USA Diary

September, 1999

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9月1日(水)いろいろ考えた結果、USA市民権をとることにしました。下の娘は自分でやるということで任せました。上の娘はエージェントに申し込むことになり、その書類を送りました。家内と私は、インターネットでダウンロードした申請書やら、教材で準備を始めました。このプロセスは二年もかかるそうです。
9月2日(木)日本からコンピュータの本体だけ持って来られた方に、キーボード、マウス、モニタ、プリンタなどを買ってセットアップしてあげました。しめて$400で良い買い物ができました。日本からのコンピュータ本体を見て、びっくり。デスクトップ型なのに、片手で楽々持てるぐらい小さく、軽いんです。アメリカのものは何でもでかくてゴツイので、日本人の器用さにあらためて感心しました。
9月3日(金)今日は、一日、今度出版する「現代教理問答」の制作に費やしました。しかし、この題は、あまりパッとしないので、「信じること、生きること」にしようかなと思っています。
9月4日(土)私は、あまり、奇をてらった説教題がきらいなので、たいていは、聖書の一部分をとって、説教の題にしますが、家内が言うには、「あまりにもおもしろくない」ということで、明日の題は、「無駄だと言われたささげもの」、来週は「準備万端」と変えました。変える前のものがどんなに平凡であったかは、いままでの説教題を見ていただければわかります。
9月5日(日)心臓移植を受けた方が、お元気になって、日本に帰ることになりました。今日、教会に顔をみせてくださいました。このご夫妻は、歴史に興味があって、ヨーロッパ戦線に行かれた二世に会いたいとの希望でしたので、教会で、ひとりの二世の方に会っていただき、日系人の収容施設での体験をつづった "Triumph of the Faith" という本をお土産にさしあげました。
9月6日(月)今日も、一日、庭仕事。がけの上のブッシュが塀をこえて、あんなにも隣家の敷地に入っているとは気がつきませんでした。裏の家の分と、右隣の家の分はだいたいきれいになりました。来週は、左家の分をします。切るのはいいのですが、後始末が大変で、ヤード専用のコンテナに入れないと、ゴミの回収をしてくれないので、細かく刻んでいます。でも、すぐ一杯になってしまいます。週一回の回収ですので、すこしづつ、根気良くやるしかありませんね。
9月7日(火)遠くイエメンからEメールが入りました。最近、そちらに引っ越された方からです。Eメールの最後に「停電になりましたので、今日はこのへんで」と締めくくられていました。とにかく停電がしょっちゅうなのだそうです。彼女は、たぶん、UPS(Uninterruptive Power Supply 無停電電源装置)を持っていたので、Eメールが途切れなかったのでしょうね。こういう国では必需品ですよね。
9月8日(水)インドでらい病の人々に伝道していたスティンという名の宣教師がイスラム教徒に殺されました。この宣教師夫人は、ご主人を亡くした苦しみの後、「わたしは犯人をゆるします。しかし、本当の意味で罪をゆるすことができるのは神です。どうぞ、神のもとに来て、罪のゆるしを受けてください」と言ったそうです。人間の間で、「ゆるす」「ゆるさない」と言っている間は、本当のゆるし、神からのゆるしにはほど遠いのです。罪のゆるしということを改めて考えさせられました。
9月9日(木)1999年9月9日。9が並んだ日です。日本ではオウムの人たちが、この日には何か起こると言っていたとか、言わなかったとか。いまだに、数字や日にちにしばられている人たちが多いのです。それほど、不安な時代ということなのですね。
9月10日(金)今日は、ある家庭での昼食のまじわりに招かれました。招かれたというより、おしかけたという感じでしたが、多くの国々やアメリカの各地を旅行しておられる方々から、貴重なお話を沢山聞くことができました。読書と旅行、このふたつは、確かに人を豊かにするものですね。
9月11日(土)今日も、説教の準備にかなりの時間を費やしました。私は、原稿なしでペラペラとしやべれないので、一字一句書くので、大変なのです。それに、通訳をしてもらうため、まえもって、原稿を渡さなければならないので、今日は、次週の原稿を書きあげました。書いておけば、後で何かに使えるかな、ウェブページに載せようかなとも思っていますが。
