4月1日(土)明日は晩餐式があるので、ユダヤの人たちの過越の食事について話します。イエスがなさった「最後の晩餐」は過越の食事でした。しかし、イエスはユダヤの過越の食事を新しいもの、「主の晩餐」に変えられました。ですから、それは「最後の晩餐」であるとともに「最初の晩餐」でもあったのです。かつての過越の食事には小羊がありましたが、神殿がなくなり、犠牲がささげられなくなってからは、過越の食事には小羊を象徴する骨だけが前菜の中に並べられるだけです。クリスチャンは、キリストご自身が過越の小羊であり、完全な犠牲をささげられたので、もはや動物犠牲は止んで、パンとワインで、まことの贖いを祝うのです。主の晩餐の意義は、そのもととなった過越の食事との比較によって、多くのことを学ぶことができます。「新約は 旧約に聞き 意味を知る」
4月2日(日)昨夜から久しぶりの雨が降りました。おかげで車がきれいになりました。でも、午後からはほとんど降らず、がっかりでした。教会では、イースターの案内を手書きですることになり、メンバーに数枚づつ持って帰ってもらいました。「心込め 書いたカードで イースター」
4月3日(月)雨のあと、草が伸びたので、草刈りをしました。一度にすると疲れきってしまうので、きょうは前のほうだけ、横と裏は木曜日にしょうと思っています。コーナーにある家は、草刈りの面積がひろいのでたいへんです。「草刈りは 運動がわり 汗をかく」
4月4日(火)4月になってどの木も葉を繁らせ、今、ダラスは一番緑のきれいな時を迎えています。いたるところにあるドングリの花が散って厄介だったのですが、それもピークを越えました。秋になればドングリの実や葉を片付けなくてはいけません。庭仕事は短い冬以外、いつもついてまわります。「庭仕事 春、夏、秋と 精を出す」
4月5日(水)きのう、娘に荷物を送るため UPS に行ったのですが、大腸の検査のサンプルを送るために、きょうも、また UPS に行きました。きょうはドロップ・オフだけでしたので、別の UPS へ行きましたが、ここは、いつもいくところより少しだけ近かったです。わが家の近くにはいろんな店があって便利です。「ご近所で すべて間にあう 便利さよ」
4月6日(木)あすのケアホーム訪問のために英語のイースターソングを用意しました。英語の楽譜ならほとんどが、讃美歌集からスキャンされた画像をインターネットからダウンロードできるので、作るのは簡単です。英語の歌詞のほうが意味深いものも多くあり、私は英語で歌うのが好きです。「讃美歌に 導かれ行く 天の道」
4月7日(金)夕食中に停電になりました。15分ほどして電気が戻ったのですが、また停電。でも、すぐに復旧しました。嵐の日でもないのに、どうして停電になったのかわかりません。ポットのお湯も電気がなければ出てきません。蓋を開けてしやもじですくうこともできますが、電気がもどるのを待ちました。食事を作っているときでなくてよかったと思っています。「飲めないね 電気なければ お茶さえも」
4月8日(土)ダラス地方には竜巻などの警報サイレンが各所にあるのですが、それが夜中に鳴り出しました。ニュースによると、誤作動のためだったそうです。幸いなことに、わが家のすぐ近くにあるサイレンは鳴りませんでした。それが誤作動で鳴り続けたなら、ものすごい音量ですので、たいへんなことだったと思います。きのうの停電と誤作動とに関係があったのかどうかわかりませんが、とにかく迷惑な話で、おかげで寝不足になりました。「騒音が 迷惑だとぞ 皆が知る」
4月9日(日)きのうのペイントも、きょうの大掃除も人数が少なくて大変でしたが、少しはきれいになったと思います。ひとつ思いでみんなで働くことの喜びを、もっと味わいたいと思います。「教会で 共に働く 喜びを」
4月10日(月)夕べ待望の雨が降りました。きょうも午後少し雨が降りました。毎週のように雨の予報があるのですが、時間が経つにつれて降水確率が100パーセントからどんどん下がっていき、ついに0パーセントになってしまうことが多いのです。毎週雨があるといいのですが、お天気は人間の願いどおりにはなりません。「雲が逃げ 太陽笑う 雨なし日」
