USA Diary

June, 2000

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6月1日(木)今、教会のニュースレターのために、教会の七十周年に関係して二世の方々に原稿を書いていただいています。ある方にはずっと前からお願いしていたのでしたが、今朝、やっとそれを受け取ることができました。早くから書き始めていてくださったものなのですが、書き終えるまでに時間がかかりました。教会の70年の歴史のうち50年も共に歩まれた方ですから、それをノート二枚にまとめるのは大変なことだったろうと思います。彼のきれいな手書きの原稿はとっておいて私の宝物にしたいと思います。
6月2日(金)教会総会の時となりました。そのアジェンダやレポートの準備がいろいろとありました。総会でもみんなが意見を出すようになってくれたので、うれしく思っています。
6月3日(土)メキシコの病院に労働奉仕に行きました。今回は現地の教会の方々も加わってくださいました。仕事が終わって帰る時、その教会の方々がスペイン語の賛美歌を即席で歌ってくれました。おかえしに、日本語の賛美歌をと思ったのですが、時間も用意もありませんでした。彼らと何度も握手して別れました。少々疲れましたが、さわやかな一日を過ごしました。
6月4日(日)日本からEメールが入っていて、「先生の動向がつかめない」とお叱りをうけました。しばらく、このダイアリーもアップデートしていませんでしたし、このところ、Eメールを出すのもサボっていましたので…。このダイアリーでご覧のとおりのことをやっております。この夏はいろいろ忙しくなりそうですが、いままでのミニストリーをまとめ、次のプロジェクトのために良い準備ができるようにと願っています。
6月5日(月)口内炎ができて、アロエを口にくわえていますが、いたみがやわらぎます。けれどもアロエのせいでしょうか、おなかをこわしたような感じがします。どこかからだの中に風邪があるようです。
6月6日(火)教会のメンバーが新しくコンピュータを買いました。夕食をご馳走するので、そのコンピュータに日本語のソフトウェアが入るかどうか試しに来て欲しいというので、食事につられて出かけました。楽しい一時を過ごして帰ってきました。
6月7日(水)重いカーポール・トンネル・シンドローム(腱鞘炎)にかかった方が金曜日に手術をしました。日曜日、教会を休まれたので心配しておりましたが、今日、元気においでになったので、主に感謝しました。手術をした左手はまだ包帯でぐるぐる巻きになっていましたが、肩から指先まであった痛みがとれたとのことで、手術の効果があったようです。左手が回復したら、次は右手です。夜の祈り会でも、主のため、教会のため働いてきた彼女の手がいやされるよう、みんなで祈りあいました。
6月8日(木)もと日本で伝道しておられた宣教師夫妻を木曜集会にお招きしました。もう二十年も日本語を使っていないと言っておられましたが、とても上手に日本語を話してくださいました。日本での伝道の経験から、聖書の時代のような世界宣教がなされるためには「神を求める」ことが第一であると考え、今、サンディエゴ全域のリバイバルを願っていると、静かに、しかし、力強く話してくださり、共感できるところが多くありました。土曜日の Men's Prayer Breakfast にもおさそいしましたら、喜んで来てくださるとのことでした。
6月9日(金)私たち家族は市民権取得を申請していますが、やっとフィンガープリントの通知が来ました。永住権のときにもフィンガープリントを採られましたが、またしなければならないそうです。これはFBIに送られて、犯罪歴がチェックされます。このプロセスに半年ぐらいかかるかもしれません。ただ、出頭する日時が家族で同じでないので、二度でかけなければなりません。
6月10日(土)今日は二ヶ月に一度の、男子朝祷会。忙しいエギュゼクティブの人々が、朝食会なら時間を取れるからと、プレヤー・ブレックファーストが始まったそうですが、私たちの場合は、リタイア人たちもいて、それほどハイクラスの人々の集まりではありませんが、共に祈りあうよろこびを味わいました。
6月11日(日)今日は、遠くエクアドルから、「アンデスの声」の尾崎一夫宣教師が来てくださいました。息子さんの尾崎道夫さん夫妻のラテン・ミュージックの賛美と共に、電波を通してイエス・キリストを見出した方々のお話を数多く伺いました。ちなみに、尾崎宣教師の属しているHCJBとは、Herald Chirst Jesus Blessings「キリスト・イエスの祝福をひろめよ!」という意味です。
6月12日(月)いつものように庭仕事。ブッシュを全部かたずけました。これを細かくしてゴミ箱に入れるのがまた一苦労です。昼間は暑いので、夕方また続きをやります。
6月13日(火)今日はロスアンゼルスに出かける予定でしたが、変更になりました。サンディエゴもどんどん人口が増えて、全米でも有数の町になりました。これからはなんでも「ロスアンゼルス参り」でなくてもいいのではないかと思いますが。ただサンディエゴが住宅入手困難度全米八位というのはいただけませんが。
6月14日(水)今日はフラッグ・デー。国旗が制定された日だそうですが、国旗を飾るだけで、休日ではありません。国旗は常に、話をする人の右手に置くと習ったのですが、今日の新聞記事によれば、それは、国旗が、講壇の上に置かれている場合で、国旗が聴衆と同じフロアーにある場合は、聴衆から見て右側になるのだそうです。ちっとややこしいですね。
