USA Diary

May, 2001

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5月1日(火)5月とは思えないほど暑い日がやってきました。カリフォルニアにいると、気候が温暖なので、ついついここはアメリカ大陸なんだということを忘れがちです。急激な気候の変化があるたびに、あらためてアメリカにいることを思い出します。
5月2日(水)ガソリンの値段がまた上がってきました。1ガロン2ドル台です。そのうち3ドルになるのではと、予測されています。日本ではもっと高いのかもしれませんが、こちらではなにせ、乗る距離が違いますのでガソリンの高いのは響きます。そろそろ自転車に乗るようにしましょうか。運動不足の解消にもなっていいかもしれません。
5月3日(木)きょうは「全米祈りの日」。アメリカの指導者のため祈る日です。ブッシュ大統領も就任して100日を越えましたが、おおむね評判は良いようです。ブッシュ夫人は「彼のプライバシィを守ることが、私の大統領夫人としてのつとめです」と言っていますように、派手なパフォーマンスもなく、好感を持たれているようです。
5月4日(金)今までビル・ゲイツさんがアメリカ一の金持ちだったのですが、ウォールマートの社長に追い抜かれたそうです。ウォールマートは、日本のダイエーやイトーヨーカードーのような小売店ですが、日本の企業から多くを学んで全米一の小売店になったそうです。社員教育が行き届いていることで有名だったのですが、感じの良くない店員もいて、このごろはそれほどでもないようです。
5月5日(土)明日から、合同聖書クラスがはじまります。30名の予定なので、聖書クラスのテキストをバインドしました。このテキストブックはいろんなところで使って来たのですが、すこしづつ手を加え、徐々に読みやすくなってきていると思っています。
5月6日(日)教会のミーティングが遅くなったので、三家族で夕食を共にすることにしました。家に帰ったのが午後8時ごろ。今日は朝の8時から12時間の long day となりました。
5月7日(月)このところ暑くて、車の冷房が効かないということで、車屋に持っていきましたが、どこも壊れていないということで帰ってきました。以前の車は良く冷房が効いたのですが、この車は冷房がゆるいのです。何も直らなくて、検査料だけ取られました。
5月8日(火)今日は北カリフォルニア四教会の牧師会がありました。いつもは昼食を共にするのですが、病院訪問があったので、それには出ませんでした。夜、家庭集会に行きましたが、少し道に迷ってしまいました。そのご家庭に着いたら、来ている人みんなが一度以上は迷ったことがあり、中には、見つけられなくて帰ってしまった人もいるとのことでした。通りが途中で途切れているのです。私ははじめてでしたから迷っても大目にみてもらいました。
5月9日(水)前に、メッセージでタイトルだけとりあげた『話を聞かない男、地図の読めない女』の本を貸していただきました。男と女の生理学的、心理学的違いを書いたもののようです。今、読む暇がないので、後で読んでみようと思っています。
5月10日(木)今日は国際結婚者の会「ルツ会」。英語部からひとりの姉妹に来ていただき、お話をしていただきました。彼女は、もと教師だけあり、私たちにわかりやすくメッセージを伝えるために、パネルやしおりなど、いろんなものを用意してくださいました。ほんとうに、周到な準備を心から感謝します。
5月11日(金)カリフォルニアの大金持ちが何千万ドルもロシアに払って、宇宙飛行を実現しました。宇宙飛行がこんな形で行われたのは、おそらく始めてのことでしょう。これからは、宇宙に行くのも金次第ということになるのでしょうか。でも、天国だけは金ではいけませんからね。
5月12日(土)夕方、ピアノ・デュオ・コンサートでした。2台のピアノはやはり迫力がありますね。150名以上の方が演奏を楽しんでくださいました。チャイルド・ケアの子どもたちやスタッフをいれると200名近い人々が来てくださり、盛況でした。
5月13日(日)きょうは「母の日」。礼拝で子どもたちが花束を配ってくれました。この花束は、昨日、ある方が遠くから持ってきてくださったものです。夜は、日本に戻るご家族の送別会でした。先週はすごく暑かったのですが、きょうはずいぶんひんやりしています。こういう時は風邪を引きやすいので、私はセーターを着て出かけました。私と同じことを考えていた人がもうひとり、送別会に来ていましたが、他の方はTシャツとショーツでした。
