USA Diary

August, 2008

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8月1日(金)私の牧師仲間たちも「ブログ」を始めています。何人かのブログを見せてもらいました。どれも、きれいで、読みやすくなっています。私の USA Diary もそのうちブログ形式にしようかなと思っていますが、どうでしょうか。たとえ、そうするとしても、既成のブログ・プログラムでなく、やはり自作のものにしたいと思っています。いかにも素人の作品のように見えても、手作りの温かさを大切にしたいからです。
8月2日(土)久しぶりに、家内とふたりで、近くの教会の土曜日の礼拝に出席しました。イエスさまが五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を養ったところから、聖餐は神の家族の食事であるというお話でした。かつては、どこの家庭でも、家族がそろって食事をし、それが、家族をまとめあげていました。このごろは、ご主人が仕事で帰りが遅かったり、奥さんがアクティビティに忙しかったり、こどもが習いごとをしたりして、家族がそろって食事をすることがなくなりました。家族が家にいても、それぞれ好きな時間に食事をするようにもなりました。食事をともにしなくなったところから、家族が崩れていきました。教会も、同じで、聖餐を軽視して、これをしっかり守ろうとしないところから、教会が神の家族でなくなってきたのかもしれません。
8月3日(日)夏休みで旅行中のひとびとも帰ってきて、きょうの礼拝は、出席者がもどってきたように思いました。「ヴァケーション・シーズンですが、教会をヴァケーションしないで!」という呼びかけをしている教会もあれば、ある教会では、メンバーがヴァケーション先から出した絵はがきを掲示板に貼って、ヴァケーション中の人々のために祈ったり、ヴァケーション中の人々も、そこからを便りを送ることによって、自分の教会を覚えるようにとの工夫をしていました。なかなかいいことだと思いました。
8月4日(月)教団のウェブページのプログラミングに時間を使ってしまいました。来年の教団総会のオンライン登録機能です。まだまだ間にあうのですが、今、しておかないと、あとで時間がとれないためです。今年の教団総会オンラインプログラムは、十分なテスト期間をとらなかったため、動き出してから変更の要望が出て、困ってしまいました。十分にテストしてもらい、慣れてもらうためには、比較的時間のとれる8月の間にしておきたいと思ったわけです。
8月5日(火)あるグループの「一日修養会」に講師として招かれていたのですが、きょう、正式な連絡をいただきました。与えられた課題は、「しぼみゆく日本語ミニストリーをどうすればよいのか」というものでした。大きな課題です。いままでの経験をふりかえり、聖書の原則に照らして、具体的な提言をさせていただければと思っています。来年5月のことなのですが、今から、すこしづつ準備したいと思います。
8月6日(水)1945年8月6日午前8時15分17秒。米軍爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が Mk-1 核爆弾(「リトルボーイ」)をヒロシマに投下した時刻です。あれから63年が経ちました。きょう、ある人が「ヒロシマでの平和式典が全部日本語で、英語がないのが残念だった。世界に核兵器廃絶を呼びかけるのだったら、英語のステートメントがあってもよかったのではないか。」と話していましたが、それもそうだなあと思いました。
8月7日(木)来週は「お盆」の時期なので、「祖先崇拝」についてメッセージを語ります。日本人には「先祖のたたり」という間違った考え方があるので、それをただしたいと思うのですが、「たたり」の概念には、「人に恨まれないように生きるように」という暗黙のメッセージがあります。つまり、人を恨んだり、人に恨まれたりすると、それが「怨念」となり「たたり」となるので、避けるようにというのです。これは、「事なかれ」主義に陥る危険があり、日本人の「本音」と「建前」の世界を産み出してきたように思います。
8月8日(金)Pastor's Bible Study の第二回目は「教会の起源」について話しました。教会は、旧約の中にすでにあり、イエス・キリストによって建てられたものであり、聖霊により、ペンテコステの日に産声をあげたというのが私の理解です。教会は、キリストのみわざの継続であり、神の国の一部であり、また、神の国をあかしするものです。こうしたことを見失うと、教会がたんなる「キリスト教徒のコミュニティ」で終わってしまいます。それを伝えたかったのですが、どの程度伝わったでしょうか。夏休みにもかかわらず、多くの人が出席してくれ、うれしく思いました。
