USA Diary

June, 2009

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6月1日(月)はじめての町に行きました。フリーウェーがいくつにも重なっていて出口を見つけられず迷いましたが、見当をつけて行ったら無事に到着しました。帰りも、よく地図を見ていったのですが、入り口が分からず、ずいぶん遠回りをしましたがなんとか帰ってくることができました。インターネットの地図だけではよくわからないところもありますから、今度は AAA で地図をもらってくることにします。ナビゲータが普及しているので、そのうち AAA の地図サービスもなくなるかもしれません。
6月2日(火)リクエストがあって作った牧師たちのわかちあいのページにやっと最初のコメントを書き込むことができました。現在メンバーはふたりですが、いろんな人に声をかければメンバーが増えるかもしれません。しかし、こういう書き込みページは、最初はみな良く書き込んでくれるのですが、たいてい続かなくでそのうちしぼんでいくのです。教団のために作ったディスカションページは二つとも開店休業状態です。教会の聖書通読ページも最初の三ヶ月は活発でしたが、はやくも停滞しています。「継続は力」とは言い古されたことばですが、やはり真実だと思います。
6月3日(水)教会の年度報告書はいちおう締め切ったのですが、まだ報告はすべて出ていません。それでも、来週火曜日には印刷しなければならないので、きょう原稿をまとめてPDFファイルにする作業をしました。夕方、娘の歯医者の予約があったのですが、待合室にコンピュータを持ち込んで仕事していました。デンティストが私の顔を見て、"How are you?" と言ったので、つい、"I'm working." と言ってしまいました。
6月4日(木)カリフォルニア州から娘に州の税金補助にとチェックが来ましたが、その額が $1 でした。おそらくこれを発送するのに $1 以上の経費がかかっているでしょう。公平であることは良いことですが、ここまでくるとちょっと行き過ぎかもしれません。カリフォルニアもお金がなくていろんなところで予算をカットしていますので、何か工夫があればと思います。
6月5日(金)年度末のさまざまな事務処理できょうは遅くまでかかってしまいました。隣の同僚牧師も結構遅くまでいたのですが、きょうは奥様の誕生日ということで時間には帰りました。”See you Sunday.” と言っていましたので、明日はお休みなのでしょう。いつも忙しくしている牧師ですから、こんなときぐらいはゆっくりされるといいでしょう。
6月6日(土)男性の会で明日の愛餐会の準備がありました。メニューが「豚汁」だったので、「ブタ汁ですね。」と聞いたら「いいえ、トン汁です。」という返事でした。「カレーライス」と「ライスカレー」とはどう違うのかというのは古典的な漫才ネタですが、「ブタ汁」と「トン汁」の違いも話のネタになりそうです。
6月7日(日)教会で最高齢の方が手術後しばらく休んでいましたがきょう礼拝に出席でき、とても感謝しました。神は礼拝する人を求めておられるお方ですから、ひとりでも多くの人が霊とまことをもって礼拝するのを喜んでくださいます。それは元気な人も、病気の人も同じだと思いますが、病気の人が強められて礼拝に出ることには、神にもっと大きな喜びがあると思います。
6月8日(月)ある人から色紙に文字を書くのを頼まれので、久しぶりに筆をとりました。長い間書道から遠ざかっていたので、うまく書くことができませんでした。時々は筆をとらなければと思いました。書の世界は祈りの世界と通じるところがあり、精神的にとても良いと思いますが、うまく書けないときはかえってストレスがたまるかもしれません。
6月9日(火)学校の廊下を走り回っていた子どもも年をとると歩かなくなります。これを「老化(廊下)現象」というのだそうですが、私はできるだけ毎日歩くように努めています。本を読むこと、物を考えること、文章を書くことは毎日しているつもりですが、いつも頭脳を柔軟にしておきたいと思っています。
6月10日(水)今月からソーシャルホールで「スウィング・ダンス」をやるというので、夕の祈り会は会議室でしています。印刷しかけた年度報告書の箱などがあって狭い感じでしたが、なんとか収まりました。ここに入りきれないほどに祈りのために集まる人がいればいいのですが…。