5月14日(月)家ごと大きなテントにくるんで消毒をしているのを良く見かけます。家の売買のときに行われることが多いようですが、白アリや他の害虫が出た時にそうするそうです。その間住人はホテル住いということになります。近所にそういうお宅がありました。そこに郵便配達人がやってきました。それを見かけた私は、郵便はどこからいれるのだろうと興味を持ちましたが、見届けないで家に帰ってきてしまいました。おそらくは、郵便局に持って帰ったでしょうね。
5月15日(火)この町では、主要道路の交差点などに大きな宣伝看板が数多くあり、どのぐらいの周期だかわかりませんが、さまざまな宣伝に入れ替わります。ある交差点でふと見ると、"Perl Harber, May 25" とありました。映画の宣伝なんですね。どんなふうに日米開戦が描かれているのだろうと、興味をそそられました。しかし、あの看板の貼り替えは、何時ごろ、どうやってやるのでしょうね。現場を見たことがないので、きっと夜中にやるのでしょうかね。
5月16日(水)教会の年度報告のプリントがはじまりましたが、係の方がプリンターと紙質が合わなくて、プリントに苦労していました。私は以前の教会で(というより日本にいた時から)紙の選定から印刷、製本を良くやってきましたので、一言私に聞いてくれれば…という思いがありましたが、私の特技をみなさんご存じないでしょうから、しょうがありませんね。
5月17日(木)ファイルホルダーにつけるプラスティック・タブなんですが、私は 1/3 カットのものを持っていたので、それに合わせるためにおなじものをずっと探していました。あちらこちらの店に入って聞いてみるのですが堂々と「ありません」と言われてしまいした。「今度、いついつに入りますから…」などとは言わないのです。その点、以前いた近くの小さなドラッグストアでは、ブリッジ用のフロスを買いにいった時など、「すぐ取り寄せますから明後日来てください」と言われ、言ったらその通り品物が補充されていました。みんな「雇われ者」でお客さんを大切にすることがしっかり教えられていないのは残念です。今日、家に帰る途中、「この店にはないだろうな」と思って入ったところに探していたものが見付かりました。やれやれ。
5月18日(金)5月のゼロ会に、ご婦人がおふたりみえました。この場でも、『話を聞かない男、地図の読めない女』の話題が出ました。今日のテーマは「相乗効果」だったのですが、女性の参加によって、今まで男性だけだったゼロ会にも「相乗効果」が表れたかもしれません。
5月19日(土)今週は忙しい週でした。毎晩集会があり、今日は午前中は年度報告書の製本、午後は教会の男子会が、ご婦人がたのために明日の昼食を作ろうというので台所に集合しました。メニューは、前菜がサラダ、メインがビーフシチュー、そしてデザートがフルーツ・ジェローです。午後5時半ごろ、ほぼ完成。味見をして解散しました。さすがに「料理の鉄人」たちが腕を奮っただけあり、満足な出来栄えでした。
5月20日(日)今日の男子会によるご婦人方の招待ランチは盛況だったようです。「だったようです」というのは、私は別のミーティングに出ていて、戻ってきたのは、その後の送別会の終りの部分だけだったからです。でも、昨日作った料理は、サラダもデザートも、そのミーティングに持ってきていただいて、そのメンバーと一緒にいただくことができました。教会を終えてから、ある老夫妻をお尋ねしました。奥様が最近緊急入院されましたが、元気になって帰ってこられたので、お見舞に行ってまいりました。ご主人は耳が聞こえないとおっしゃっていましたので、今度は、礼拝メッセージのプリントアウトをお持ちするようにしたいと思います。
5月21日(月)暑い日が続いたので、冷房器具を買いにいったのですが、ちょうどいいのがなく、結局水を入れて気化熱ですこし涼しくするというエアクーラーを買いました。どれだけ効くのかどうかわかりませんが、氷でも入れたら涼しかろうと、水のかわりに氷をいれてしまいました。暑い中、何箇所も見てまわったので、さすがに疲れました。
5月22日(火)2008年のオリンピック開催地がもうすぐ決まるそうです。大阪が候補になっているのですが、どうなるでしょうね。聞くところによると大阪府は借金だらけとか。オリンピックで大阪の地盤沈下が防げればいいのですが。東京オリンピックの時は、東京都よりも日本が国として動いたと思うのですが、大阪オリンピックには、国はあまりテコ入れしていないようですね。大阪出身者としては気になるところです。