8月9日(土)きょうは、ヒロシマに続いてナガサキの日です。1945年8月6日午前11時2分、人類史上二発目の核実弾が投下されました。オリンピックのためか、今年はヒロシマ、ナガサキのアッピールが十分でなかったように思います。放射線研究のため白血病になったうえ、ナガサキで被爆し、他の被爆者の救護に尽くし、体力を失ってそれがかなわないとなると、自分の身体を治療の実験台として提供した永井隆医師のストーリーが英語でウェブページにあったので、知り合いの人に知らせ、ナガサキのため祈ってもらいました。高校の修学旅行で長崎に行ったのですが、永井隆記念館には行きませんでした。そのころはまだできていなかったのかもしれません。今度日本に行くことがあれば、ぜひ行ってみたいと思います。
8月10日(日)北京で、観光中のアメリカ人夫妻が暴漢におそわれ、ご主人が亡くなり、奥様も重体というニュースが昨日入りました。犯人は自殺したというのですが、厳重な警備がなされていたのに、なぜこんなことが起こったのか、詳しいことはわかりません。この悲しい出来事をのりこえて、オリンピックが世界の国々の人たちの真の友好の場となってほしいと願っています。
8月11日(月)8月1日のダイアリーに、このページを「ブログ風」にしようかと書きました。今までのダイアリーをそのまま利用できるアイデアが浮かんだので、さっそく作ってみました。まだまだ難点がありますが、少しは読みやすくなったかと思います。
8月12日(火)日曜日から暑くなりました。夕方、家に帰る途中にみた電光掲示板は華氏で86度を示していました。私は暑さには強いのですが、いままで涼しかっただけに、この暑さにまいっている人も大勢いるようです。
8月13日(水)UC Barkley が、クリスチャン学校から来た学生のサイエンスの単位を認めないと言い出しました。「進化論を教えないから」というのがその理由だそうですが、このことは、"No Inteligence Allowed" の映画を思い起こさせました。
8月14日(木)サンタクララに Great America と遊園地があります。ある教会のユース・グループがここに遊びにきたのですが、以前から一晩教会に泊めてほしいとの要請があって許可してあり、昨日のお昼ごろ、そのリーダが挨拶にきました。「日本語の祈り会が夜9時まであるが大丈夫か。」と聞いたら、「もっと遅くまで Great America にいるから大丈夫。」とのこと。いつ教会に戻ってきたのか、それからいつ出発したのかわかりませんが、今朝はどの部屋もきれいに片付いていていました。24人くらいのユースが泊まったらしいのですが、よくしつけられた若者たちのようでした。
8月15日(金)北京オリンピックのテレビはほとんど観ていないのですが、ときどきウェブページで結果を見ています。マイケル・フェルプスが出場した種目のどれでも金メダルをとる活躍ぶりです。金メダルはもう7個となりました。のこりの一種目も勝てば、ひとりで8個の金メダルを獲得することになり、1972年にマーク・スピッツが獲得した7個を超えるそうです。金メダル数では中国についで二位ですが、金・銀・銅全部あわせれば、アメリカが一位です。もっとも、選手の数が多いので、メダルも多いわけですので、メダルの数だけで、その国ががんばっているかどうかを決めることはできません。
8月16日(土)アメリカの「福音派」グループがふたりの大統領候補を招き、討論会をしました。福音派のひとびとにはオバマ氏よりもマケイン氏のほうが好感をもって受け入れられたようです。この司会をしたのが、リック・ワレン師でした。彼は「福音派」のリーダとみなされるようになってきたようです。そういえば、彼の顔写真が Time に載っていました。
8月17日(日)きょうの礼拝メッセージは「罪の赦し」が主題でした。ある人は私の礼拝メッセージを聞いて、「罪とか、赦しとかいう話が多い。」「いつも同じことを言う。」と感じているかもしれませんが、そもそも聖書の主題が「罪の赦し」なのですからしょうがないのです。この中心を語らないで、どんなに周辺のことを語っても、それは福音になりません。それが不人気であろうと、なかろうと、私は福音を語らなくてはなりません。私のつとめは福音を語ることなのですから。
8月18日(月)来週は私が参加するリトリート、その次には教会のリトリートがあります。それで、9月の最初の日曜日には「リトリート!」と題して話すことにしてあります。「リトリート」という言葉は、ビジネスの世界でも使われていて、新しいプロジェクトをはじめる前に、みんなで討議することという意味だそうです。しかし、私が考えているリトリートは「霊的訓練」としてのリトリートです。