9月12日(日)今日は、12時から5時までずっと会議。さすがに疲れますね。火曜日も、ロスアンゼルスで会議です。「会議とは時間 (hours) を失って分 (minutes) を得る儀式なり」と、マーフィの法則にあります。minutes に、分と、議事録の二つの意味をかけてあるのです。私は、こういう類の冗談が好きです。
9月13日(月)近所の店で、Y2K人形というのを見つけました。落とすと、「ガシャーン」という音がなるのです。私がならしてみると、レジの人も面白がって何度もやっていました。スーパーでも、「それおもしろそうね、どにあったの」「これは二つ買うと半額になるのよ。もう一つ持ってらっしゃいよ」と、人と人とのまじわりが残っているのには、ホッとします。
9月14日(火)フロリダからサウスカロライナにむけて、史上最強のハリケーン、「フロイド」が進んできています。大統領の非常事態宣言で百万人のひとびとが避難しています。旱魃、竜巻に加えてハリケーンと、アメリカもなかなか大変です。それでいて、アメリカの経済は好調で消費も伸びています。それでいて、AT&Tの大規模レイオフがあるのです。おもしろい国です。
9月15日(水)日本から病理学の講師の方がこちらに見えていて、昼食の時、彼女が、人間のからだの不思議についていろいろ語ってくれました。彼女によれば、人間のからだは健康な時、その内部もとてもきれいなのですが、病気になると、それが損なわれるそうです。白血球も、具合の悪い人のものは「人相」が悪くなるそうです。(もちろん、顕微鏡で見てのことですが。)創造者が愛と知恵を持って造ってくださらなければ、こんなに精巧な人間のからだができるわけがないと、一同あらためて感じました。
9月16日(木)昨夜、またしても銃撃事件がありました。フォートワースの教会で、ユース・サーヴィスをしているところに銃をもった男が入り、七人が殺され、犯人もこめかみに銃弾を打ち込んで自殺しました。まったく、狂気と凶器の時代です。教会は、セキュリティの最も甘いところです。反キリスト教的な雰囲気が高まり、教会が不満分子のターゲットになったら、教会はこうした事件を防ぎようがありません。祈りが必要です。
9月17日(金)ハリケーン・フロイドは、ノースカロライナの半分を水浸しにして去っていきました。このハリケーンのおかげで、アメリカは、二百万人を越える人々の大移動を経験しました。道路は渋滞、避難所も一杯ということで、このうえ、ハリケーンの被害が大きかったら、どんなパニックになっていたことか。以前、「ディープ・インパクト」という映画をビデオで見たことがあります。隕石が落ちてきて、東海岸は、大津波に飲まれるのです。この難をさけようと、人々は高台へ高台へと車を走らせるのですが、数珠繋ぎになったフリーウェーの車は、みんな水に飲み込まれてしまいます。この映画のような惨事がおこらないとも限らない、そんな時代になってきました。
9月18日(土)古いハードディスクをもらってきましたので、娘のコンピュータのハードディスクを入れ替えてあげました。600M から 1200M (1.2G) にアップグレードして、グラフィックス・プログラムを入れてあげました。さっそく、スピーチのクラスのプレゼンテーションを作っていました。PowerQuest 社の DriveCopy を使ったのですが、苦労なしに、ハードディスクをアップ・グレードできました。買う時には迷ったのですが、買っておいて良かったと思っています。
9月19日(日)礼拝後、恒例の敬老会をしました。75歳以上の方々の健康と長寿をお祝いするわけですが、この年代は、日本語部の一世の方々が次々と天に召され、英語部の二世の方々が多くなりました。いままで、ご苦労なさった方々に、少しでも楽しい時を持っていただけたら感謝です。
9月20日(月)東ティモールに国連軍が入りました。国民投票の結果をくつがえそうとする人々の暴力に対して国際世論が立ち向かおうとしているのです。でも、結局は、軍隊には軍隊という形で、政治が後退しているのは悲しいことです。
9月21日(火)トルコの地震に続いて台湾でも大きな地震がありました。「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。」(マタイ24:4-7)世の終りの前兆についてのキリストの預言です。キリストのことばどおりの緊迫した世界情勢になってきました。