4月11日(火)先週金曜日に続いて、きょうもケア・ホームを訪問し、イースターの賛美を一緒に歌いました。ヴァイオリンで賛美をリードしてくださる姉妹には、二回とも、とても助けていただきました。テキサスでも、聖書や讃美歌が好まれないところがありますが、どちらの施設でも、受け入れてもらい、喜んでもらえているのは感謝なことです。このためにソングブックを作ったのですが、高齢の方には文字が小さすぎたようです。こんどは歌詞だけのラージプリント版をつくることにします。「讃美歌が 忘れた昔 取り戻す」
4月12日(水)今週はグッドフライデー礼拝があるので、きょうの祈り会はそれに合流することにしました。でも、家族で祈りの時を持ち、病気の方や旅行中の方たちのため祈りました。「特別な 思いで過ごす 受難週」
4月13日(木)家庭集会では、マタイ26章と27章を、役割を決めて朗読し、所々に讃美歌を入れてみました。「朗読と讃美歌によるマタイ受難曲」といったところでしょうか。今年は、バッハがグッドフライデー礼拝でマタイ受難曲をはじめて演奏してから290年になるそうです。「いにしえの 信仰の歌 変わらずに」
4月14日(金)グッドフライデー礼拝は、静かに始まり、静かに終わることができました。活動の楽しみとともに、こうした礼拝の喜びがひとりひとりの心に根付くようにと願っています。「礼拝は 勤め・特権 最高の」
4月15日(土)イースターなので、礼拝メッセージの翻訳を手伝ってくださる方々にはお休みをしてもらい、今回はわたしひとりでメッセージの英語翻訳をすることにしました。きょうは、それも含めて明日のためのさまざまな準備をしました。何事も、「準備」は人の目には触れませんが、実際の場では、準備不足はかならず目に見えてきます。そんなことを思いながら、毎週土曜日を過ごしています。「備えの日 最善尽くし 主に委ね」
4月16日(日)古代には、イースターには「主はよみがえられた」と挨拶し、それに答えて「じつに主はよみがえらえた」と答えました。今年も、この挨拶に「ハレルヤ」を加えて、礼拝をはじめることができました。お誘いしていた数家族が参加し、ひさしぶりにおおぜいのこどもといっしょの礼拝を行うことができました。雨も降らず、エッグハントを楽しんむことができました。家内がこどものためのお話を、私は、キリストが死に対して憤り、戦い、勝利されたことを話しました。「じつに主は よみがえらえた ハレルヤ!」
4月17日(月)Lifeway というサンデースクール教材を出版している組織の CEO である Thomas Rainer さんが "CEO Christian" というブログを書いていました。この "CEO" は "Chief Executive Officer" の略ではなく、"Christmas Easter Only" という意味です。クリスマスとイースターの年二回しか教会に来ない人たちのことを指します。近年は、クリスマスやイースターでさえ、たんなる季節の行事やセールの期間になってしまっているので、たとえ、クリスマスとイースターだけでも、イエス・キリストの思う時を持ってほしいと思いますが、そうした人々が、年に二度だけでなく、毎週、神の言葉に飢え渇き、信仰を求め、礼拝のために教会に集うようになって欲しいと願っています。「何のため 教会に行く 問い直す」
4月18日(火)引っ越し以来、まだとってあったダンボール箱などを片付け、ガレージが少しすっきりしました。ダンボール箱の中にあった発泡スチロールは、私たちの町ではリサイクルにならないので、これはちいさく砕いて別の袋に入れました。「何事も 分別必要 ゴミだって」
4月19日(水)テキサスで最も古い町のひとつ、フォートワースを訪れました。有名なストックヤードのキャトルドライブをはじめて見ました。日に二回、カウボーイが長い角を持った牛を追って通りを行進するのです。想像していたよりも牛の数は少なく、行進もあっという間だったのが残念でしたが、他ではなかなか見られない光景なので、来客があったときは、お連れできる観光スポットだと思います。「追われ行く 牛の目じろり 人にらむ」
4月20日(木)この地域には家と家との間に裏道があって、ゴミの収集などはそこから行われます。きょうは朝早くから私たちの家の裏で大きな音がしました。傷んでいた、そのサービスロードを補修するため、コンクリートを削り、アスファルトを埋めるためでした。一日かけてきれいにしてくれました。「裏道も 傷んだままは いけません」
