USA Diary

May, 2005

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5月1日(日)午後から「国際結婚家族の会」のデナーがありました。理事会があったため、私は遅れて行ったのですが、まだ、食事ははじまっておらず、いくつかのプログラムには間にあいました。お皿に一杯のメキシカン料理が出てきました。多くて残す人、ボックスに入れて持って帰る人など、多かったのですが、私はほとんど全部食べてしまいました。昼食をとる暇がなかったのです。人の目には、ずいぶんガツガツ食べているように見えたかもしれません。アメリカのレストランでは、一人分が、ほぼ日本の二人前になりますから、注文するときは、注意が必要です。たくさん取りすぎてたべられない時、アメリカ人は「目が胃よりも大きかった。」と言いますが、たいていは、きれいに平らげてしまいます。家内がドイツに行った時、ずいぶん小食だったので、「あなたは、雀ぐらいしか食べない。」と言われた時、「あなたは象みたいに食べる。」と言い返したと言っていました。サンホゼには、「エレファント・バー」というレストランがありますが、みんなが象のように食べるところという意味でしょうか。
5月2日(月)明日から、ロスアンゼルスに行くため、しておかなければならないことが沢山ありました。牧師たちにとって月曜日は、原則的に休みの日なのですが、なかなか、ゆっくり休むことはできません。でも、日本にいた時は、月曜日も、祝日もなく働いていました。けれども、そんなに忙しいと感じなかったのは、なぜでしょうか。たぶん、インターネット以前だったからでしょう。サンノゼの「コンピュータ博物館」の宣伝文句に「50年前は古代です。」とありました。石器時代、銅器時代、鉄器時代などという時代区分がありますが、そのうち、人類の歴史にコンピュータ時代というものが加えられることでしょう。
5月3日(火)今日からロスアンゼルスで、牧師の集まりがあって、サンホゼ空港から朝早いフライトに乗りました。荷物は鞄ひとつだけでしたので、チェックインも必要なく、荷物検査も、混んでいなかったので、思ったより早くゲートに到着しました。十分に時間があったので、新しく買った本の第一章を全部読むことができました。サンフランシスコの空港などでは、荷物検査に長い列ができるのかしれませんが、サンホゼのように小さな空港では、まだ大丈夫です。
5月4日(水)牧師の集まりは、モーテルの会議室でしているのですが、今日の夜はそこが使えず、オール・ユー・キャン・イートの店に行き、そこで話し合いをすることになりました。最初は空いていたので、好意的に場所を使わせてもらっていたのですが、だんだん混んでくると、私たちが長い間腰をあげないので、店員さんがいやな顔をし始めました。帰るときに、いちおう、「サンキュー」とは言ってくれましたが、さすがに、態度は、「サンキュー」とはほど遠いものでした。
5月5日(木)ロスアンゼルスからの帰りのフライト・アテンダントは、あまり感じのよい人でなく、サンホゼ空港が近づいているのに、飲み物の棚を片づけたりしていて、着陸寸前にやっと自分の椅子に座っていました。私は割合前のほうの席だったので、彼女のしていることがとても気になりました。
5月6日(金)若いうちは、その日の内に疲れが出るのですが、年を取ると、翌日に疲れが出るものですね。ロスアンゼルスは、三日間、カンヅメになっての話し合いでしたので、英語での話し合いよりは楽でしたが、それでも疲れました。
5月7日(土)男性の会が、明日の母の日のために、ちらしずしを作りました。私は何もしないで、試食だけに参加しました。とても手が込んでいて、まるで、プロ並みでした。これなら、きっと、母の日には大好評でしょう。
5月8日(日)きょうの母の日は、寒い日でした。ドアをあけていると、外からの風が冷たく感じられました。5月にこんなに寒いのは珍しいことです。
5月9日(月)今日のムービーは "Robe" でした。十字架につけられる前にはぎとられ、くじによって奪われたキリストの着衣をめぐる物語で、日本語では「聖衣」という題で、昔々に公開された映画です。DVD になっているのですが、音声が悪く、聞き取りにくかったので、英語の字幕をつけて観ました。ローマの護民官がクリスチャンになり、殉教を選び取っていく物語でした。古い映画ですが、新鮮な感動を与えてくれました。
