USA Diary

June, 2005

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6月1日(水)水曜日の聖書の学び会のあと、ベビーシャワーがありました。ベビーシャワーというのは、出産を控えている方にギフトをさしあげ、祈る集まりのことです。日本では出産後、出産祝いをあげるのですが、アメリカでは出産前に、出産の無事とその後の子育てのために前もって祈ります。祝福のシャワーをあびせるというので、「シャワー」と呼ばれます。ベビーシャワーをしてもらった方は、「こんなにしてもらったのは結婚式以来です。」と言ってとても、感激してくれました。
6月2日(木)今年度最後のルツ会は、「美女と野獣」というテーマでのお話で、夫を野獣からプリンスに変えることができるのは、妻にしかできない仕事であるとの、たいへんわかりやすいお話を聞きました。夫をプリンスに変えることができたら、妻もプリンセスになれるわけですから、このたとえはなかなかいいなと思いました。
6月3日(金)今日は、家内を空港に迎えにいかなくてはならないのですが、ちょうど「白百合会」がありました。この日の「白百合会」は、女声コーラス「さくらんぼ会」のコンサートだったのですが、私も短い話を頼まれていたのですが、それができなくなってしまったので、そのメッセージをテープに入れて聞いていただくようにしました。始めてのこころみでしたが、うまくいったでしょうか。
6月4日(土)家内は、今回はかなりの距離を旅行し、あちらこちらに行ったので、すごく疲れて帰ってきました。そのため、すこしは、家内の手伝いもしなければいけませんが、家内がいない間にくらべると、うんと楽になりました。家内のありがたさが分かるとともに、フルタイムで働いて、しかも家事をこなしている方々の苦労もよくわかりました。
6月5日(日)今日の愛餐会は、男性の会がパスタをつくってくれました。昨日の試食会の時よりも、ソースがまろやかになっていて、おいしくいただきました。男性の会というと、「試食会」しかしていないように思われがちですが、今年は、「家長としての男性」を考えようというテーマに取り組むことになっています。新しい会長のもとに、試食会を兼ねてのディスカションがさかんになるようにと祈っています。
6月6日(月)家内が、日本から桂米朝の落語のカセットを買ってきてくれました。このごろは、日本でも落語や浪曲などをなかなか聴くことができなくなっているようです。ひさしぶりに、上方落語を、しかも、めったに公演されない珍しい話を聴くことができました。
6月7日(火)サンロレンゾ教会で、ウォールナッツクリーク教会の臨時牧師になる方のインタヴューがありました。ナザレン教会のリバイバル・プリーチャーをしてきた方で、いろいろな面で豊かな経験があり、私は、この牧師に質問するというよりは、そのお話から、さまざまなことを教えられ、とても良い時を持ちました。
6月8日(水)JOD 聖書クラスは、今年度最後ということで、このクラスの責任者をしてくれた人のお家でリトリートをしようということになり、その家の庭で、みんなでお弁当をいただきながら、さまざまな話に花を咲かせました。教会では、活動を調整して、すこし余裕を生み出し、まじわりを深める方向で努力してきましたが、そのことが徐々に実を結びつつあります。今日のリトリートでそのことを感じました。
6月9日(木)先月、ある宣教師夫妻が訪問してくださり、その宿泊を申し出てくださった方に、宣教委員会から、わずかですが、お礼のしるしに、日本の食料品店の買い物券をさしあげました。すると、彼女は、その買い物券で、「あられ」を買ってきて、宣教委員会のメンバーひとりひとりにそれをくださいました。そういえば、彼女が、私に、「宣教委員会のメンバーは何人ですか。」と聞いていました。「私を含めて8人ですよ。」と答えたのですが、ちゃんと私のための「あられ」も用意してくださっていました。人数を間違えなくて良かったです。