6月11日(木)宣教委員会に日本語部からの委員がいなくなり、私ひとりになりました。この他にもまだ奉仕者のいないところがたくさんあります。それぞれに奉仕者が与えられるよう願っています。神の国はいつも人手不足なのですね。
6月12日(金)礼拝堂で楽器の練習をしている人がいます。教会での賛美のためならいいのですが、どうやらそうではなさそうです。他に場所がないので、そこを使っているのでしょうが、同僚の牧師はちょっと顔をしかめていました。教会には他にソーシャルホールやクラスルームがあるのですから、私も礼拝堂を祈りの場所として聖別したいという気持ちを持っています。
6月13日(土)年度報告の製本をしました。新しくリースした教会のコピヤーはコンピュータとネットワークでつながっていますので、英語の報告書はコピヤーを使って作りました。それでソート作業などがいらないため、きょうの製本には5人しか奉仕者がいませんでしたが、それでも1時間30分ぐらいで全部できました。日本語の報告書は経費節約のためプリンターで印刷し、手作業でページ順にまとめました。考え方にもよりますが、お金をかけても手間暇を省いたほうが良いという考え方もありますが、私はみんなで力をあわせてひとつのものを作り出すことに意義を感じています。
6月14日(日)教会の年度総会がありました。発言する人、しない人さまざまですが、私はいつも「声なき声」に耳を傾けるよう努めています。発言する人はそれなりにものごとを考えているからこそ、それがことばとなって出るのですが、だからといって黙っている人が何も考えていないわけではありません。しばしばことば数の少ない人のほうが深くものごとを考えていることがあります。そんなサイレント・マジョリティを代表して私も発言できたらと願っています。
6月15日(月)半年以上も前にすこしだけ世話をした犬に合いに行きました。もう私のことを忘れて吠えるかなと思ったら、よく覚えていて私になついてくれました。「犬は三日飼えば恩を忘れない。」ということばがあるのはほんとうだなと思いました。ペットによって慰められ、癒される人が多いといいますが、ペットは人間のように裏切ることがないからなのでしょう。
6月16日(火)学校が夏休みに入り、私の家の前の通りも静かになりました。そのかわり、中学生や高校生たちがショッピングモールをうろうろしているのによく出会うようになりました。この夏、若者たちが安全に過ごせるようにと祈っています。
6月17日(水)同僚の牧師と一緒に食事をしました。そんなに深刻な話はしないでゆっくりと昼食を楽しみました。
6月18日(木)新年度最初の執事会がありました。日本語補習校での集中講義を終えてかけつけてくれた人、テキサスでの出張のあとエアポートから来てくれた人、就職活動のたいへんな中ですすんで奉仕を引き受けてくれた人。献身的なひとりびとりに心から感謝しました。
6月19日(金)きょうのゼロ会では、気功師から東洋医学から見た「健康」について話を聞きました。東洋医学では免疫力、回復力を強めて病気を防ぐことを目指しているとのお話でした。「気」という考え方は、神が人間を創造されたとき、いのちの息を吹き込まれたことと関連があり、興味深く聞きました。
6月20日(土)明日と続く二週分の礼拝の準備を一度にしなければなりませんでしたが、神さまに助けられて順調に進みました。教会と教団、そして個人のウェブページのこともやっておかなければならないことがあります。メールにも目を通して…となると仕事に限りはありません。
6月21日(日)ある人が私に「先生、Yさんはどこにいますか。」と聞きに来ました。すると、私が答えようとする先に別の人が「Yさんなら、事務室にいたのを見たよ。」と答えました。答えた人は親切のつもりかもしれませんが、私にしてみれば存在を無視されているようなものです。小さなことかもしれませんが、こういうことに何度もでくわすと、かなりがっかりしますが、私も似たことをして人をがっかりさせていないだろうかということを反省するよい機会になりました。
