6月1日(水)先月20日、連邦政府の公文書から、「ネグロ」や「オリエンタル」という言葉が「差別用語」として削られることが決まりました。「ネグロ」が差別用語だというのは分かりますが、「オリエンタル」はそうだとは思いませんでした。「オリエント」の語源は「太陽が昇る」という言葉で、日が昇る方角「東」を指します。古代の教会堂は聖壇が東に向けて建てられましたので、ここから動詞の「オリエント」は「方向を決める」という意味で使われます。したがってよく使われる「オリエンテーション」は、「方向付け」、「指導」ということになります。この言葉は、主イエスの復活と関連付けても使われるので、悪い意味はないと思っていましたので、この言葉に関する連邦法のことを知って、意外でした。「御国こそ 日の出る国 輝きて」
6月2日(木)論語に「後世畏るべし」という言葉があります。次世代の人々の可能性について語っているものですが、私は常々、「古人(いにしえびと)畏るべし」と思っています。学問においても、芸術においても、技術においても、古代の人たちは現代を凌駕するものを持っていました。信仰の世界においては特にそうだと思います。神学を志す者、聖書を学ぶ者は、歴史の声に謙虚になる必要があると思います。「あなどるな 先人たちの 知恵・知識」
6月3日(金)カリフォルニアの人たちから「テキサスで洪水があったようですが、そちらは大丈夫ですか」というメールが入りました。私たちの住んでいるところには大きな川がありませんので、大丈夫ですが、オースティンの近くの基地で車で川を渡る訓練をしたいた兵士たちが命を落としています。とても気の毒に思います。「怪我と死に 隣り合わせの 兵士たち」
6月4日(土)今週は長い雨が続きました。きょうも予報は雨だったのですが、ひさしぶりに晴れました。「晴れたら教会の庭の草刈りをします」と聞いていましたが、私が教会に着いたときは、もう刈り終わっていました。「草の子ら 草刈る人に 負けず伸び」
6月5日(日)私の知らない人から、「オバマ大統領がヒロシマでお詫びをしなかったのを残念に思います。わたしのおわびの気持ちを込めてドネーションを送ります」という手紙を受け取りました。アメリカ大統領の立場からは「お詫び」の言葉を口にすることはできなかったとしても、彼の態度には、アメリカが核兵器を使った唯一の国であることへの責任を感じ取ることはできたと思います。アメリカ大統領のヒロシマ訪問は後には歴史の中できっと評価されると思います。「ヒロシマで 折り鶴渡す 大統領」
6月6日(月)やっと畳とコタツを片付けました。わが家のリビングルームは、5〜10月がカーペット、11〜4月が畳と、半年ごとに模様替えしています。「消えたとて 心に残る 畳の香」
6月7日(火)こちらの学校は、6月から夏休みです。もう少し短くでもいいおではないかと思いますが長い間の慣習なので、すぐには変わらないだろうと思います。夏の間、こどもたちが安全に守られるよう祈っています。「夏休み どこに行っても 子供連れ」
6月8日(水)きょうの祈り会では、明日からヨーロッパに行く人のために、旅行の安全を祈りました。これからひとり、ふたりと国内、国外に旅行にでかける人たちが増えていきます。しかし、それとは逆に、夏休みなのでダラスに戻ってきて礼拝に出ている人たちもあります。礼拝は、たんに多くの人が集まって賑わうという性質のものではありませんので、人数にかかわらず、真実な礼拝の時を持ちたいと思っています。「礼拝よ 聖なる時に この世でも」
6月9日(木)説教でチャック・スウィンドール先生のことに触れました。先生が若い日に、カリフォルニアのサンマテオにあるペニンスラ・バイブル・チャーチで信仰を養われたことを知り、私はその教会を訪ねたことがあります。その礼拝堂正面に刻まれていた聖書の言葉を説教に引用するので、スウィンドール先生の名前を出しました。「御言葉を 語る人の名 なつかしく」
6月10日(金)老人ホームを訪問しました。いつもは土曜日に行っているのですが、このところずっと土曜日がふさがっているので、金曜日に訪ねました。いつもはカフェテリアで会うのですが、きょうはカンファレンスルームを使うことができ、ゆっくり聖書のお話しをすることができました。「ホームでは 天国のこと 語ります」
6月11日(土)礼拝のスライドを用意していて、チャールズ・ウェスレーの「愛するイエスよ」(Jesus, Lover of My Soul)のスライドがストックにないことに気づきました。最近10年の間に歌った賛美はすべてストックにあるはずなので、それがないということは、長い間、この賛美が歌われていなかったことになります。多くの人に愛され、親しまれている賛美が、長い間、礼拝で歌われなかったのはとても残念に思いました。「忘れては いけない賛美 ここにあり」
6月12日(日)きょうの未明、フロリダで銃撃事件がありました。ISIS に忠誠を誓う男の犯行でした。これに対してトランプ氏が「俺の言った通りだ」といったことを発表しています。50人もの死者が出たときに言うべき言葉ではないと思います。一国の指導者には適切な時に適切な言葉を語ることが求められています。大統領選に出て支持を訴えるのなら、それにふさわしい言動が必要かと思います。大統領選をかきまわして楽しむだけなら、真の愛国者はそっぽを向くことでしょう。「主を愛し 国を愛する 人よ立て」
