USA Diary

April, 2012

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4月1日(日)毎年、パームサンデーになると、礼拝堂をパームで飾り、みんながパームの葉を手にもって、「ホサナ」を歌いながら、礼拝堂に入れたらと思うのですが、この願いはなかなか実現しません。けれども、礼拝堂のお花を担当する人がパームを飾り、パームの葉で作った十字架を用意してくれました。ようやく、パームサンデーらしくなり、私の願いに一歩近づいたかなと思いました。
4月2日(月)今週はホーリーウィーク。日本にいたときには早朝の祈り会などをしていました。アメリカに来てからはグッドフライデーの他は特別なことはしていません。「どの日もホーリーなのだから…」というので、教会の暦を守ることが少なくなった現代ですが、やはり、特別な日、特別な週をしっかり守ることによって、他の日もまた聖別されていくのだろうと思います。
4月3日(火)当時の東京市からワシントンD.C.に桜が贈られて今年は100周年とのこと。様々な行事がポトマック河畔で行われ、私が以前いた長岡の花火も、そこで打ち上げられるとのことです。サンノゼの桜は満開で、散りかけているところもあります。来週はサンフランシスコの日本町で桜まつりが行われるようです。
4月4日(水)朝、夕の祈り会で「十字架のステーション」をしました。14のステーションの絵は自分で描いたのですが、あまり上手にできませんでした。「ステーション」のデボーションは絵を見て、主イエスを想うのですが、皆さんがそうしたことに慣れていないため、ちょっとぎこちなさが残りました。
4月5日(木)教会では、オンライン・クリップアートのサイトをお金を払って利用しています。このサイトには「ステーション」のセットになったアートがなかったので、それをリクエストしてもらうことにしました。教会の事務管理者の名前で、登録してありますので、この人に14のステーションの絵のリクエストを代わってしてもらおうと思っています。
4月6日(金)夕方のグッドフライデー礼拝のあと、リフレッシュメントがありました。今年は日本語部が担当なので、後片付けと戸締りのため最後まで残っていましたが、テーブルを片付けたあとも、英語部の人が大勢おしゃべりしていたので、急がせて悪かったかもしれませんが、お帰りいただくようお願いしました。日英合同の集まりのとき、いつも思うのは、人数的に多いせいもあるのかもしれませんが、英語部の人たちのおしゃべりが声が大きく長いということです。日本語部だけなら、リフレッシュメントが出ても、もう少し静かなような気がします。教会からの帰りに空を見上げると大きな満月がありました。イースターは「春分の日の後の満月の次の日曜日」と定められていますから、この時期はかならず満月になるのです。
4月7日(土)パームサンデーに礼拝堂をかざってくださった方が、イースターのためにと、たくさんのお花や道具を持って来て、礼拝堂をかざってくれました。「お花屋さんをしているの?」と聞いたら、「いや、みんな家にあるものばかりですよ」との返事でした。講壇に飾られた "HE IS RISEN" というリボンがとても効果的でした。
4月8日(日)イースターにバプテスマ式をと願っていたのですが、今年はできませんでした。けれども、午後から別の教会のためにバプテスマ用の施設をお貸ししました。三人の青年の証しと信仰の告白に続いてバプテスマが執り行われ、バプテスマを祝うことができ、とてもうれしく思いました。
4月9日(月)近所の道路が閉鎖されていたので、何があったのだろうと、あとで見に行ったら、車が燃えて消化したところだということでした。古い、スポーツタイプの車でした。近くにあったプラスチックのゴミ箱も半分溶けていました。ドライブウェーを洗っていましたが、まだ黒いものが残っていました。けが人はなかったようですし、家に燃え広がらなかったのは不幸中の幸いでした。
4月10日(火)一日中雨でした。教会の事務機の修理に来た人が話し好きで、さかんに雨が必要なことを私に話して帰りました。修理してもらったのは、紙折機で、20年以上も前の製品だそうです。この間は印刷機を買い換えましたが、紙折機もそろそろ新しいのと買い換える時期に来ているようです。コミュケーションの手段が徐々に変わりつつありますが、まだまだ印刷物はなくならないことだろうと思います。
