USA Diary

May, 2009

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5月1日(金)街路樹も家々の木も青々とし、また花を咲かせています。近所を散歩するだけでいろんな木の花を見ることができます。木の名前も花の名前も少ししか知らない私ですが、美しいものを造られた神の美しいこころを感じることができて幸せです。
5月2日(土)先月、わが家の玄関にある松の木が病気で枯れたので、すっかり切り取られました。ある人がその下に生えていたプラントを見て、むさ苦しいからついでに取ってしまいましょうよと言ってきれいに片づけていってくれました。今、とてもすっきりしています。
5月3日(日)礼拝後、手術後自宅で静養しておられる方を訪問しました。まだ体力は十分に回復していませんでしたが、あまり体を切らないでする新しい手術法のおかけで、思ったよりもお元気で安心しました。賛美と祈りをともにささげて帰ってきました。
5月4日(月)近いうちに日本に行くことになり、きょうチケットを買いました。何年ぶりかの日本行きです。パスポートで確かめたら、前回が2003年3月のことでしたから、6年以上も経っていることになります。
5月5日(火)ウェブに牧師のための分かち合いのページを作って欲しいというリクエストがあったので、少しずつ作っていたのですが、ようやくできあがりました。この場が安心して重荷を分かち合う場になればと願っていますが、今のところ私ひとりが管理人兼メンバーです。
5月6日(水)あすの「全米祈りの日」にちなんで今日の朝・夕の祈り会では政府、軍、メディア、教育、経済、教会、家庭のために祈りました。National Day of Prayer の推進団体では「7×7」といって、この七つの項目を一週間7日にわたって祈るよう薦めています。
5月7日(木)きょうは新しい家に引っ越した方を訪ね、そこで家庭の祝福を祈りました。この家庭は事情があって以前の家を売らなければならなかったのですが、景気が悪くなり、家が売れないいちばん難しい時に入ってしまいました。しかし、家内と私とでその家に行き、そこが売れるように祈ったところ、しばらくして家が売れ、こうして新しい家に引っ越すことができたのです。私たちは神のあわれみと祈りの力を体験することができました。
5月8日(金)退職後日本で伝道しておられる先生から電話がありました。ふだんから元気な牧師なのですが、いつもと変わらない元気な声を聞くことができました。日本では牧師が足らないと聞きます。アメリカの日本人に対する重荷を与えられてこちらに来た私ですが、日本での奉仕のことも考えてみようかと思うこともあります。
5月9日(土)長老教会の日本語修養会で「伝道」について話してほしいというので、今日は午前中「何を伝えるのか」、午後からは「どう伝えるのか」というテーマで話しました。きょうは説教というより、講義ということで、ひさしぶりに原稿なし、アウトラインだけのお話をしました。多くの人に喜んでいただけたようで感謝して帰ってきました。
5月10日(日)母の日の礼拝では主の母マリヤについて話しました。私のノートブックコンピュータの背景画は、誰の作かはわかりませんが、優しい母マリヤとかわいいおさなごイエスの母子像です。このごろ、母マリヤの優しさがなぜか慕わしく思えます。
5月11日(月)ひさしぶりに近所のモールに出かけお昼にモンゴリアン・バーベーキューを食べてきました。クリスチャンストアにも寄りましたが、本も他の品物もすごく少なくなっていて、「この店、大丈夫なんだろうか」と心配しました。
5月12日(火)教会の年度末が近づき、私も報告を書かなければならないのですが、なかなかまとまりません。昨年は「奉仕」、今年は「伝道」がテーマなので「奉仕」と「伝道」に関連したものを書いてみたいと思っています。図書係を公募したところ応募してくれた人がふたりいてとても励まされましたので、そんなことを書いてみようかと思います。
5月13日(水)今までの教会では、私がどこか他のところで奉仕をするときにはみんなが祈ってくれ、奉仕を終えて帰ってきたら「先生、どうでしたか。」と聞いてくれたものです。私は、祈り会でみんなに祈りをお願いしていったのですが、誰からも「どうでしたか。」の声がかからず、さみしい思いをしました。でも、ことばに出さなくても祈っていてくれた人もいたことを信じています。
5月14日(木)宣教委員会に日本に宣教師となって行くという若い夫婦を迎えました。受け入れ側の教会ではすでに伝道所を増やしていくという計画があり、働きの場も目的も明確なので、きっと良いはたらきができるだろうと思いました。
5月15日(金)きょうのゼロ会では内村鑑三の『代表的日本人』から「日蓮」がとりあげられました。内村鑑三が日蓮をとりあげたのは、彼が信念の人であり、独立心が強かったことが理由ではないかと思いました。内村鑑三その人が独立心の強い人であることは良く知られています。
5月16日(土)「古典は若い者に読ませるな」と言われています。古典の深い味わいがわからず、つまらなく感じてしまうといけないからという意味なのでしょうが、私はその考えには賛成しません。若い頃から古典に親しむのは良いことと思っています。昔の教育では古典が教えられました。教会では古典の中の古典、聖書を学びます。もちろん、年齢を重ねるたびに聖書を深く理解できるようになったのはありがたいことですが、これも若いうちから聖書を学び続けてきたからだと思っています。
5月17日(日)今日は執事の選出があるので、執事の資格について話しました。聖書的には「監督(司教)、牧師(長老)、執事」という教会政治の原型があり、監督は教えを「守り」、牧師は教えを「教え」、執事は教えを「実行する」というそれぞれの使命があると思っています。
5月18日(月)以前、教会の施設利用カレンダーをウェブ上に作ったのですが、採用が見送りになりました。それから一年して、またそうしたものが欲しいという意見があり、作ってみましたが、バグがあって、うまく動かない部分がありました。でも、やっとバグを解消しました。使ってもらえるかどうか分かりませんが、私としては使用に耐えるこものができたと思っています。