8月19日(火)教会の歴史を調べてみると、リトリートは、祈りに専念するときであり、そのための手ほどきをうけるときでした。この伝統はカソリック教会では今も守られていますが、プロテスタント教会での「リトリート」は、どうかするとバケーション、あるいはエンターテーメントになってしまいがちです。私がリトリートを主催しようとしているのは、リトリートの復興を願ってのことなのです。
8月20日(水)来週参加するリトリートの案内が届きました。参加を申し込んだあとにも連絡をもらったのですが、こうして、あらためて、案内が届くと、安心します。私も、日本語のリトリートを計画しているので、同じようにしたいと思いました。
8月21日(木)私が企画している日本語のリトリートは、来週行くリトリート会場で行いたいと思っています。宿泊なしのリトリートなので、私がリトリートに参加したときに申し込めばよいかと思っています。とてもきれいなところなのですが、すこし経費がかかるのが、難点です。宿泊したほうが割安になるのかもしれません。
8月22日(金)リトリートの企画をある人に話したら、「先生がお話しするんですか。」と聞かれました。「リトリート」というと、エンタテーメントがあって、お話があって、食べ物や飲み物があって、ということを人々は連想します。「いいえ、私はガイダンスを与えるだけで、ひとりひとりが、神様に聞くのですよ。」と言ってもなかなかわかってもられませんでした。
8月23日(土)私には説教する喜びも、説教を聞く喜びもあります。しかし、近年与えられているのは、神の前に沈黙する喜び、神に聞く喜びです。「リトリート」はもう一つの集会、活動ではありません。むしろ、人間の側で決めた集会をまったく聖霊の導きにまかせること、活動をやめて神の前に静まることです。あるところで、何のアジェンダもプログラムも持たない、一週間の牧師リトリートがあったそうです。最初はみな、不安で、どうなるんだろうと心配していましたが、やがて聖霊ご自身が導くすばらしいリトリートになったということを聞いたことがあります。そんなリトリートができるほどに聖霊に満たされていたいものです。
8月24日(日)きょうは詩篇34篇からのメッセージをしました。ヘブル語のアルファベットがそれぞれの行のはじめに来るという技巧の凝らされた詩篇ですが、内容は、とても自然です。今、水曜日夜の祈り会でも詩篇をとりあげており、詩篇から学ぶことが多くあります。
8月25日(月)私たちの地域の学校は、夏休みも終わり、新学期が始まりました。大学も新学期がはじまるところが多いようです。今年も、親元を離れて遠くの大学に行く若者たちがいます。彼らのために祈りました。
8月26日(火)多くの人がヴァケーションを終えて戻ってきました。そんなころに、私はスタディ・リーブをとります。遠くに行くわけではありませんが、みんなのヴァケーション中には、観光地を避けたほうが、良いかもしれません。ガソリンが高いので、ヴァケーションの出足も鈍っているのではないかと思います。
8月27日(水)明日から出かけますので、礼拝プログラム、教会カレンダーなどを準備しました。今までやってくれていた人が長期にわたって日本に行っている間、三人もの人たちがその人のかわりに奉仕しますと名乗り出てくれています。うれしく思いました。
8月28日(木)今日から、昨年も参加した祈りのリトリートに来ています。このリトリートでは、あらかじめ読んで来る本があったのですが、私は最後まで読むことができませんでした。他の人に「読んだ?」と聞いたら、「三度読んだよ。」と言っていました。この期間にがんばって最後まで読むつもりです。
8月29日(金)今年のリトリートには男性が多く、セミナーの前の賛美のときに、テナーやベースの人たちが集まって、パートに分かれて賛美しました。このリトリートの指導者は賛美指導の賜物があり、テゼの賛美をこころをこめて歌うことができました。
8月30日(土)土曜日の夜は、悔い改めの時です。リトリートに参加した多くの若い人たちが真剣に悔い改め、ある者は跪き、ある者はフロアーにひれ伏して祈っていました。地域の聖職者たちが、ひとりびとりの悔い改めを導いてくれました。
8月31日(日)主の栄光をほめたたえる、簡素ですが、麗しい礼拝でリトリートの最後をしめくくりました。来年のセミナーは8月6日から9日までです。ちょうどヒロシマ、ナガサキの日と重なるので、来年のリトリートでは、何らかのかたちでヒロシマ、ナガサキのための祈りを含めてほしいと、要望を残してきました。
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