6月22日(月)IVP Book Club の通信 "DIGEST" が届きました。7月のメインセレクションは N. T. Wright の "Justification" です。彼の立場は "New Perspective" と呼ばれるものですが、それに対しては賛否両論があり、今回の著作はそのディベートから生まれたものだそうです。こういうものをしっかり読んでおかなければならないし、読んでみたいとは思いますが、私の目は同じ号に紹介されている "Together In Prayer"、"Augustine And His World"、"Dynamics Of Spiritual Life"、"Down-To-Earth Spirituality"、"The Deeper Journey" などのほうに向いてしまいます。
6月23日(火)六年ぶりで日本に行くことになりました。ユナイテッドのエコノミー・プラスのチケットをとりました。これは通常のエコノミークラスよりも座席の前後の間隔が少しだけ広いものです。その中でも私と家内が座った席は、前が乗務員のための仮眠の席になっていたため、足もとがファーストクラス並に空いていました。チケットを取ったときにこの席をとってもらったのですが、とてもラッキーでした。エコノミー・プラスのために余分に料金を払いましたが、その価値があったと思いました。
6月24日(水)私の両親はすでに他界し、実家も手放したため、日本ではいつも姉の家に世話になっています。姉の家は関西空港からそんなに遠くないので、バスで行くつもりでしたが、義兄が空港まで迎えにきてくれ、とても助かりました。
6月25日(木)日本には「時代劇チャンネル」というのがあって、姉の家では、マッサージ・チェアに座って時代劇を観ながらのんびり過ごすことができました。今まで休暇を取っても、以前教会のメンバーだった人々を訪ねるなど、何か教会にかかわりのあることをしていましたが、今回はそういうことが全くなく、教会から物理的にも遠い距離があって、ほんとうの意味での休暇になりました。
6月26日(金)松山に向かうため朝、姉の家を発ちました。通勤・通学の時間でしたので、電車が混むのではないかと心配しましたが、思ったよりは空いていて「すし詰め」ではなかったので、助かりました。レールパスを買っていきましたので、新大阪駅に引換券を出して実際のレールパスを受け取りました。このパスで一週間の間、JR の「のぞみ」以外は乗り放題で、遠くまで行くときには割安になるのです。今回は長崎まで足を伸ばすつもりですので、レールパスを買いました。今日は新大阪から岡山へ、岡山から特急で松山へと旅しました。岡山では名物「吉備団子」を買って食べ、松山への特急では「ちくわ」を昼食の代わりに食べました。
6月27日(土)今回の旅行のおもな目的は松山で結婚式の司式をするためで、きょう、無事にそれを果たすことができました。夜、松山からバスで伯方まで行き、家内の兄弟のところに泊まりました。松山城にはお堀のほとりを散歩しただけで、天守閣までは行けませんでした。また道後温泉にも行けませんでした。
6月28日(日)三島の教会で礼拝を守りました。過疎化している町で人々が懸命に信仰を守っていました。今回、結婚式のために式服が必要でしたので、それを入れるために大きなスーツケースを持ってきました。これを持って旅行を続けるのは大変なので、ここに詰められるだけものを詰めて、宅配便で成田空港まで送りました。こうしておけば成田からアメリカにもどるときに出発ロビーで受け取ることができ、とても便利です。
6月29日(月)伯方から車で福山まで送ってもらい、福山から新幹線で博多へ、博多からは特急で長崎へと向かいました。新幹線で長崎まで行くことができたら便利だと思いますが、九州新幹線長崎ルートはまだできていません。博多から長崎への鉄道は山間を縫うように走っており、新幹線を通すのは難しいように思いました。地元でも新幹線にはあまり熱が入っていないようです。
6月30日(火)長崎に来たのは、二十六聖人殉教記念館、永井隆医師記念館、コルベ神父記念館を訪れるためでした。コルベ神父記念館には行くことができませんでしたが、午前中降っていた雨も午後には止んで、最初の二つの記念館には行くことができました。オフ・シーズンでしたので、どちらの記念館でも「貸し切り」のようにしてゆっくり展示物を観ることができました。
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