6月15日(木)スプリンクラーのヘッドが壊れて、水が流れっぱなしになっていたので、家内がスプリンクラーを止めました。このところずいぶん乾燥していますので、水を出さないと芝生が死んでしまいます。早速、ヘッドを買いにいって修理しました。いままで2インチのヘッドでしたが、こんどは4インチのものに換えました。元来が砂漠の町を緑に保とうとするわけですから、たいへんなことです。なんとかうまく動いてくれるといいのですが。
6月16日(金)帰って来て車をガラージに入れ、ガラージのシャッターを閉めてしばらくしてから、バーンというすごい音。ガレージに積み上げてあるものが車のうちに落ちたのかと思ったのですが、何も異常を見付けられませんでした。しばらしくして娘が帰ってきてガレージを開けようとしても、開かない。良く見たら、ガレージのシャッターを巻き上げるスプリングが切れていたのです。こればかりは私も直せないので、あちこち電話したけれど、どこもウィークエンドは仕事をしないとのこと。車は出せないし、どうしようかと思っていたら、アンサリングマシンにメッセージを残しておいたところから返事があって、明日の朝来てくれるとのこと、本当に助かりました。
6月17日(土)昨日のガラージドア・サービスの人が来てくれました。10時ちょうどが約束の時間だったのですが、彼は10分前に「これから行くから」電話してくれ、10時かっきりに来てくれました。私は、自分の仕事で、いつも時間を守ってもらえない、約束を守ってもらえないということを体験してきましたので、彼の仕事ぶりに感激しました。彼は、これからスカイダイビングに行くとのこと、休日を返上してやってくれたので、チップをはずみました。
6月18日(日)今日は父の日。教会の礼拝でも、お父さんたちに起立していただいて、お父さんたちに感謝しました。礼拝後の「男子会」は、会長さんがいなかったので、よもやま話で終わりました。日本から仕事に来ている若い方が加わって、男性ならではの話ができました。娘たちからは、作業用の皮手袋と、各州のクォーター・コインを入れるホルダーをギフトにもらいました。
6月19日(月)7月は、ゲストスピーカーを数多く迎えますので、私が教会で説教するのは、7月2日と30日だけです。そこで、エイ、ヤーと気合を入れて7月末までのメッセージを準備してしまいました。通訳の方も、早く受け取れば楽だろうと思いますので。
6月20日(火)今日は、今教会から離れている方と食事を一緒にしました。なんとかつながりを保とうとしてです。神のことばを伝えると言っても、それは人間関係という通路を通してなので、良い人間関係をつくりあげるには、いろんな苦労があります。今週は、金曜日にも昼食のアポイントメントがあります。
6月21日(水)今日は、家内が導いてきた家庭集会の最後の日。「最後の日」と言っても、これからも続けられることでしょうが、家内が参加するのが最後になりました。惜しまれながら別れました。
6月22日(木)戦争中、日系二世たちは、国家への忠誠心を示すためヨーロッパ戦線に志願しました。日系422部隊は、多くの犠牲者を出しながらも、ドイツ軍に囲まれたテキサス部隊を救出したことで有名です。テキサスにいた時、テキサスの人はこのことを知っているので、日本人には友好的なのだと聞きましたが、このエピソードを知っているのは、年配の一部の方々だけで、知らない人のほうが多かったようです。それはともかく、昨日、ホワイトハウスで日系兵士の生存者七名の方々に最高栄誉賞が贈られました。日系二世の方々はこれをどうとらえたでしょうか。
6月23日(金)テキサスで死刑が執行されました。死刑是非論が高まっていますが、ブッシュ知事は大統領選キャンペーン中に死刑執行を許可したわけで、これによって自分の信念を鮮明にしようとしたのでしょうか。日本でも、もうすぐ総選挙の投票がありますが、アメリカの政治の方が争点がはっきりしていて、わかりやすい気がします。
6月24日(土)今日も、家内と一緒に公園を散歩してきました。歩くのは健康に良いし、歩きながらいろんな話ができますので、それもいいことなんです。今日も大勢の人たちが公園で、ダンスをしたりして楽しんでいました。
6月25日(日)私のポケットコンピュータは、依然としてバックスペースが効きません。水が入ってからの症状で、どこかがおかしくなったようです。それに電池の消耗も早いような気がします。私のところには、ポケットコンピュータから取り出した電池がゴロゴロしています。まだ電力があるので、他のところで使うつもりです。
6月26日(月)今日は裏のブッシュを苅りました。どんどん延びてくるので、厄介です。最初に植えた人は、何年か後のことも考えて植えたのでしょうかと、恨みたくなります。
6月27日(火)来月は、教団総会があり、サンディエゴ教会がそのホストをします。各教会が10年にいちど持ち回りでその任をつとめます。会場に大学を借り、宿泊施設もその寮の一部を借りることになっていますが、教会でも夕食会などをしますので、準備が必要です。
6月28日(水)今日のシニアランチは「すし」でした。「いなりずし」を、こちらの人は「フットボール」と呼んでいます。結構、好きな人が多いのです。
6月29日(木)今、祈り会では、世界の各地でおこっている神のわざについてのビデオを見ています。コロンビアのある町で多くの人がクリスチャンになり、麻薬と暴力の町が変わっていく様子を見て、神のことばの持つ力をしみじみと感じました。
6月30日(金)午後の家庭集会では、教会のこれからについて真剣な話合いがなされました。私は、常に「考える信仰」を持つように言い続けてきましたが、みんな良く考えてくれるようになったことを感謝しています。
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