USA Diary

September, 2001

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9月1日(土)スイム・パーティに行った娘を教会に迎えに行ったのですが、ミスコミニュケーションでそこにはいませんでした。友だちの家にいたのです。でも、その時教会にいたメンバーの方と、思わず良い話し合いの時が与えられました。ミスコミュニケーションからナイスコミュニケーションが生まれました。
9月2日(日)教会から戻ってきて、教会のページで私の担当分を作りあげ、家内の詩のページを仕上げました。縦書きページは我ながらうまく出来たと思っています。ご覧になってください。
9月3日(月)今日は Labor Day の休日。娘も学校が休みで家にきていましたが、ふたたびサンフランシスコに帰っていきました。サンホゼはすこしも暑いと思わないのですが、サンフランシスコからみれば随分暑いようで「暑い、暑い」を連発していました。しかし、町は確実に秋に向かっています。
9月4日(火)英語部牧師はまだ夏休みで、きょうの牧師会はキャンセル。私は夏休み中たまった仕事の整理をしました。
9月5日(水)夏休みだった聖書研究会も再開され、入門コースは3クラス、中級コースが2クラス、全部で5つのクラスをやっています。私は月一回入門コースの二つの合同クラスを教えるのですが、今日の話はやたら難しかったようで、反省しています。次はスライドを持って行って、目に訴えるようにしたいと思っています。
9月6日(木)本、書類の整理を少しづつしています。きっといらないものがいっぱいあるんでしょうね。「いつか使うかも」ととっておいても、いざと言うときに引きだせなかったらないのと同じかもしれません。「捨てるのが最善の整理法」と言いますが、私にはそのレッスンが必要なように思います。
9月7日(金)英語会話のクラス、新年度がはじまりました。昨年と変わらずおおぜいの人たちが来ています。来月から私の月一度のショートメッセージが始まります何を話そうか、このことでけっこう悩んでいます。
9月8日(土)明日からヨハネの福音書のメッセージを始めます。ヨハネの福音書そのものはきわめて単純なことばで書かれているのですが、とても含蓄の深いもので、これをどこまで解き明かせるか心配です。長年説教をしてきましたのに、ヨハネの福音書からの連続説教が今回はじめてということで苦闘しています。
9月9日(日)家内と娘は午後、星野富弘詩画展のコーラスを聞きにサンフランシスコに行きました。立ち席が出るほどの盛況で、きのうからはじまった詩画展、水曜日に星野富弘さんをゲストに迎えての集会が、多くの人に生きる希望を与えるようにと願っています。私は、金曜日に詩画展に行くつもりです。
9月10日(月)家内の詩集をプリントするためコンピュータに向いました。ウェブページにあるのと同じものです。Linux では、縦書きをきれいにプリントできる日本語のワープロを持っていないので、Linux で処理したファイルを Windows に行ってプリントするとう不便なことをしています。
9月11日(火)朝、出かける前に電話があって、今ニューヨークが大変なことになっていると知らされました。早速テレビをつけてみると、まさかこんなシーンをテレビで見るとは、それはまるで映画のシーンのようでした。アメリカはこの日を忘れないでしょう。
9月12日(水)昨日からテレビはコマーシャルなしでテロリストのニューヨークアタックを報じています。商業主義のアメリカで、これはすごいことだと思いました。野球なども中止になりました。全米で悲しみを共有しようとしているのです。今日の新聞に昨日のことが詳しく書かれていました。一面は「これは戦争行為だ」というものでした。確かに「戦争」かもしれませんが、敵の見えない戦争です。私たちは祈り会で大統領に神からの知恵と導きが与えられ、単に「怒り」だけで泥沼の戦争に入らないようにと祈りました。
9月13日(木)今週は9月11日の惨事のこともあって、忙しい週になります。火曜日は牧師会で、昨日は星野富弘さんの集会で出かけ、今日は午前がルツ会、夜は宣教委員会でした。宣教委員会ではブラジルにいる宣教師と電話会談をし、大変有意義な時を持ちました。
