USA Diary

August, 1999

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8月1日(日)日本では、今日は「花火の日」だそうです。私たちが前に住んでいた長岡市では、信濃川で大花火大会があります。なつかしいですね。
8月2日(月)長岡花火の話を子どもとしていたら、長岡まつりのニュースが飛びこんできました。消防士の方が、はしごに登っての曲芸中、手をすべらせ道路に落ちて亡くなられたとのこと、大変お気の毒でした。安全ネットを張るとか、マットをひくとかできなかったのでしょうか。
8月3日(火)日本では「ハチミツの日」「ハサミ供養の日」だそうです。数字の「語路合せ」なんですね。こちらでは、数字は「2(to) Me」とか「4(for) You」とかいうふうに使います。
8月4日(水)夏期修養会(サマー・カンファレンス)の講師のメッセージの英訳チェックの作業をしています。ミスタイプやら、見逃したところなどかなり見つけました。日本語にくらべてずいぶん、手間、暇がかかります。これだけ手間、暇をかけて、どれだけの人が英語で読んでくれるでしょうか。結果を考えると、何もできなくなりますから、考えないでやっています。
8月5日(木)最近岩波新書で出た本で、その著者が、「日本人が英語を勉強するのは、それによって英語圏の情報を得ようとするだけではなく、日本人の情報を英語を話す人たちに伝えるためでなければならない」と述べているそうです。(本を読んだのでなく、書評にそうありました。)受身型の英語でなく、発信型の英語を、という意見です。なるほどと、うなづけます。夏期修養会講師のメッセージの英訳も必要なことなのですね。
8月6日(金)今日はヒロシマ原爆記念日。私たちの教会に、調布市ヒロシマ被爆者の会長さんが見えています。彼は今、ワシントンD.C.に「ストーン・ウォーク」のために行っています。
8月7日(土)ある夫妻のお嬢さんの結婚式に招かれ、ロスアンゼルスに行ってきました。レセプションのために来たホテルでも、ホテルの庭先で結婚式がありました。アフリカン・アメリカンのカップルの結婚式で、司式の牧師は、とても貫禄のある方でしした。音楽はヴァイオリン一本だけで、ヴァイオリニストは長時間の演奏で大変そうでした。このような、ホテルの庭先での結婚式は、カリフォルニアではよくあることです。
8月8日(日)今日は長崎原爆忌。ところで、アーリントン墓地内に、原爆の碑を建てる件、議会の承認を必要とするとのことで、石碑は撤去され、保管されてあるとのこと。
8月9日(月)ヒロシマの話しが続きますが、この被爆者の会長さんが、被爆者の方が描いた原爆投下直後のヒロシマの絵をスライドにしたものを持ってこられました。そのスライドのナレーションを英訳したいということで、お手伝いしました。ネイティブの方に見てもらっています。彼がワシントンから帰ってきて、お渡しするのが楽しみです。
8月10日(火)夏期修養会のメッセージの英訳も、ヒロシマのスライド台本の英訳も、前に述べたように、発信型の生き方には必要なことですね。こうやってウェブページを作っている私は、どちらか言えば、発信型の人間なのかもしれません。
8月11日(水)教会のバイブル・クラスで、「クリスチャンの金銭管理」という勉強をしています。8月22日が最後のレッスンで、レッスンのプリントを作っています。全部出来あがったのを欲しい方、連絡してください。
8月12日(木)9月からのバイブル・クラスは「使徒信条」の勉強です。このテキストブックもほぼ出来あがりました。使徒信条は以前礼拝でとりあげたのですが、もういちどバイブル・クラスで勉強することにしました。
8月13日(金)2000年1月からのバイブル・クラスでは「キリスト教二千年の歴史」というタイトルで教えるつもりです。二千年の歴史をたった15時間で教えようというのですから、ずいぶん乱暴な話ですが、できるだけ、ヴィジュアルな教材を使うつもりです。それにしても、ローカルチャーチの牧師は、何でも自分でしなければならないので大変です。神学校であれば、自分の専門科目だけ教えればいいわけで、かえって楽かもしれませんね。
8月14日(土)娘が部屋のペンキ塗りをはじめたので、手伝わざるを得なくなり、予定外のことで、ずいぶん計画が狂いました。私が娘を「手伝う」というより、娘が私を手伝うというほうが正確かもしれません。
8月15日(日)今日の礼拝後は、サンディエゴ郡の職員の方をお招きして、フォスター・ホームについてお話を伺いました。この方は、最近日系の方と結婚なさったこともあって、私たち日本人にとても関心を持ってくれました。「お菓子」持参でプレゼンテーションに来てくれたのは、彼女がはじめてでした。午後は、サファナンド・バレーの教会で「按手礼」があり、すぐ出かけましたが、ロスアンゼルスに近づくにつれ、ひどい渋滞で、間に合うかと心配しましたが、ぎりぎり、セーフでした。「按手礼」というのは、牧師の任命式で、先輩牧師が手を置いて祈ることからその名が来ました。アメリカでは、「按手礼」は重要なことで、按手礼を受けた人は、生涯 Reverent と呼ばれます。
