなく、ゆっくり休むことができました。
9月27日(木)今日の新聞に、ミャンマーで日本人カメラマン長井健司さんが殺されたことが報じられていました。軍部は、デモの先頭に立った僧侶にも危害を加えています。聖職者と報道関係者に手を出すようでは、その政府はとても健全なものとは言えません。ミャンマーに一日も早い平和が訪れるようにと願いました。
9月28日(金)モーテルに宿泊するときには、ふつうは宿泊する人の名前をひとりだけ書けばよいのですが、このモーテルでは全員の名前を書くように求められました。今、農場では収穫の時を迎え、メキシコから不法就労者が多くいるので、移民局がそれを調査するためかもしれません。アメリカの農業がメキシコの労働力によって成り立っていることは事実なので、政府も人々が合法的に働くことができるよう対策を講じているようです。
9月29日(土)きょう宿泊するところは少し町から離れたところにあり、レストランを見つけられるかどうかわかりませんでしたので、途中でお弁当を買っていくことにしました。車を停めて、タイヤを見ましたら、タイヤにネジがささっていました。近くに Discount Tire の店があったので、さっそく見てもらいましたが、タイヤの一番高いところにささっていて、ネジの長さからみて、内部には達していないから大丈夫と言われました。前のタイヤはかなり減っていて薄くなっていますので、これが前のタイヤなら完全にフラット・タイヤになっていたところでした。車の多いところで、危ない思いを何度もしましたが、ここまで、事故も故障もなく運転することができ、神さまの守りに感謝しました。
9月30日(日)南カリフォルニアのある日系教会で礼拝を守りました。ここはメンバーが600人以上の大きな教会ですが、もともとは100人も入ればいっぱいになる小さな会堂からはじまりました。しかし、その時から会堂建築の計画をたて、20年以上にわたって、それを進めてきました。今、日本語部が使っている最初の会堂のかわりに体育館と日本語チャペルを建てて建築計画が完成すると聞きました。この教会のビジョンとリーダシップに感銘を受けました。
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