6月13日(月)昨夜に続き、きょうの午後も強い雷雨にみまわれました。一週間で草が伸びてしまったので、草を刈るつもりでしたが、草刈りがなかなかできないでいます。「草刈りに 追われる夏が やってきた」
6月14日(火)来週ゲストスピーカーを迎えるので、家庭集会ができたらと問い合わせをしていたのですが、ヴァケーションに出かけるので、集会を予定することができなくなりました。6月に学校が休みになるとヴァケーションに出かける人が多いので、どの教会も集会を減らしたりしています。「教会を ヴァケーション しないでね」
6月15日(水)サンデースクールの大人のクラス、7月はリードする人がいないので、私が担当することになりました。幸いユースのクラスを担当してくれる人がいるので、このことが可能になりました。神さまの備えに感謝しています。「助けられ 他を助けるが 奉仕です」
6月16日(木)6月も半ばになり、本格的な夏になりました。AC が回りぱなしの毎日ですが、それでも朝から暑いということはなく、夜、AC を切っても寝苦しいことはありません。「夜の眠り 朝の目覚めに 感謝する」
6月17日(金)ゲストスピーカーを迎える週は礼拝メッセージの準備はないものの、その他のアレンジメントがあって、普段より余裕ができるわけでもありません。今日も教会に行って様々な準備をしてきました。「あれをして これもやってで 日が暮れる」
6月18日(土)日本からゲスト・スピーカーを迎えました。空港到着が集会の2時間前だったので、いろんなアレンジメントが大丈夫かと心配しましたが、飛行機が予定よりも少し早く着いたので、なんとか間にあいました。「スケジュール 分刻みでも 落ち着いて」
6月19日(日)午後からも講師にお願いして聖書研究のときを持っていただきました。有志がしばらく残って、講師と聖書のこと、信仰のことを話していました。今まで礼拝後は他の活動や行事で占められ、聖書を学び、信仰のことを語り合うことができていなかったので、本来の教会の姿に戻ることができ、うれしく思いました。「みことばと 祈りで満ちよ 神の家」
6月20日(月)今回迎えた講師は、なんと私の母教会の牧師だったので、母教会の様子などをたくさん聞くことができました。いつか、母教会を訪ねてみたいと思いました。「なつかしい 顔が浮かんだ 語り合い」
6月21日(火)この週は通訳者がいなかったので、私がやりましたが、あらかじめいただいていた原稿どおりではなかったので、苦労しました。私は原稿どおりに話すので、通訳者のことを考えながら、次週の礼拝メッセージを準備しています。「日英で みことば届け 誰にでも」
6月22日(水)ガラージドアが壊れました。点検してもらったら、ドアを上げ下げする動力を伝えるのがスクリュータイプになっているのですが、それが壊れているとのことでした。最近は、音の静かなベルトタイプのものもあるようですが、全体を取り替え余裕がないので、壊れたところを取り替えるだけにしてもらいました。今月は、年金税や車の保険など、支払いの多い月になりました。「要修理 からだも家も 古くなり」
6月23日(木)日本では参議院選挙が始まりましたが、マスコミの予想では改憲勢力が三分の二を占めそうだとのことです。次世代の人々が、将来を見据えてより良い選択をしてほしいと思います。「進もうよ 過去振り返り 明日見つめ」
6月24日(金)「英国EU離脱」のニュースが入ってきました。今後、世界に様々な変化が起こる可能性があります。混乱に乗じて破壊的な勢力が力を増すことがないようにと願います。「今要るは 『平和あれ』との 主の言葉」
6月25日(土)礼拝メッセージの英語翻訳、週報、スライドなどを準備する、いつもと変わらない週末です。毎週同じことの繰り返しですが、毎週の礼拝は、いつも新しい思いで迎えていますので、マンネリということはありません。「この週も 主の日に向けて 過ごす日々」
6月26日(日)週間の漫画雑誌に連載を持っている作家は、毎週十数ページの原稿を描くのに、大変な苦労をするそうです。ストーリーを練り、「ネーム」を起こし、下書きを描き、それに「ペン入れ」をします。有名な漫画家であれば、そうしたことをアシスタントを使ってやりますが、駆け出しの漫画家は全部をひとりでこなさなければなりません。説教の準備と連載漫画とをいっしょにはできませんが、両方とも、毎週締め切りがやってくるという点では同じです。「締め切りが あるから出来る この仕事」
6月27日(月)締め切りといえば、毎週の礼拝メッセージの他に、毎月の新聞記事があります。去年の1月から「讃美歌物語」を書いていますが、この12月で終わりにするつもりです。書き終わったら、小冊子にしたいと思っています。「毎月の 記事をまとめる 時を待つ」
6月28日(火)礼拝メッセージや新聞記事には締切りがあるのですが、自分で書いているウェブページには、それがないので、どうしても更新を怠りがちです。学生がレポートの締切りやテストがなければ勉強しないのと同じです。人は外からの制約がないと仕事をしあげられないものです。「凡人は せかされ、やっと 腰あげる」
6月29日(水)来週は、サンアントニオの集まりでのメッセージを頼まれていますので、今週は二つのメッセージを準備しなければなりません。他にも出かけるための準備もあります。「出かけるが 床屋に行くの 忘れてた」
6月30日(木)今年も半年が過ぎました。今の家に住んでから3年が経ち、4年目に入りました。三年前に植えた低木の背がようやくのびました。「四年目に 『我が家』になるか この家も」
|