8月16日(月)裏のブッシュが金網を越えて隣家にまで伸びたので、今朝は、朝からそれをカットする作業で、クタクタになりました。小型の木を切るのこぎりを買ってきました。「レザーカットで良く切れる」と書いてあったので、買ったのですが、思う以上ではありませんでした。ちなみに、Made in Japan と書いてありました。
8月17日(火)教団のウェブページのため、いくつかの教会からのニュースが入ってきて、ようやく、それらしく形がととのってきました。
8月18日(水)バイブル・クラスの準備の合間に、以前書いた、「使徒信条、主の祈り、十戒、バプテスマについて、聖餐について、聖書の読み方・学び方」をまとめる作業に入っています。家内から、「図表を入れたら」というアドバイスがあって、いろいろ工夫しています。
8月19日(木)教材の準備で追われて、この夏はヴァケーションなしです。その替わり10月に日本に行く予定です。
8月20日(金)トルコでの地震、日を追うごとに亡くなられる方が増えていきます。今、教会では、世の終わりについての聖書の教えを学んでいます。聖書も、世の終わりの前兆に戦争や地震があると言っていますが、これも前兆のひとつなのでしょうか。
8月21日(土)今年はひとつのミレニアムの終わりということで、ノストラダムスの予言のことが撮り沙汰されました。彼の予言詩に「1999年7の月に恐怖の大王が天から降りてくる」というのがあるそうですが、それは、プルトニウムを積んだ土星観測衛星が地球にぶつかることだと解釈する人もいましたが、それも無事に通過。旧暦の七月も終わりました。
8月22日(日)「教団ニュース」を、ファックスで送ってこられた方がありました。しかも、そのファックスは、手書きでなく、ワードプロセッサーで打ってあるのです。なぜ、Eメールを使わないのでしょうね。「ファックスではお受けできません」とEメールで返事しました。「レポートはEメールで」というのが約束ですから。私は、こういう約束事には「うるさい」ほうなのです。それで、ある人たちからは嫌われているのかもしれません。
8月23日(月)近くの小学校で、今日から新学期が始まりました。子どもたちが外で遊ぶ声が聞こえてきます。しかし、今日は、外で遊ぶには暑い日ですね。我が家の娘も学校にもどりました。
8月24日(火)急に暑くなりました。いままで掛けていた毛布を一枚はずして休みました。夜も暑く感じるというのは、この地方ではめったにないことです。
8月25日(水)夜、日英合同祈り会。トルコ地震の被災者たちのために祈りました。トルコではクリスチャンの数が少ないのですが、それでも、教会をあげて被災者のために援助をしているそうです。そのことが主のためのあかしとして用いられるよう、祈りました。
8月26日(木)教会のメンバーの息子さんで、事務用品の会社に勤めている人がいます。返品されてきた処分品を、教会に持ってきてくださるので、たちまち、教会の事務所が、いろんなもので一杯になってしまいました。リーガルサイズの注文書を沢山もらいました。受け取った人はそれを捨ててしまいましたが、裏は使えるので、印刷の「ためしずり」にとっておくことにしました。どういうわけか、私のまわりにはいろんな種類の紙が集まるので、子どもたちから「お父さんは金持ちじゃないけど、紙持ちだね」と言われています。
8月27日(金)今日は、近くのメンバーのお宅で、家庭集会。小高い丘の上の家で、4ベッドルームあるのですが、そんなに大きくなく、建築五年で、とても素敵な家でした。その家でとれた桃をいただいて帰ってきましたが、この家のご主人は、桃が小さいとき、梅だと思って、一所懸命塩漬けにしてみたけど、だめだったとのこと。その話しを聞いてみんなで大笑いしました。
8月28日(土)最近引っ越した方のお宅に、招かれて行ってまいりました。ゲートのあるコミュニティで、ゲートを入るとき、セキュリティの人に聞いてから、家を探したのですが、すぐみつからずぐるりと一周して、あらためてゲートを入ると、そのお宅はなんと、ゲートすぐのところにあったのです。「灯台元暗し」とはこのことですね。
8月29日(日)今日、家内は、バルボア・パークのティーハウスのボランティアに行ってきました。正午から三時間のお手伝いでしたが、とても楽しく過ごしてきました。いわく「誰かの相談ごとにのって話した後は、すごく疲れるけど、こんなことだったら、全然疲れないわ。」たまには、違った種類の仕事も良いのですね。
8月30日(月)今日は、娘といっしょに、彼女が前に働いていたところに行きました。そこでアポイントメントがあったからです。彼女はみんなに歓迎されて満足そうでした。
8月31日(火)日本のカウンセリング・グループの機関紙に、私がサンディエゴで始めたサポート・グループの紹介を載せてもらいました。10月に日本に行く予定とお話ししましたら、セミナーを持って欲しいとお願いされましたが、とてもその余裕はありませんので、お断りするつもりですが、日本でのサポートグループの様子も知りたいので、関係者の方々とお会いできたらと思っています。
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