5月23日(水)ゆうべお見舞に行った方が今朝亡くなられました。呼吸困難に陥っておられたのですが、賛美をしたり、祈ったりした時「アーメン」と答えてくだっていました。今日の朝、夕の祈り会では、この方のことでいろいろとシェアリングがありました。
5月24日(木)昨日亡くなられた方の息子さんとメモリアル・サービスの打合せをすることになったのですが、私はご家族のことも、この教会での葬儀やメモリアルのやりかたは何も分からず、英語部の牧師もヴァケーションで困っていたところ、この家族を良く知る方が、奥様を迎えに教会に来られ、十分に打合せすることができました。奥様はちょうど昼食に出ておられ、ミーティングが終ったころに帰ってこられ、すごいベストタイミングでものごとが運んだ今日の午後でした。
5月25日(金)今日は、午前と午後、二か所で家庭集会。ふた月に一回、この日が回ってきます。それぞれに楽しく聖書を学ぶことができました。
5月26日(土)午前中教会で用を済ませて家に帰り、食事を済ませてあれこれしているうちに遅くなり、ヘアカットに行ったら混んでいました。教会ですこし仕事をして帰りに寄ろうと思ったら、もう店は閉まっていました。教会のある兄弟は、礼拝の司会をする前には床屋さんに行くというのですから、偉いですね。私もそれに見習おうとしたのですが、今回はできませんでした。
5月27日(日)教会の礼拝前に、日系コミュニティのメモリアル・サービスに出ました。この地域は仏教の強いところで、日蓮宗、浄土真宗の僧侶の方が四人もいて、牧師は私ひとりでした。英語で話す人がいるからというので、日本語でしかメッセージを用意しませんでしたが、英語のスピーカーはお休みでした。来年、もし頼まれることがあれば英語でも用意しておかなくてはと思いました。英語を話す人が圧倒的に多かったようでしたから。明日も同様のものがあるのですが、明日は無役でただ行くだけです。
5月28日(月)メモリアルデーに日系コミュニティのサービスがあって墓地に行きました。日系人収容キャンプから志願してアメリカ兵になった方のお話しがありました。「自分たちをウェルカムしない国のためになぜ戦わなければならないのか」という心の葛藤もあったのですが、「この国は自分の国だ」という思いに至って兵役についたと語っておられました。ABCニュースのカメラマンも来ていましたが、夕方のニュースは見ずに終りました。このサービスの始まるとき、PA システムのバッテリーがあがっていて、このテレビ局の車から電気をもらい、お世話になったのですから、見てあげるべきだったかもしれません。
5月29日(火)教会の新年度のためにいろんな書類を用意しなければなりません。昔、コピーヤーが一般的で無かったころは教会のメンバーの数だけ印刷された書類が来ましたが、その後はオリジナルが一枚だけ送られ、「必要な数だけコピーしてください」となり、次にファックスであまり鮮明でないオリジナルが届き、このごろはEメールの添付で送ってきて、「プリントして配布してください」というのがやたら多いのです。しかもせっかく作ったと思ったら、二、三日してから「訂正がありましたから差し替えてください」となると大変な労力です。7ページ、8ページに及ぶ書類を100セットつくるのも楽ではありません。技術の進歩のすべてが歓迎されると限りませんね。
5月30日(水)今日は祈り会の後、聖書クラスに出るつもりでいたのですが、教会の新年度のことでいろいろ事務的な仕事があり、出ることができませんでした。後で聞きましたら、とても良いディスカションができたとのこと。あまり牧師がどこにでも出ると、かえって良くないのかも?
5月31日(木)教会のメンバーのお葬儀が夜、教会でありました。お葬儀と言っても、ご遺体はすでにクリメイトされていて、お写真を飾ってのメモリアルサービスでした。私は、クリスチャンのお葬儀に出て、そこには涙や悲しみだけでなく、そこに明るさや希望を見て、それから教会に来るようになり信仰を持たれた方のことに触れ、キリストが約束してくださった天国の希望、地上での平安についてお話ししました。
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