4月21日(金)夜、床につこうとしたら、近くにある警報サイレンが鳴りました。竜巻の注意報が出たようです。強い雨が降りました。外は荒れていましたが、疲れていたのでぐっすり眠ってしまいました。「嵐とて ぐっすり眠る この安き」
4月22日(土)AAA Texas の雑誌が届きました。その中にニューヨークからテキサスに来て30年になる人が、「テキサスなまり」について書いた記事がありました。テキサスでは "you all"(実際の発音は "y'all")を良く使うのだそうです。"you" は単数、複数の両方に使われますから、これは合理的だと思いますが、ニューヨークではそんな言い方はないそうです。文法的には "might be able to" が正しいのかもしれませんが、"might could" もテキサスでは良く使われるそうです。また、その記事には、ニューヨークでは、他の人が話していてもかまわず、人の話に入り込んでくるが、テキサスでは、こちらが話そうとすれば、口を閉ざして聞いてくれるとありました。それは本当で、私は、カリフォルニアでも、そういう体験をしました。テキサスでは、私のほうが、相手が言い終わらないうちに話し出してしまうことが多いように思います。それはカリフォルニアで身についた悪い習慣かもしれません。「口ひとつ 耳はふたつに 神造る」
4月23日(日)きょうはヴァケーションをいただいたので、近くのディサイプルズの教会に行き、そこで礼拝を守りました。晩餐式を含む1時間30分の礼拝で、すこし長く感じましたが、全体としては教会暦にそったまとまりのある礼拝でした。説教では、「キリスト者は主を賛美するために救われた」ということが語られました。私は「主を賛美するために民は創造された」(詩篇102:19新共同訳)という言葉を思い起こしました。「造られし ものすべて主を ほめたたえ」
4月24日(月)かつての映画には、完成度の高いものが多いのですが、それは、時間をかけて演技指導をし、何度も撮り直したからだそうです。最近は、俳優・女優のスケジュールが過密で、時間をかけられないため、そんなに時間をかけることはないようです。時間をかけたものと、そうでないものとの違いは、すぐには分からなくても、後になって大きな違いが見えてくると思います。そのことを肝に銘じて仕事をしたいと思います。「時経ても 時間をかけた もの残る」
4月25日(火)ようやくこたつをしまうことができたのですが、そうしたら、急に気温が下がってきました。けれどもテキサスでは、冷房などいらないと思える気温なのに、店でもオフィスでも冷房をかけています。アメリカ人は体温が高いのでしょうか、とにかく冷房を好みます。「冷暖房 俺の番だと せめぎ合う」
4月26日(水)夜半から午前にかけて強い雨が降り、地域によっては洪水注意報が出ました。先週、庭仕事をしたので、その後の雨に、家内は機嫌をよくしています。「大雨を 大人喜び 子は嫌う」
4月29日(土)夕べは強い風が吹いてよく眠れませんでしたが、朝早くから VBS のトレーニングがあったので、出かけました。また、来週土曜日に市の七人のカウンシル・メンバーと、学校区の役員を選ぶ選挙がありますので、候補者の意見をまとめた Voters Guide をもらってきました。その中に Cotton Belt Rail Line 推進の是非についての項目がありました。「コットン・ベルト」というのは、綿花が栽培されているアメリカ南部のことで、この鉄道は、かつては綿花の輸送に使われたもののようで、わたしたちの町からダラス・フォートワース国際空港までまっすぐ伸びでいます。今でも、電車で DFW 空港まで行けるのですが、ダラスの北側からはいったんダウンタウンまで南下して、ふたたび空港まで北上しなければならず、とても時間がかかります。このラインができれば、空港までまっすぐ西に向かうことができずいぶん便利になります。この沿線ぞいは人口が急増している地域ですので、電車を通して欲しいと願っていますので、このラインをサポートしている人に投票しようかと考えたりもしています。「今にして 貨物路線が よみがえる」
4月30日(日)暑かったきのうと違ってきょうはぐんと気温が下がりました。上がったり、下がったりの4月でしたが、きょうで終わります。一年の四分の一があっという間に終わりました。「月ごよみ 日めくりのよう 過ぎていく」
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