9月22日(水)きのう夜、9時ごろからおよそ2時間、停電になりました。7日にUPS(Uninterruptive Power Supply 無停電電源装置)のことを書いたのですが、まさか、自分にも必要だったとは。さいわい、データはこわれていなかったようです。しかし、たまには電気なしで、ローソクの光のもとで過ごすのもいいものですね。
9月23日(木)プリンストン大学のある教授が、産まれてきた赤ちゃんが重い障害を持っていたら、親の選択によって死なせても良いと言って、物議をかもしています。障害を背負いながら生きるのは、その子もかわいそう、親も大変、医療や社会に負担をかける、等など、いろんな理由をつけることができるでしょう。胎児の段階から、障害をチェックして、強い子、賢い子だけ産むような選択ができるかもしれません。しかし、強い人ばかりで、弱い人のいない社会はむしろ不健全でしょう。人間の選択範囲がどんなに広がっても、選んではいけない選択肢というものもあるのです。
9月24日(金)来月、休暇を取って日本に行くことになりました。姪の結婚式に出るためですが、何人か、日本でお会いしたい方々もいるので、良い旅になればと思っています。日本は9月になってもまだ暑いそうですが、来月なら、多分気候もいいでしょう。
9月25日(土)教会でのリーダシップトレーニング。錦織寛先生から「教育」のテーマでお話しをうかがいました。「隠されたカリキュラム」というのが、今回のテーマでした。表向きのカリキュラムは立派でも、教会で実際に人々がどんな態度を取り、どんなことを語っているかによって、人々は表向きのカリキュラムと違ったカリキュラムで「教育」されてしまうというのです。ディスカションの時間も良い意見が出て、とても充実した学びになりました。
9月26日(日)きょうも、錦織先生による伝道集会をしました。とても良いお話しをしてくださいました。ただ、子どもさんが、具合を悪くされたのが、お気の毒でした。無事に家に帰れますようにと、祈りました。
9月27日(月)中島義道さんの書いた『<対話>のない社会』(PHP新書)を読みました。私も、常々、「馴れ合い」や「もたれあい」、「まあ、まあ」「なあなあ」主義に(それが自分のうちにもあるのですが)いいかげん嫌気がさしていたところですので、著者の主張に、溜飲の降る思いがしました。すこし引用します。
しかも、この国で彼らに要求されるのは「和の精神」である。…「和」とは、現状に不満をもつ者、現状に疑問を投げかける者、現状を変えてゆこうとする者にとっては最も重い足かせである。(45頁)

こうした状況功利主義=和の精神が充満している場では<対話>は死んでしまう。いかなる議論をするにせよ、みな対立を産み出さないように配慮して言葉を発することが第一に求められる。対立が生じそうになったら、ウマクそれを避ける方向にもってゆくことに全神経を注ぐ。「和」を最高の価値とする規範意識・美意識のもとでは、全体の雰囲気を壊すこと、議論の進んでゆく方向に棹さすことそのことが害悪となる。(181頁)
私の手元に、この本と共に、「物言わぬ役員」という新聞の切り抜きもあります。日本長期信用金庫の役員が、上役の言うなりのまま、会議では「沈黙が金」と決めこんでいたのです。この体質が、巨大企業を腐らせました。中島さんが言うように、沈黙を決め込んで発言しようとしない、大多数の私たちにこそ、問題があるようです。ひさしぶりに痛快な書物に出会いました。
9月28日(火)めがねを新しくしました。眼科医の言うには、二年に一度は、目をチェックする必要があるといいましたが、私は、今のめがねを7年ぐらいも使い続けていました。目そのものは健康だと言われました。めがねを受け取る時、気がついたのですか、古いめがねを入れる箱があって、めがねを買えない人のためにリサイクルするのだそうです。古いめがねをまだとってありますが、今度、それをここに持ってくることにしました。
9月29日(水)教会のニュースレターのために書き、ウェブページの聖書研究に載せたものを、本にまとめることにしました。ずいぶん前から手がけたのですが、なかなか印刷まで来ませんでした。でも、ようやくプリントの段階までこぎつけました。
9月30日(木)今日の木曜集会も楽しく持ちました。一時、人数が減っていたのですが、今日は若い方々も見えて、また活気が出てきたようです。出席者から、「旧約聖書を一章づつ、詳しく学ぶことができて感謝しています」と、ほめていただきました。今、創世記からはじめた学びもサムエル上まできました。長く続いているこの集会が、マンネリにならないで、続けられるよう、願っています。
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