9月14日(金)大統領が今日を全米祈りの日と定め、多くの人が今日の正午にそれぞれ教会に集まり祈りました。夜7時からキャンドルライトサーヴィスを持った教会も多くありました。私たちの教会でも百名ほどの人々が、ひとりでも多くの人が救出されるように、遺族に慰めと心のいやしが与えられるように、このことでマイノリティに対するヘイトクライムが起こらないようにとの祈りの時を持ちました。
9月15日(土)私のホームページも5周年を迎えました。最初にアップロードしたのが1996年で、そのころは、パーソナルウェブページは、今のようにポピュラーではありませんでしたし、今のように便利なHTML編集ツールもありませんでしたので、HTMLのタグを独習して作りました。たいへん面倒な作業でしたがおかげでひととおりのページはエディタだけで作れるようになりました。ホームページ五周年を記念してデザインや内容を一新したいのですが、その暇もなくあいかわらずのページでみなさまのお目にとまっています。
9月16日(日)9月11日の事件で各地に出張中の方々がそれぞれのところで足止めをくいましたが、ようやく飛行機が飛ぶようになり、家に帰ってこられたようです。先週サンフランシスコで星野富弘さんの詩画展があったのですが、星野さんは金曜日帰国の予定が明日に延期されてしまいました。健康が気遣われます。このような時期に詩画展開催となったのですが、全米が暗い雰囲気に覆われた時だけに、彼の作品は多くの人に明るさと希望を与えたことと思います。19日からはロスアンゼルス地区で詩画展が行われます。
9月17日(月)サンホゼ市では、今日までニューヨークの犠牲者追悼のため半旗を掲げることになっていますが、まだ何千人という行方不明者がいる間は、半旗は続くかもしれません。アメリカではもともと国旗を誇り、いたるところでそれを掲げますが、この攻撃以来、各家庭でもずっと国旗を掲げるようになりました。「アメリカよがんばれ」そんな気持が国旗にこめられているのでしょう。
9月18日(火)ニューヨークの惨事のために、多くの人がボランティアに行っています。レッドクロスにはスーパーマーケットでも募金できるようになっています。私たちの教会でもレッドクロスへの募金を集めました。献血に行った人が、応募者があまりに多いので来月まで待つように言われたそうです。アメリカに住む人々の大きな心と、いちはやい対応は、日本の国も見習うべきかなと思います。
9月19日(水)昨日と今日、テレビ番組「みえますか愛」の録画取りがあったのですが、私は、両日ともミーティングがあって行けませんでした。すでに二回、番組にゲストとして顔を出したのですが、また出て欲しかったと言われました。私がテレビに出た翌日、何人かの人が教会に来てくださったからです。こんなまずい顔でも出たほうがいいなら、次回は出させていただこうと思っています。
9月20日(木)夜、執事会がありました。日本から帰ってきたばかりのメンバーも出席してくれて、ひさしぶりのフルメンバーでした。彼に聞いてみたら、日本からの飛行は空席だらけで、座席に横になってくることができたそうです。テロリスト事件の後、旅行をキャンセルした人もおおぜいいたようです。航空会社も人員削減をはじめており、小さい会社は倒産するのではないかと言われています。
9月21日(金)昨日出産された方をお見舞い(正しくはお祝いでしょうか?)に行ってきました。母子ともに元気で、感謝して帰ってきました。アメリカではお産は異常がなければ48時間で家に帰されてしまいます。ですから、こちらに来てからは産院を尋ねたことがほとんどなかったのです。お訪ねした産院は環境の良いところにあって、とてもきれいなところでした。
9月22日(土)今日は「伝道セミナー」をしました。予想に反して45名もの参加者がありました。こんなに多くの人が伝道したいという気持を持っていてくださったのは感激です。しかし、伝道に即席の秘訣はありません。神は教会を通して人を救われます。みことばを用いて人を導かれます。ですから、みことばに立つ、魅力のある教会をつくりあげていくこと、ひとりびとりがキリストの良い証人になることしかないと思います。それで、今朝は「良い証人になろう」というテーマでお話をしました。