5月10日(火)北カリフォルニアの牧師会に、ポリスのチーフも、遅れてですが参加してくれました。今日は私服で来ました。ポリスカーに乗っていなかったのですが、彼の車を良く見ると、青と赤のライトが、前のグリルと後部ウィンドウに隠してありました。私たちに、それを操作して見せてくれましたが、これなら、ポリスの車とは誰も気が付かないでしょう。このような、見かけはポリスカーでない車が何台ぐらいあるのかわかりませんが、ポリスカーが見あたらないからと無茶なことをしないように、みなさん、注意してくださいね。
5月11日(水)昨日は、メキシカンの「母の日」だったそうです。アメリカでは五月の第二日曜日ですが、国によって、「母の日」は違うのですね。5月5日はメキシコの Cinco De Mayo(シンコ・デ・マイヨ、メキシコのフランスに対する戦勝を祝う日)でしたから、お祝いが立て続けにあるわけですね。母の日は、スペイン語で "Dia De La Madre" と言うそうです。
5月12日(木)もうすぐ、ニューヨークから、長年日本で伝道してこられた宣教師をお迎えします。宣教委員会では、この宣教師夫妻のために、スケジュールとホームスティ先を準備し、カラープリントされた地図までついた「ウェルカム・ペーパー」を作りました。とても良く出来ていて、私も、今度、どなたかをお招きするときには、これを真似てみようと思いました。コピーをサンプルとして取っておけばよかったと、後で、気がついて、悔やみました。
5月13日(金)明日は、郵便配達の人が、フードバンクへのドネーションを集める日です。缶詰など、悪くならないものを袋に入れて、郵便受けのところに置いておけば良いので、さっそく用意しました。郵便配達の人も重いものを運んでくれ、ほんとうにご苦労さまです。
5月14日(土)今日、家内と「だれを一番尊敬するか。」という話になりました。家内は、人目に触れないで献身的に人々を愛する人、たとえば、マザー・テレサのような人を尊敬すると言いました。そして、「大きな車を運転するドライバーも尊敬するわ。」とも言いました。マザー・テレサとトラック・ドライバーとは、妙な取り合わせですが、小さい車しか運転したことのない彼女には、狭い道でも、上手に通り抜けている大きな車のドライバーは、尊敬に値するのだそうです。
5月15日(日)日曜日、近隣の教会で牧師の就任式があって、参加しました。帰りに教会に立ち寄りましたら、英語部牧師のオフィスのドアが開かなくなっていました。鍵穴に何かが入ってしまったようで、ロックスミス(錠前師)を呼んで開けてもらわなければならなくなりました。
5月16日(月)来週、家内が日本に行くことになり、頼んであったチケットをいっしょに取りに行きました。ついでに、買い物をしていたら、教会のメンバーに会いました。日曜日に、私がスーツを着ている姿しか見ていない彼女は、カラーシャツを着ていた私に、「服装が違うから先生だとは気がつきませんでした。」と言いました。「馬子にも衣装」という言葉がありますが、私も、スーツを着たり、牧師用のシャツやローブをつければ、少しは、マシに見えるのですね。外側だけでなく、こころと人格の内側にも、良いものを身に着けられたらと願わずにはおれません。
5月17日(火)英語部牧師のオフィスのドアはやっと開いたのですが、今日は、教会の地域が、朝からずっと停電でした。近くのショッピング・モールも、開店休業で、ビジネスに大きな損害が出たことと思います。私も教会では仕事にならず、訪問するところもあったので、早めに切り上げて、家で仕事をしました。こういうことがあると、どれだけ私たちが、コンピュータに頼り、電気に頼っているかを思い知らされます。
5月18日(水)銀行のアカウントをチェックしましたら、税金の払い戻しが入っていました。私は今年も、締め切り直前に書類を出したのですが、一ヶ月以内に払い戻しが来ました。IRS のタックス・リターンがずいぶん早くなったような気がします。
5月19日(木)知り合いの高齢者が踏み台を使って物をとろうとしたところ、そこから落ちて、入院しているという知らせを聞きました。病気ならいたしかたないのでしょうが、けがでこんなことになったのは、たぶん、悔やまれることでしょうね。年齢と共に、より注意深く行動しなければと思いつつ、この人の快復のため祈りました。
5月20日(金)今日のゼロ会は昼食会だけで、最近赤ちゃんが与えれた方から「パパ」になった感想を伺いました。「今、仕事が忙しいけど、赤ちゃんの世話は、別のプライオリティでやっています。」と話してくれました。どんなに仕事が忙しくても、「ファミリー」のことは、また別の次元のことです。彼はこのことに気づいたようです。
5月21日(土)サンタバーバラの夏期修養会は、明日が締め切りです。今年の主事である私が、締め切りをミスしたのでは、話にならないので、忘れずに、申し込むようにしなければと、大きな字でリマインダーを書いておきました。
