USA Diary

May, 2010

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5月1日(土)男性の会で、明日の愛餐会の準備をしました。とくに決まった主題がありませんでしたが、みんなで祈り合って別れることができたのは、とても良かったと思います。
5月2日(日)今年の教会のテーマは「祈り」で、しばらくの間「主の祈り」から説教してきました。きょうは主の祈りの最後に加えて祈る「国と力と栄えは…」の部分を話しました。これで主の祈りの大まかな学びを終えたいと思いますが、もうひとつ大切なことば「アーメン」にはまだ触れていません。いつかこれに触れて、「祈り」のシリーズの最後を締めくくりたいと願っています。
5月3日(月)私のホームページは、もとはといえば、Linux の覚書きを書くために作ったものです。Linux のマスコットがペンギンなので、penguinclub.net という名前を選びました。最近は Linux の記事を更新していないので、信仰のページを主体にし、Linux の記事はその中の一項目にするようにしました。
5月4日(火)そんなわけで、ホームページの再編を試みていますが、当分の間は大きな変化はないと思います。新しいロゴを作ることから手をつけてみようかなと思っています。
5月5日(水)明日は「全米祈りの日」で、毎年、この日にはそれに関連した祈りをしてきたのですが、今年は通常の祈り会になりました。こうした祈りは、誰か重荷をもって毎年、National Day of Prayer の HQ から資料を取り寄せるなどしてくれる人がいないと、定着しませんし、長続きしません。そういう人が与えられるよう願っています。
5月6日(木)きょうは夜の集まりがあったので、一日中教会にいました。教会の年度が5月で終わるので、しなければならないことが山ほどあるのですが、あまり仕事は進みませんでした。
5月7日(金)英語部の方で亡くなられた方があり、私の同僚はメモリアルサービスの手配で忙しそうにしていました。メモリアルサービスは人数が読めないので、準備が大変です。
5月8日(土)きょう、スペッシャル・ミニストリーのアクティビティがありましたが、明日が母の日ということもあってでしょうか、ふだんよりも少ない人数でした。それでも良い天気に恵まれて楽しく過ごしたようです。
5月9日(日)きょうは母の日。各家庭で母の日のお祝いがあるので、礼拝を休んだ方もありました。英語部のひとたちは、さすがに礼拝後早く帰宅しましたが、あまり母の日を意識することがないのでしょうか、日本語部のひとたちは、わりあい遅くまで残っていました。
5月10日(月)きょうも雨でしたが、夕方には晴れましたので、前から頼まれていた家内の車の掃除をしました。家内は多くは車に乗らないのですが、それでも、座席のマットなどが汚れていました。
5月11日(火)きょうの北カリフォルニアの牧師会は、私が担当でした。今週木曜日はキリストの昇天日ですので、キリストの昇天について話しました。
5月12日(水)夕の祈り会の出席者は高齢になり、何人かは聞こえが不自由になりました。それで、テーブルをくっつけて座るようにしているのですが、それでもよく聞こえない方がおられます。それでときどき祈りの課題が正確に伝わらないことがあります。けれども、聖書を中心に共に祈りあうときには、そうしたこともたいして問題にはならないようです。
5月13日(木)きょうはキリストの昇天日。ドイツなどでは国民の祝日となっているようですが、アメリカではほとんど忘れられた祝日となっています。もっともドイツでも、この日は「父の日」でもあり、宗教的要素が薄くなっていると聞きました。
5月14日(金)きょうからの九日は聖霊を待ち望む九日です。連続9日間の祈りを「9」という意味のことば「ノヴェナ」と呼び習わしていますが、それは、キリストの弟子たちがエルサレムで聖霊を待ち望んで祈った9日間から来たものです。さまざまなノヴェナが信仰の訓練のために組み立てられていますが、私はまだノヴェナを完全に守ったことがありません。今年はそれをしっかり守ってみたいと思っています。
5月15日(土)午後からメモリアルサービスがありました。礼拝堂にはいれないほどの大勢の人がいらっしゃいました。教会でいちばん多く人が集まるのがメモリアルサービスかもしれません。同僚の英語部の牧師は、なんとか福音を伝えたいと、この日のためによく祈り、よく準備しておられました。
5月16日(日)5月だというのに、今年は寒い日が多く、今年はとても不思議な気候を体験しています。病気の人や出かけている人が多く、きょうの愛餐会は人数は多くはありませんでしたが、ひさしぶりに高齢のかたがたといっしょに食事をし、楽しいときを持ちました。
5月17日(月)Todd Hunter という人が書いた Giving Church Another Chance を読みはじめています。彼は Calvary Chapel から Vineyard Christian Fellowship に移り、その代表を務めた人ですが、今は Epistcopal Church に属して、Deacon として働いています。私は著者の経歴を読んで、この本に興味を持ちました。
5月18日(火)Todd Hunter は「ノン・リタージカル」な教会から「リタージカル」な教会に移りました。彼は Calvary Chapel や Vineyard Christian Fellowship にも「「リタジー」があると言い、そこにある賛美、アナウンスメント、メッセージという流れを否定してはいませんが、礼拝にはたんに感情をかきたてるだけ以上のものが必要だといっています。そして、彼の本では、礼拝式順の「プレリュード」から「ベネディクション」までのひとつひとつを考察しています。そのひとつひとつが、クリスチャンがこの世にあってキリストの使節となっていくための霊的訓練の場にするようにと説いています。
