USA Diary

August, 2006

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8月1日(火)ピアノのライトとして使っていたものが壊れたので、買いに行きました。あらかじめインターネットで調べて見当をつけて行ったのですが、現物が店にないというので注文してきました。メーカからの取り寄せになるので、数週間かかると言われてしまいました。現物を見てから買いたかったのですが、こんなことなら、インターネットで注文すれば良かったと思いました。
8月2日(水)最近の窓ガラスは二重になっており、しかも有害な光線を遮る効果があります。私たちの住む家は古いので、そんな立派な窓ではありません。それでガラスにフィルムをはることにしました。以前使ったものの残りをとっておいたので、これでなんとかできそうです。ただやり方を完全に忘れてしまったので、どうしようかと思っていましたら、フィルムといっしょに説明書がついていました。説明書を読んで、やっとやり方を思い出しました。なんとかできそうです。
8月3日(木)サバティカル期間中のほうが時間が自由にとれるので、今、四名の方とバプテスマ、入会の準備クラスをしています。今日の夜もクラスがありました。前回はエアコンが壊れていて汗をかきながらのクラスでしたが、今回は、エアコンを入れるまでもなく涼しく過ごせました。
8月4日(金)先週入院した方のお見舞いに行ってきました。近いうちに外科手術をするので、祈りを必要としています。このまえ訪ねた時、看護師が "pain" というのは日本語でどういうのか、"little" は? "great" は? と聞くので、教えましたら、それをちゃんとノートに書いて壁に貼ってありました。看護師はそれをみて日本語で話しかけてくれるのです。日本語を話す看護師もいますが、英語を話す人でも、患者の身になってすこしでも日本語で話しかけようとしてくれるのは、とてもありがたいことです。
8月5日(土)ちょっと出かけることがあって、ビデオ屋さんに寄りましたら、"End of the Spear" の DVD が出ていました。お店でレンタルしたものを半額近い値段で売っているもので、同じ価格帯のものをもうひとつ買えば、二つで 20ドルということだったので、"The Chronicles of Narnia" も買いました。中古でも良けれは、映画が終わり、DVD が出てもすぐ買わないで少し待てば、半額以下で DVD のライブラリを増やすことができます。"End of the Spear" は映画で観ることができなかったので、そのうち観るつもりです。
8月6日(日)きょうはサンタクララ教会英語部の早朝礼拝に出席し、そのあと、ご家族の方と入院中の方をお見舞いにいきました。この早朝礼拝はふだんはシニアのかたがただけなのですが、きょうは、DCLA というユースの大会に行くために集まった若い人たちもいっしょでした。英国で働いている宣教師が来てくだり、彼のため、またユースのためともに祈る機会を得ました。家内はこの宣教師夫人の父親のもとで働いていたことがあり、彼女が若いころ会っているので、彼女とは何十年ぶりかの再会となりました。
8月7日(月)お昼にピザを食べたいというので、いつもの野菜ピザを買ってきました。ペパロニソーセージの入ったピザもおいしいのですが、野菜ピザのほうが体に良いだろうというので、我が家ではいつもこれにしています。みんなおなかがすいていたので、三人でラージを一枚平らげました。
8月8日(火)以前からの約束があったので、午後から水族館に出かけました。特別なプログラムでいただいた入場券は「6月まで」と書いてあったので、使えないことを覚悟していましたが、いちおう、持っていって見せてみようと思い、ポケットにつっこんで車に乗りました。おそるおそる入場券を見せて、「期限が切れているんですが…」と説明しましたが、「大丈夫ですよ」と言っていれてもらいました。とてもラッキーでした。
8月9日(水)きょうは、ご高齢のメンバーが片足に血液が行かなくなり、脚を膝上から切断する手術を受けるというので、一日中無事を祈っていました。私の父も、私がまだ小さいころ、交通事故のため片足を切断する手術を受けましたので、特別な思いで祈りました。父はこの手術のためにずいぶん苦しんだのですが、今は、医学の進歩もあって、短期間で回復するとのことです。この方の一日も早い回復を祈りました。