5月19日(火)今日は住民投票がありました。カリフォルニアの財政を立て直し、不景気を乗り越えるためにという提案が出されたのですが、どれも賛否の判断の難しいものでした。教会が投票所になったのですが、投票する人もまばらで、係りの人たちはコーヒーを飲んで世間話をしていました。
5月20日(水)教団の長から「教団総会の資料をちゃんと会員に配らないと駄目だぞ」という、スラングの入ったメールをもらいました。そんなことを言われなくても私は毎年きちんと資料を用意していますが、今年は数十ページに及ぶものなので、印刷には苦労しました。昨日印刷したものを、きょう聖書クラスに来た人たちに綴じてもらいました。それにしても、昨日は思わぬところで時間をとられてしまい、聖書クラスの次の教材を用意するのをすっかり忘れてしまいました。
5月21日(木)明日、いくつかの問題を抱えている夫妻を訪問する予定でいます。「みことばと祈りの奉仕」、それが私に与えられた仕事です。牧師ほんらいの仕事ができるのを喜んでいます。
5月22日(金)明日教会で結婚式があるというので、いつもの部屋がきれいに飾られました。結婚式やパーティで部屋をきれいにする、そんな気持ちで毎週の礼拝やその後のまじわりのために礼拝堂やソーシャルホールを飾ることができたらと思いました。「礼拝に美しさを」といつも考えています。
5月23日(土)久しぶりにファーマーズ・マーケットに行きましたが野菜も果物もあまり豊富ではありませんでした。あるテントでは母と娘で野菜を売っていました。別のテントではおばあさんが手編みで編んだ帽子や赤ちゃんの服などをならべて売っていました。道路に面したところではお兄さんがカラオケで歌っていました。私はこういう飾らない素朴な雰囲気が好きです。
5月24日(日)今朝のコミュニティ・メモリアル・サービスでは「ある兵士の祈り」を紹介しました。これは南北戦争のおり、傷を負ってすべてを失ったある南軍兵士が作ったものとされ、ニューヨークのあるリハビリセンターに飾られてあるそうです。
A soldier's prayer
(Attributed to an unknown Confederate soldier)
I asked God for strength, that I might achieve.
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do great things.
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy.
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men.
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life.
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing I asked for - but everything I had hoped for;
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am, among men, most richly blessed!
5月25日(月)「ある兵士の祈り」を日本語で歌ったものをインターネットで見つけました。宮崎カリタス修道女会が2002年12月に作った「わたしをお使いください」という CD に収録されています。この CD は非売品で、修道女会への寄付のお礼に配布されているようです。修道女会ではほかに二枚の CD が作られており、どれも聞いてみたいと思いました。
5月26日(火)レストランのギフト券をもらっていたのですが、なかなか行く機会がなく、私たち夫婦だけで食べるのも申し訳ない気がして、他におふたりの方をおさそいして食事をしました。魚料理のお店でしたが、魚料理といってもアメリカでは切り身をステーキにするだけで芸のないものです。日本では頭も尻尾も料理に使いますが、こちらではそうしたものは捨ててしまいます。
5月27日(水)ここに書いたことが攻撃的にならないように、誰かを落胆させないように気配りをしてきたつもりですが、人によっては嫌な思いをした記事もあったかも知れません。しかし、どこかで共感してくれる人がいるだろうと思って、できるだけ率直な思いをダイアリーに書いてきました。このダイアリーが「○○教会の牧師のその教会に宛てたメッセージ」ではなく、ひとりのクリスチャン・ミニスターの思いを綴ったものということを明確にするため、今までのホームページから移して独立したものにしました。ついでにデザインもブログ風にしてみました。
5月28日(木)ダイアリーページを変えたついでに、各記事にコメントをつけられるようにしたらおもしろいのではないかなどと考えています。ウェブページは記事を公表できるだけでなく、それをいろんなふうに表示できるので、楽しいのですが、見栄えよりも中身を大切にして書いていきたいと思っています。
5月29日(金)英語会話クラスの年度末のフェローシップがあり、生徒たちがそれぞれ、趣味のこと、旅行のこと、ペットのことなどを題材に英語のスピーチをしました。みなとても上手でした。私にやれと言われたら、何を話そうかと考えてみましたが、あまりよいスピーチの題材は思い浮かびませんでした。英語会クラスでは毎月、聖書のお話をしてきたのですが、それに関連したスピーチはなかったようでした。
5月30日(土)数年前教会の駐車場の入り口にゲートをつけたのですが、スプリンクラーの水がかってずいぶんペイントがはげてしまっていました。きょう日本語部の兄弟たちが、ペイント塗りの作業をしてくれました。今日は古いペイントをはがし、来週完成の予定でしたが、きょう全部仕上がってしまったようです。数名の人たちが後片付けのために午後も残ってくれました。
5月31日(日)きょうは聖餐礼拝だったので、礼拝後病気で休んでいる方をお訪ねし、そのお宅で聖餐を祝いました。初代教会では「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともに」していましたが(使徒2:46)、それはこのような様子だったのかと思いました。
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