5月19日(水)Todd が聖公会に感じた魅力は、礼拝堂の環境と静かな祈りでした。私もある年齢に達して、その魅力を感じ、またその大切さが分かるようになりました。彼はそれを礼拝の「序曲」(プレリュード)であると言っています。しかし、最近の礼拝は、神の前に自らを整え、神のみわざを深く思い見、神に期待するというプレリュードの部分が欠けているように思います。
5月20日(木)続いて Todd は「頌栄」、「聖書朗読」、「説教」、「献金」、「聖餐」、「祝福」についてその意義を説き明かしていきます。「礼拝式順」に従わないことが霊的であると考える人もいますが、私は「礼拝式順」を守ることによって、伝えられた教理を守り、人間中心の礼拝から守られると信じています。だからといって「礼拝式順」を墨守するだけで礼拝になるとは思っていません。式順のひとつひとつが御霊とみことばによって「礼拝」になることを目指しています。そんな意味で、この本はおおいに参考になりました。
5月21日(金)Giving Church Another Chance の第6章は「リタジーに従う」という題で、「リタジー」ということばが「民の公けの努め」であり、礼拝がクリスチャンのライフスタイルになるべきことを語っています。
5月22日(土)Giving Church Another Chance の結論は、「教会をそこで人々が神の国のために生きる場所にするように」ということにあるように思いました。私も、教会がたんなる「Doing」(活動)の場でなく「Living」(生きる)場所であるようにといつも願っています。
5月23日(日)きょうはペンテコステ(聖霊降臨日)なので Holy Spirit Church の夕礼拝に行ってきました。その礼拝で、副牧師の方がベトナムからの移民の人々に仕えるため別の教会に移られることを知りました。この教会ではたった一年の奉仕だったようですが、多くの人から惜しまれていました。私も何度か彼のメッセージを聞いてきたのですが、個人的には話したことがなく、その機会を逃したのは残念でした。
5月24日(月)Holy Spirit Church の前庭にあるイエスさまの像は、石に腰をかけ、下を向いてにっこりしておられる姿です。小さなこどもと話しておられるようです。このイエスさまのお顔を見るには、私もしゃがんで身を低くしなければなりませんでした。信仰の目でイエスさまのお顔を見るのも同じで、謙虚な心が必要なのだということをあらためて教えられました。
5月25日(火)私の本棚には祈りに関する本がたくさんあります。「祈りについての本を読むより、祈ったほうが良い」と言われそうですが、こうした本は私の祈りを助けてくれています。中でも P. T. フォーサイスの『祈りの精神』は日本にいたときから読んでいたもので、機関銃のように連発される明快なことばは、どんどん心に入ってきます。改めて開いてみましたが、どのページも傍線だらけでした。
5月26日(水)フォーサイスの『祈りの精神』を読むたびに、役者の斎藤剛毅先生のことを思いだします。20年以上も前にダラスでお会いし、その明快なメッセージに心打たれたのを今でも覚えています。先生もフォーサイスの影響を受けていたのでしょうか。
5月27日(木)きょう夜の祈り会にはもう一名のゲストが加えられました。その方は涙とともにいやしの体験を語り祈りました。祈りはその人の国のことばで私には理解できませんでしたが、それでも祈りの心は伝わってきました。とても祝福された時を持ちました。
5月28日(金)きのう、床屋さんに行きましたら、そこの息子さんが「バーバー」になって両親といっしょに働いていました。若い人の中には家業を継ぐのをいやがる人も多いと聞きますが、両親と一緒に一所懸命働いている姿はとても美しいものでした。大学を出て、大企業に就職してというばかりが人生ではありません。若くして自分の仕事を見つけることができたこの人はしあわせだと思います。
5月29日(土)明日は朝からコミュニティ・メモリアルサービス、午後は北カリフォルニア日本語宣教委員会と長く忙しい一日になるので、きょうのうちに片付けられることはやっておこうと、たくさんの仕事をこなしました。きょうは朝早く目覚めたので、とても疲れました。明日に備えて早く休みたいと思います。
5月30日(日)きょうは「三位一体主日」。おひとりの神が父と子と聖霊であるということを覚える日です。このことは、人間の理性だけで理解できるものではありませんが、聖書の教えの基礎になるもので、これが否定されるなら、どんなにキリストの教えが素晴らしいと認め、それを喜んでいたとしても、それはキリスト教の信仰ではなくなります。きょうは「三位一体」そのものよりも、それを祈りと結びつけて話しました。こういう話は他では聞けないので良かったという人もあれば、教理的な話よりも人生論的な話のほうが良いという人もあり、ひとつの話がそれを聞くすべての人に歓迎されるということはないのだということをあらためて感じました。
5月31日(月)きょうはメモリアルデーの休日で、道路も空いており、静かな日を過ごしました。夕方散歩にでかけるとき、隣の人と会い "Enjoy walk!" と声をかけられました。彼らは私たちが夕方に歩きに出ることを良く知っているのです。
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