8月10日(木)今日夜は、洗礼の準備会のために教会にいきました。ちょうど宣教委員会で、ある宣教師夫妻を迎えたので、宣教委員会にはクラスが始まるまで出ました。この宣教師夫人の母親は、私たち夫婦の気の合う友人で、彼女は娘に私たちへのギフトを託してくれました。遠く離れていても、いつも私たちを思ってくれることをうれしく思いました。
8月11日(金)今朝は別の方の洗礼の準備会でした。あるカソリック教会の資料を見ていましたら、「結婚式をした時は、すくなくとも六ヶ月前に申し込むこと。結婚式は土曜日の12時30分か2時30分に限る。自分が洗礼を受ける場合でも、子どもに洗礼を受けさせる場合でも、少なくても6月前に登録し、クラスを受けなければならない。子どもが生まれる前から準備をしておくように。」とありました。このアナウンスメントに、教会としてのきちんとした姿勢を感じることができました。
8月12日(土)コンピュータのインターネット接続のための機器をワイヤレス用に変えたのですが、時々接続が切れると症状があり、その都度何度かやりなおしたのですが、ついに昨日から使えなくなってしまいました。やむなく、コンピュータ屋さんに走り、新しい機器を買ってきてやりなおしました。最初に買ったのは超特価だったから駄目になったわけではないと思いますが、今日買ったのも、特価品ですが、「3年保証」とありましたから、たぶん大丈夫でしょう。きょうはこのトラブルがあって嫌な日で終わりそうだったのですが、テキサスの友人から電話があったり、日本の知合いの牧師からのギフトが届いたりして、うれしい気持ちで休むことができました。
8月13日(日)今日は、ある中国語の教会で礼拝を守りました。私は中国語は分からないので英語の礼拝に出ましたが、ここの英語部はまだ若く、ユースバスターが説教をしていて、ユースの礼拝のようでした。しかし、内容的には、大人の礼拝に劣らないほどしっかりしていました。ここは中国語の神学校も持っていて、礼拝前にはほぼ全員が各クラスにわかれて成人のサンデースクールを持っていました。ここの神学校の教師はダラス神学校の卒業生で、彼と知合いになることができて、うれしく思いました。
8月14日(月)調子の悪かったネットワークの機械を返品に行きました。買ってから一ヶ月以上経っているので、原則的には返品はできないのですが、不良品として、メーカに送り返すという手続きをとってもらって、この製品のために支払った分を、このお店のギフトサティフィケートにして受け取りました。このギフトサティフィケートには期限がないということなので、他のものを買う時のために、これをとっておくことにしました。
8月15日(火)私の蔵書(と、言ってもたいしたことはないのですが、)の中から、ほとんど使っていないものを、先日知った中国人神学校に寄贈したいと思い、整理をはじめました。懐かしい本や、時間があれば読みたいと思うものもありましたが、ここで眠らせておくよりも、誰かに使ってもらったほうが良いと思い、思い切って整理することにしました。神学校には十分な文献はあるでしょうが、学生の方にでも役立てばと思っています。私が学生のころは、「食べ物」と「本」が何よりもうれしいプレゼントでした。
8月16日(水)家にある古い書類もかなり処分しました。それらを眺めていると、いろんなことが思い出され、なかなか整理がはかどりません。64ガロン入るリサイクルの箱がいっぱいになったので、いちおうこれで今年の整理を終えることにしました。
8月17日(木)以前、ある製品を買った時のリベートが私の以前の住所に送られたため、それを受け取ることができなかったことがありました。それはあきらめたのですが、今回受け取るリベートは、教会の買い物なので、間違えずに受け取りたいと思い、以前の住所に住んでいる方に、失礼ながら「誤配されたら知らせてください。」とお願いしておいたのですが、今回は、無事にチェックが届きました。ほっとしています。
8月18日(金)昨晩からお腹が痛み出し、一晩中痛くて眠られませんでした。家内が心配してエマージェンシィに連れていってくれました。幸いエマージェンシィは空いていて簡単に済むだろうと思ったら、EGK や X線、CT スキャンまでして、痛み止めの点滴を刺されました。一晩寝ていないので、一時間ほどぐっすり眠りましたら、気分がとても良くなりました。検査の結果、特に悪いところがなかったようで、午後 4時近くにやっと家に帰ることができました。
8月19日(土)昨日の入院騒ぎで体の調子が狂ってしまったのでしょうか、午前中、どうしてもしなければならないことがあって、それを果たしたら、疲れてしまい、横になったら眠ってしまいました。しかし、今日は、食事も進みい、徐々に調子を取り戻しつつあります。