5月22日(日)今日は「三位一体主日」。「三位一体の神」について話しました。「ペンテコステ」の後の日曜日は、「三位一体主日」なのですが、この日を覚えるクリスチャンは少なく、この日に「三位一体の神」について説教する牧師も、もっと少ないでしょう。その時々に話題になっていることを説教でとりあげるのも必要でしょうけれど、長い歴史を通して教え続けられてきたことを大切にしなければならないと思っています。
5月23日(月)家内が日本に行きますので、サンフランシスコまで送っていきました。サンノゼ発なら、便利なのにと思ったのですが、サンノゼ発の飛行機は満席でした。でも、サンフランシスコのターミナルは、ロスアンゼルスにくらべてわかりやすいので、その点は助かります。
5月24日(火)教会の年度報告のとりまとめを始めました。ほんとうは、締め切りが15日だったのですが、ずいぶん遅れています。まだ入ってこない原稿、確認の必要な部分もあります。明日の祈り会で、何人かの方々に見ていただかなければならないので、とりあえずコピーを作ることにしました。
5月25日(水)今日の聖書の学び会では、それぞれが、キリストを知らせたいと、心に覚えて祈っている人々のために祈りました。聖書の学びが、こうして、祈りにまで高められていったことを、ほんとうに感謝しています。「頭だけのお勉強にならないように」ということを心がけてきましたが、みんながそのことを分かってくれるようになりました。
5月26日(木)南カリフォルニアで知り合った牧師夫妻が、近くに引っ越してきて、ベイエリアで仕事をはじめたので、レストランで朝食をたべながら、フェローシップを持ちました。南カリフォルニアとベイエリアでは、やはり、人々の物の見方がずいぶん違っているとの感想をもらしていました。「エンジニアの多い教会だからかもしれないが、物事の見方がやや狭く、交際や活動の範囲も狭いのに、忙しくしている。」と言っていましたが、私も、同じように感じていましたので、けっこう話が弾みました。
5月27日(金)教会の年度報告の原稿を、もと出版社に勤めていた方にお願いしました。細かいところを指摘していただいて、とても助かりました。昼食の時、「校正」のことが話題になり、その人から、校正ミスで、文学全集を回収したという話を聞きました。どの仕事も、厳しく、責任の重いものであることを感じました。
5月28日(土)明日の礼拝前、コミュニティ・メモリアル・サービスでお話をすることになっています。英語部牧師も、別のコミュニティ・メモリアル・サービスでメッセージをするということでしたので、「どんな話をするつもり?」と聞きました。"Purpose Driven Life" から、「人生には目的がある。創造者である神がそれを与えた。」という話をするということでした。仏教徒の方々が多い中でのメッセージなので、「仏教には創造者がいないから、そのことを話したい。」と言っていました。私は、彼からヒントを得て、"Purpose Driven Life" によって殺人犯を自首させたアッシュレー・スミスさんのことを話すことにしました。
5月29日(日)礼拝メッセージで、「人生は旅」ということを話そうとして、松尾芭蕉と吉田兼行をミックス・アップしてしまいました。兼行は室町の人、芭蕉は元禄。兼行は隠居して『徒然草』を、芭蕉は、全国を旅して『奥の細道』を書きました。間違えようがないのに、どうしたことでしょうか。教会に国語の先生がいて、礼拝後「違っていましたよ」というメモをいただきました。このメモにとても感謝しました。
5月30日(月)恒例になっているオークヒル・メモリアル・パークでのコミュニティ・メモリアル・サービスに行きましたが、日本語部のメンバーはひとりだけしか来ていませんでした。この人といっしょに、セメタリーの丘の上にある建物まで行き、配偶者の遺体が納められてあるところで祈りをささげて帰ってきました。愛する者を亡くされてすでに13年、この方には、悲しみよりも、天国への希望がいっぱいにあふれていました。「叔母さんが生きていたら、13回忌をしろなどと言われて大変だったでしょうね。」と笑って話してくれました。
5月31日(火)教会の年度報告の印刷がやっと始まりました。今年は製本が、総会の前日ということで、みなのんびりしていて、原稿がなかなか集まらなかったのです。きょうは、ひとりの姉妹が来て、半分しあげていってくれました。
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