6月10日(金)二週間後に不要品を集めにきますから、用意しておいてくださいというはがきが届きました。これは、ある慈善団体のものです。最近、いくらかを、近くのドネーションセンターに出してきたばかりですが、家内に聞いたら、まだ少しあるとのことでしたから、そのうち用意することにしました。近くのドネーションセンターというのは、ショッピングセンターの駐車場に置かれたトレーラのことで、そこへ持っていくと係の人が引き取ってくれます。以前は、あちらこちらにあったのですが、このごろは、ずいぶんすくなくなり、私の家の近くでは、いつも行くところだけになってしまいました。この団体のように車で取りにきてくれるのは、助かります。
6月11日(土)教会の年度報告の製本をしました。私はこの製本作業は慣れているので、250部のうち半分以上の年度報告をプラスティックコームで綴じることができました。そのあと、お昼の食事を持ってきてくださる方がいて、早い昼食でしたが、みんなでおいしくいただきました。
6月12日(日)教会の総会のため、英語部のかたがたがカレーを作ってくれ、日本語部も、総会が終わってからそれをいただきました。たくさん用意してくださったのですが、多くの人が食べないで帰ってしまったので、かなり余ってしまったのは残念でした。それぞれ、家に持ち帰っていただくことにし、家内も残りをもらってきました。
6月13日(月)家内の車が近くの店の駐車場で動かなくなり、AAA を呼びました。トー・カーでデーラまで持っていってもらわなければならないかと思ったのですが、トー・カーの運転手がブレーキスィッチを調節して動くようにしてくれましたので、そのままデーラまで持っていきました。ブレーキスィッチの不調で、シフトレバーがロックされ、パーキングからドライブまで動かなくなったのです。家内の車は、同じ車種の二台目なのですが、最初の車も、ブレーキスィッチを取り替えたことがあります。デーラにそのことを言うと、「よくあることだ。」と言われましたが、「よくあること」では、困ってしまいます。
6月14日(火)日曜日からとても暑い日になってしまいました。それでも、朝・夕は涼しいので気をつけなければいけません。先週から、口内炎が出来ていて、痛みがあるのですが、気候の変化と車の故障のことなどあって、あまり調子のよくない一日となりました。
6月15日(水)6月3日に、「白百合会」のミーティングを、私のテープメッセージにしてもらったと書きましたが、今日、そのテープがとても良かったという反応をもらいました。「これからは、先生が教会にいても、テープで聞いてもらいましょうか。」などという冗談、あるいは、まじめな話(?)も飛び出しました。
6月16日(木)新年度最初の執事会が、ちょうど、新しく執事になった方の誕生日だったので、ケーキが出、なごやかなスタートとなりました。いままではお茶も出ず、みんな自分のウォータボトルやスターバックスのコーヒを持ち込んでやっていましたので、たまには、こういうことがあるといいですね、とみんなで話しました。
6月17日(金)急に暑くなったかと思うと、朝や夜はとても寒くなります。この間、扇風機を出したばかりなのですが、暖房のヒータはとめてしまいましたので、小型のヒータを出しました。扇風機とヒータがダイニングルームに仲良く並んでいます。
6月18日(土)水曜日にドアにランドリーバックがぶらさがっていて、「洗濯物をここに入れてください。洗濯して配達します。」と書いてありました。洗濯物をとりに行く暇のない人には良いサービスなのかもしれませんが、私たちは、近所に丁寧な仕事をしてくれるランドリーを持っていますので、この袋は返すことにしました。
6月19日(日)今日は父の日でしたが、お父さんを亡くした子どもたちや、青年たち、日本にいる年老いた父親が難しい病気の人などのことが心にあって、礼拝で「父の日おめでとう」とは言ったものの、あまり元気良く言えなかったような気がします。でも、赤ちゃんが与えられから、今年はじめて「父の日」を迎える方が礼拝に見えていたので、うれしく思いました。おひとりびとりに神さまからの助けを祈りました。