8月20日(日)今日は、近くのチャーチ・オブ・ゴッドの教会に歩いて行きました。「歩いて来ました。」と牧師に話しましたら、「安息日の距離内にいるんだね。」と言われました。9時45分からのサンデースクールでは、黙示録のとても良い学びをしました。礼拝の後、招きがあり、個々人のための祈りや、みんなで手をつないでの祈りがあって、10時45分からはじまった礼拝が終わったのが12時30分でした。何人かとおしゃべりして家に帰ったら午後1時になっていました。長い礼拝でしたが、牧師も信徒も、みなとても真剣な姿に感銘を受けました。
8月21日(月)金曜日の検査の結果についてドクターから連絡がなかったので、こちらから連絡したら、さっそく返事があって、腹痛はヴァイルスによるもので、検査の結果異常はなかったとの知らせを受けました。金曜日、エマージェンィーに入った時、ナースが「100ドルです。」と言ってきました。ずっと前は $30 で、少し前まで $50 だったので、その時はびっくりしましたが、普段は受けられない検査をしてもらいましたから、元はとれたかなと思いました。その時ナースに、「"Pay first" なんですね。」と冗談を言ったら、笑われてしまいましたが、クレディットカードを渡し、ID を見せてサインをしてからはじめて私のメンバーシップカードを返してくれましたから、やっぱり "Pay first" でした。そういえば、はじめてアメリカに来て、こどもが熱を出した時、こどもを連れて行ったクリニックで、ドクターに見てもらう前に受付嬢が「支払い方法は?」と聞いてきたのを思いだします。アメリカではどこのクリニックでも、支払いカウンターは診療エリアの内側にあります。後払いの場合でも、払わないと帰れないしくみになっているのです。このようにビジネスには厳しいこの国ですが、ほんとうに困っている人には無償の医療もあります。テキサスにいた時には、ドクターからサンプルの薬を無料でもらったことがよくありました。
8月22日(火)9月から再開される Joy of Discovery 聖書クラスの準備のため教会に行きましたら、執事会の議長も来ていて、「先生、サバティカル中、教会に来たらダメよ。」と言われてしまいましたが、彼が「あのね、この間 Fingerprint of God というオモシロイ、ビデオ観たよ。」など、話を聞くことになりました。そのうち、同じくサバティカル中の英語部の牧師も来て、「ここで、何してんの?」とからかわれましたが、彼のほうがずっと遅くまで教会にいました。そのうち、教団のある牧師から電話があって、彼も「サバティカル中なのになぜ教会にいるんだ?」と言いながら、私に教団の仕事を頼んできました。
8月23日(水)Bose のショールームでおもしろい体験をしました。Bose のオーディオシステムの宣伝映画なんですが、それを 20分くらい観せてもらいました。ショールームの小劇場に大きなオーディオシステムとスピーカが設置されていたのですが、途中で店員が入ってきて、それを動かすと、そのうしろに手のひらにのるような小さなスピーカや、ごく小さなシステムが現われました。最初に見たのは、本物のスピーカーなどを隠してあった偽物だったのです。とても、よくできた宣伝映画で、十分に楽しませてもらいました。現代は、家庭でも大画面での映像を楽しむことができるようになりましたので、それに見合うオーディオ装置をということが説得力をもって語られていて、とても勉強になりました。でも、Bose の製品は高いので手が出ません。「セールはないの?」と聞いたら、「うちはセールはやらないから、安くなるのを待っても無駄ですよ。早く買ったほうがいいですよ。」と言われてしまいました。
8月24日(木)このごろ、こちらの本屋さんにも、日本のマンガが、英語に訳されて売られるようになりました。日本の本屋さんのように、マンガがずらりと並んでいるわけではありませんが、それでも ”Manga" という書棚には英語に訳された日本のマンガがびっしりと並んでいました。鳥山 明の「アラレちゃん」や「ドラゴンボール」もありました。手にとってみましたが、日本のマンガは、右から左へとページをたどって読まなければならないので、英語の本としては違和感があります。マンガが英訳される時代なのですから、日本のマンガ作者や出版社は、最初から左から右へとページを開いていくようにしておいたらと思いました。アメリカのマンガは ”Graphic Novel" という分類になっていました。