9月23日(日)サンフランシスコから友人が礼拝に出席してくれました。彼らの団体では同性愛を容認しているばかりか、同性愛の牧師も任職しようとしているということを聞き、私も大変ショックでした。クリスチャンは何も古い価値観を後生大事にしているわけではありませんが、聖書であきらかに禁じられていることには、それなりの理由があることで、私たちは浅はかな知恵で聖書の定めを破るべきではないと思います。その結果はかならず刈り取ることになるのですから。もっとも、聖書の権威そのものが否定されていたら、何を議論しても無駄かもしれませんが。
9月24日(月)今週から国旗が高々とあがるようになりました。やはり、星条旗は空高くあがり、風にはためく姿が一番美しいと思います。今回の事件は傾きかけていたシリコンバレーの景気をさらに悪くするでしょうし、今後は日本企業の撤退はあっても新規進出は期待できないでしょう。私たちの生活を直撃することは必至です。私の願いはこの最悪の出来事によっても、神がアメリカにその物質主義を悔い改めさせ、再び、世界の良い模範となる国にしてくださることです。世界の富の25%が世界の人口の5%の人に集中していると言われます。アメリカが豊かになったのは、民主主義とたゆまない努力のためとは思いますが、その力で他の国々を従わせるのでなく、他の国々を助けることが出来れば、アメリカも一部の国々から嫌われなくて済むのかもしれません。
9月25日(火)きのう、「アメリカが他の国を助けることが出来れば…」と書きましたが、それは、アメリカが他の国を助けていないという意味ではありません。アメリカは政府も、民間も他の国々のために大きな貢献をしてきましたし、今もしていると思います。戦後の日本が立ち直ったのにはアメリカの支援が大きかったと思います。当時の日本からみてアメリカの経済力は圧倒されるものでした。しかし、それを見た日本人が自分たちも物質的豊かさを求めてアメリカに追いつこうとしたとしたら、それは間違ったことでした。アメリカが「モノ」だけの国のように思わせない援助のしかたが必要だろうと思います。
9月26日(水)アメリカは、西欧圏ではおそらく最も宗教的な国だろうと思います。そして、世界でいちばん多くの宣教師を世界中に派遣しています。宣教師たちが、過去に、軍隊や商人たちの侵略や経済支配の片棒を担がされたことがなかったわけではありません。今日のミッションでは、その反省のもと、その国の歴史や文化を大切にしながら、純粋に信仰的なことと、人道的なことに集中して働くようになっています。しかし、それでも、それを嫌う人たちは、宣教師たちの国アメリカをも嫌うのかもしれません。
9月27日(木)イエス・キリストが教えたのは、人間の好き嫌いを超えた「愛」でした。マタイ5:43~48に
自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
という言葉があります。これは、私が、キリストの救いを求めるきっかけになった言葉です。天の父の大きな愛に生かされる道を、クリスチャンは求めていきたいと思います。
9月28日(金)世界に民族紛争が絶えません。その中で、アメリカのように多民族がひとつになっている国は、他に類を見ないと思います。アメリカをひとつにまとめているのは、やはり、神を信じる信仰から来る大きな心だろうと思います。神への信仰を無くすとき、そのような心も無くなっていきます。
9月29日(土)「人を愛するのに、いちいち信仰なんかいらない。クリスチャンは、神さまを持ち出さないと人を愛せないのか」とは、良く聞く疑問です。愛というものは人間に自然に備わっているもので、良いことをするのにいちいち神さまを持ちだす必要はない、というのは多くの人の考えでしょう。しかし、キリストは「自分を愛してくれる者を愛する」という以上のことを求めておられるのであって、この愛は、やはり、神からしか来ないのです。
9月30日(日)ですから、礼拝は、神をも人をも、神が求めておられるように、また、他の人が望むようには愛せないことを正直に言い表し、神に愛を求めることから始まります。そして、イエス・キリストがどんなに大きく、深い愛で、そんな私に向かっておられるかを知り、その愛に押し出されていくことだと思います。きょうの私の礼拝はそんな礼拝だったでしょうか。
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