4月11日(水)イースター休みのためでしょうか、道路が空いているような気がしました。きょうはイースターの特別な祈り会にしたかったのですが、先週は「十字架のステーション」の祈りをしたので、きょうは、いつもどおり、暗誦聖句の学びと、とりなしの祈りのときとしました。私は個人としてはリタージカルな祈りが好きなのですが、それを好まない人々もありますので、したいと思っていることをかなり控えているのが現状です。
4月12日(木)いつもある宣教委員会の集まりが来週の月曜日になったので、近隣教会の木曜日の祈り会に参加しました。ヨハネの福音書から良い学びのときを持ち、みんなが心を合わせて祈りました。霊的なことだけを求めて集まるつどいは、とても恵まれます。
4月13日(金)何度か出かけている場所に行ったのですが、道を間違えて、そのご近所をぐるぐる回るはめになってしまいました。右側にある学校から曲がってしまったのですが、ただしくはもう少し先に行って、左側にある学校のところから曲がらなければならなかったのです。記憶だけに頼っていると失敗します。そろそろ GPS を買う時期になったかなぁと思っています。
4月14日(土)いつもですと、4月15日が税金申告の締切なのですが、今年は15日が日曜で、しかも、イースター休みの後なので、締切が17日になりました。毎年「今年こそ早く」と思いながら、いつもぎりぎりになってしまいます。でも、準備はできていますので、16日にはサインをして郵送できると思っています。
4月15日(日)イースターの第二の日曜日は、さわやかな一日でした。いつも強い風邪が吹くのですが、きょうは穏やかで、いつものように礼拝メッセージをウェブページにアップロードしてから散歩にでかけました。用心のためジャケットを着て行きましたが、すこし汗ばむほどでした。
4月16日(月)今週金曜日からヴァケーションなのですが、日曜日には礼拝メッセージの奉仕もあるので、「ワーキング・ヴァケーション」といった感じになります。いつもながら、ヴァケーションの前後は、しておかなければならないことがたくさんあって、かえって忙しくなります。きょうも一日、休みがなく、ちょっと疲れてしまいました。
4月17日(火)同僚の牧師のコンピュータがヴァイルスにかかってネットワーク・プリンターが使えなくなってしまいました。幸いなことに彼にはコンピュータの専門家がついていて、遠隔操作で、ヴァイルス退治をしてもらっていました。私が知っている人のメールアドレスを使ってヴァイルスを送り届けてくる人がいますが、私は、そういうメールは開かないことにしていますし、Linux では今までヴァイルスと思える不具合は一度も経験していません。もし、そういうことがあっても、Linux なら20分で、クリーン・インストールができます。彼に Linux を勧めてみましたが、答えは NO でした。
4月18日(水)ミュージック・ショップでのショッピンのアクティビティに行きました。5時頃、世話をしてくれた人から「ショッピングが終わった」との電話をもらいました。そこは教会のすぐ近くの店だったので、迎えに行きました。世話役の人が CD を20枚ほど手にして出てきました。「ぼくはクラシックが好きなんですよ」と言いながら、声楽曲などの CD をいっぱいかかえて満足そうでした。クラシック・ファンの彼は、自分のために、これを企画したのかもしれません。
4月19日(木)きょうの役員会では議題がたくさんあったので、日英両語の役員会の一時間前から、日本語部のミーティングをはじめました。日英両語のミーティングをはさんでの長い会議になりましたが、おかけで、そんなに遅くならないで終わることができました。
4月20日(金)きょう、午後からラスベガスに出かけました。途中 Bakersfield で一泊しました。翌朝、ラスベガスに向いますが、モーテルは金曜日ということもあって随分混んでいました。三人で泊まるのにタオルが1セットしかなく、フロントにもらいに行ったりしなければなりませんでした。
4月21日(土)Bakersfield からラスベガスまでの道は思ったよりも遠く感じました。途中で小さな田舎町のライブラリやグロサリ・ストアに寄りましたが、とてもきれいなところでした。個人的には田舎町が好きですが、住めば住んだで不便さを感じるかもしれません。サンタクララから最近引っ越した方をラスベガスの郊外に訪ねてから、明日行く教会の目の前にあるモテルに到着しました。ここでもタオルが足りなくてフロントにもらいに行かなければなりませんでした。ラスベガス教会の鶴田先生と夕食をともにし、カジノ街を案内していただきました。いろいろ珍しいものを見ることができ、ラスベガスとはこんなところかという印象を新たにしました。それにしても、大勢の人が通りをあるいていて、まるで東京の繁華街のようでした。