8月25日(金)歯がおかしくなったので、調べてもらいましたら、内部で奥深くまで割れているとのことでした。この歯は、虫歯で神経を抜いて詰物をしてあったのですが、神経を抜くと、血液が来ないため歯がもろくなるのだそうです。結局抜かなくてはいけないということで、口内手術をするドクターを紹介してもらいました。私はすでに一本の歯が割れて失っていますので、これで二本目です。どちらの歯も、日本で治療したもので、今から 20年前の日本の歯科技術は遅れていて、日本で治療したものはみなやり直さなければならないと、別のデンティストから言われたことがありますが、果してその通りになってしまいました。
8月26日(土)私は、買い物は好きなほうではありませんが、買いものをする時には、物を持ち過ぎないよう、「欲しいもの」と「必要なもの」とを区別して買うように努力しています。昨日と今日は、どうしても必要なものを信じられないような価格で手に入れることができました。店の人は、私が特価品ばかりをチェックアウトするので、「これも買わないか、あれはいらないか。」としつこく聞いてきましたが、それをふりはらって、店を出ました。
8月27日(日)今日出席した教会で、第一礼拝と第二礼拝の間、中庭でリフレッシュメントのテーブルや献金の自動振込の手続きなどをしていましたが、同じ場所で、アイリスの根株を配っていました。私が見かけない顔だったからでしょうか、ある女性から「アイリスはいかが?」と呼びとめられました。色の違う根株をそれぞれ一本づついただくことにして、「あなたの庭からですか?」と聞いてみましたら、「あの方の庭からです。ご存じでしょ、今年 100歳になったあの方ですよ。」と教えてくれました。今年 100歳になったというその人は、とてもお元気そうで、隣に座っていた人と楽しそうに何かを話していました。誰かに喜んでもらいたい、そんな気持ちをいつまでも持ちつづけて、アイリスとの根株を持ってきてくれた 100歳の女性の笑顔は素敵でした。
8月28日(月)「アメリカ人の教会」に多く出席するようになって、アメリカのクリスチャンと日本のクリスチャンとの違いをいろいろと感じることがあります。違いよりも、共通点のほうが多いので、イザヤ・ベン・ダサンが書いたような『ユダヤ人と日本人』のような比較をしたくはありませんが、確かに民族性の違いというものがあり、宗教性の違いも感じます。その違いをわきまえたうえで、日本人の聴衆に神の言葉を語ることを求めたいと思います。
8月29日(火)日本人と西欧人とばかりでなく、同じアジア人でも、中国人、韓国人クリスチャンとの信仰のとらえ方に違いがあるようにも思います。他の民族では「真理」が大切にされますが、日本人の多くは「真理」よりも「心情」が重んじられます。聖書の語ることが「正しいから信じる」というよりは、「クリスチャンが自分に親切にしてくれたから」といったことのほうが大切にされるように思います。「関係」志向なのですね。「真理」は変わりませんが、「関係」は、親密になったり、疎遠になったり、あるいは壊れたりして変わります。人と人との関係の中だけで信仰をとらえ、保とうとすると、容易に信仰を失ってしまうかもしれません。
8月30日(水)ところが、ポストモダンの時代になって、西欧やアメリカの人々も、絶対的な真理を信じなくなってきています。キリストは、唯一の救いではなく、救いにいたるひとつのチャンネルにすぎないと考えるようになってきました。若い世代のアメリカ人にはその傾向が強くあります。それで、アメリカでも東洋的な思想が流行しており、仏教に帰依する人々も増えています。アメリカ人と日本人という違いよりも、古い世代と、新しい世代の違いのほうが大きいかもしれません。
8月31日(木)しかし、なお、アメリカ人と日本人との信仰の違いがあるとしたら、アメリカ人は「神を愛する」ことを肌で知っているが、日本人にはそれを知らないということでしょうか。「愛する」という言葉がもともと日本語にはありませんでしたし、日本の神々は、人間に恩恵をもたらすこともあるが、多くは災いをもたらす存在であり、「奉る」「恐れる」ということはあっても、神は愛の対象ではありませんでした。「神に愛され、神を愛する」ことの中に信仰のすべてがあるように思うのですが、この中心的なことがあいまいであるため、信仰が、たんなる「知識」「教養」「形式」「しきたり」「活動」「コミュニティ」になってしまうのでしょうか。
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