6月20日(月)近くにタコスのお店ができ、その店員が交替で、交差点に立って、お店のサインを掲げながら宣伝をしています。毎日通る道なので、それを見るのですが、店員によってずいぶんやり方が違います。ある人は、ただ立っているだけ、ある人は、サインを動かし、ある人は、サインを持ってダンスをしています。ダンスをしていた女性の店員は、自分も楽しみながらしているようで、見ていて気持ちのよいものでした。こころの中のものは態度に、外側に現れるものなのですね。
6月21日(火)英語部の方から、私のホームページを英語で読めないのかと聞かれました。ほんのすこしですが、英語のページがあるので、それをお教えしました。ただ、内容はすべてサンディエゴ時代のもので、2000年からまったくアップデートしていません。サンホゼに来てからは、英語で何かを書くのは、Pastors Report ぐらいになってしまいました。
6月22日(水)コンピュータの修理を頼まれました。ハードデスクに一部損傷したところがあり、システムの入れ替えが必要とわかりました。私の趣味が誰かの役に立つのはうれしいことですが、もっとうれしいのは、こういうことを通して、人とのつながりができることです。今日も、コンピュータを持ってきた人と楽しい会話ができました。
6月23日(木)予定がかわり、今日、ゼロ会がありました。リーダシップについてのお話で、発表者が「しもべとしてのリーダ」というところまで話をもっていってくれましたが、このテーマは、時間がなく十分には話せませんでした。しかし、これは聖書的なテーマなので、いつかとりあげてもらいたいなと思いました。リーダシップとマネージメントの違いなどを学ぶことができ、とても有意義でした。
6月24日(金)例年あるボード・デナーが今年はなかったので、日本語部だけで執事の「ご苦労さま会」をしました。おいしい食事と楽しい語り合いのあと、みんなで手をつないで祈りあうことができました。
6月25日(土)今年の夏の聖書クラスでは「初代教会」を取り上げます。おもしろい題材がたくさんあって、これをどう調理しようかと考えているところです。歴史はたんに過去のものではなく、現在の力となり、未来への鍵となります。みなさんが興味をもって学んでいただけるよう、よい準備をしたいと思っています。
6月26日(日)ビリー・グラハムの伝道集会が、ニューヨークで24日から26日にかけて行われました。ビリー・グラハムは86歳、パーキンソン氏病や、前立腺ガンなどをわずらい、歩くのも困難になりましたので、この伝道集会が、彼の最後の集会となりました。ビリー・グラハムがはじめて日本に来た時、ビリー・グラハムは50歳になるかならないかの時で、長身のグラハム師から語られる力強いメッセージに圧倒されたのを覚えています。
6月27日(月)いよよ暑くなってきました。ファミリールームに西日が入るので、日よけをとりつけました。毎年やっていることなので、年々、手早くできるようになりました。
6月28日(火)サンディエゴで知り合った宣教師がアメリカに一時休暇で戻っていて、電話をくれました。何年かぶりでしたが、電話の声ですぐ彼だとわかりました。声や話し方というのは、年月が経ってもあまりかわらないものなのだということを感じました。
6月29日(水)急に暑くなり、夜もあまり涼しくなりませんでした。でも、寝苦しいほどではありません。「熱帯夜」というものがないのは、たいへんありがたいことです。
6月30日(木)南カリフォルニアからいらしたお客さんと急に昼食を共にすることになりました。日本食のレストランに入り、私は、「サンマのランチ・スペッシャル」を頼んで、ウエイトレスも私のオーダを復唱して確認したのですが、持ってきたのは「天ぷらのランチ・スペッシャル」でした。きょうは「天ぷら」を食べたい気分ではなかったので、もとのものを持ってきてもらうように頼みました。しばらくして私のオーダが来ましたが、ウェイトレスは、「今日、ここで働きはじめたばかりなので、ごめんなさい。」と言ってくれましたが、彼女は、大学生ぐらいの人で、夏休みに働きはじめたように思いました。日本人ではないようでしたから、ふだんは日本食を食べないのでしょう。慣れないメニューがいろいろあってたいへんだろうなと同情もしました。
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