4月22日(日)ラスベガスの教会はショッピングモールの一角を借りていました。レントはどれだけ払っておられるのか尋ねませんでしたが、とても使いやすくできていて、こういうところから教会をはじめるのもいいなと思いました。礼拝後、メンバーの方々とお昼を一緒にしてから帰路につきました。ラスベガスからロサンゼルスに帰る車で渋滞していました。おまけに、途中の反対車線で事故があったようで、そのためフリーウェーなのに、ノロノロ運転が続きました。予定よりも2時間おくれて Bakersfield に着きましたが、山を降るのはまだ薄明るいうちでしたので、助かりました。
4月23日(月)Bakersfield からサンノゼへの帰路は、月曜日ということもあって、道が空いていて、順調でした。この旅行中、レストランでゆっくり食事をしたのは土曜日の夜と日曜日の昼だけでしたので、サンノゼへの帰り道、ちょっと有名なレストランでゆっくり食事をしました。トイレもレストエリアからみればうんときれいなのが良かったように思います。
4月24日(火)遠出をすると、車が汚れます。いつもはハンドウォッシュをしているのですが、今回はカーウォッシュに出すことにしました。そうしたら、車の屋根のつなぎ目についているゴムが外れました。簡単にもとに戻すことができたので、被害はありませんでしたが、そういえば、メーカーから、リコールではないけれども、無償修理をするので、デーラーに予約するようにとの通知をもらっていました。近いうちに車を持って行こうと思っています。
4月25日(水)ヴァケーション前に「ペンテコステの黙想」を仕上げることができなかったので、きのうは黙想の仕上げに一日を使いました。きょうはその手直しと校正をして、明日印刷できるよう、準備をしました。今回はヴァケーションといっても、教会員の訪問や礼拝説教、出版物の準備など、ヴァケーションらしいヴァケーションではありませんでした。
4月26日(木)「ペンテコステの黙想」の印刷と発送にほぼ一日を使いました。印刷後、一箇所校正ミスを見つけましたが、「次号予告」の部分だったので、そのままにしておきました。今回は、イースターからペンテコステまでの50日分の黙想をひとりで書きましたので、かなり大変でした。それだけに、小さな冊子ですが、手にとってみると愛着を感じます。
4月27日(金)オフィスに帰ってみると、電話にメッセージが沢山残っていました。オフィスにいるときにはあまり電話が無いのに、オフィスを空けたとたんに電話がたくさん来るのは、皮肉なことです。
4月28日(土)日曜日の旧約クラスでは詩篇を読みはじめました。ずっと以前にウェブに詩篇の黙想をアップロードしておいたので、それをこのクラスで活用してもらえればと思い、編集することにしました。今のところ第25篇までしかないので、すこしづつ加えていこうと思っています。
4月29日(日)きょうはこどもと一緒のファミリー礼拝です。こどもたちに献金、とりなしの祈り、そして聖書朗読をしてもらいました。スキットは、私が台本を書いたまま、あとはすべてまかせましたが、スキット・チームが台本を良く読んで、意図どおり演じてくれました。大人にもこどもにも聖書のストーリーが良く伝わったことと思います。午後からは女性の会でお茶会がありました。キリスト教と茶道との関係について触れていた DVD があったので、それを観てもらいました。午後から、この地域の日本語教会の委員会があり、それに行くため、お茶会そのものには出席できなかったのは残念でした。
4月30日(月)家内がインターネットで真っ先に見るのは天気予報です。家内のコンピューターはもう10年近く前のものなので、速度が遅く、天気予報に広告などが入ると、なかなかつながりません。しらべてみたら年間10ドルで、広告が入らないサービスがあったので、それをオーダーしてみました。いままでよりもストレスなく気象情報をチェックできそうです。
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