USA Diary

April, 2011

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4月1日(金)ほんとうにひさしぶりに、引退宣教師に会いに行きました。リタイアメント・ホームの庭で話をしましたが、庭木の伐採作業をしていて、すこし音がうるさいので、移動しましたら、今度はフリーウェーの車の音が入ってきました。昨年二度お訪ねしたときには、とても静かなところと思いましたが、今回、こんなにきよらかなところにも世俗の音が響いてきていることを残念に思いました。しかし、ここにいる方々は心の静けさをしっかりと保っておられるようです。
4月2日(土)パテオに置いてあるテントにハミングバードが巣を作りました。「ハミングバードって、どこにどんな巣を作るんだろうね」と家内と話していたことがありますが、それが目の前で観察できるようになったのです。白い、綿のようなもので、上手に巣を作り、そこに一匹だけちょこんと座っています。巣はとても小さいのでハミングバードのからだのほとんどの部分がでています。観察を続ける楽しみが増えました。
4月3日(日)先週木曜日に訪ねてくださった韓国教会の牧師が、ミッション・チームの方々と、日本震災のための義援金を持ってきてくださいました。先生方の教会の礼拝が午後一時からで、礼拝に最後まで出ることができないということでしたので、礼拝の始めの部分で、義援金の「受領式」のようなことをしました。突然のことでしたが、これによって大きな励ましをいただきました。
4月4日(月)日本政府の震災への対策が後手後手にまわっているとの批判が聞かれます。たしかにそうかもしれませんが、批判だけでは「復興」はなしとげられないでしょう。政権与党の元党首たちまでが、今の党首を批判しているようでは、困ったものです。日本では、お偉い政治家にものを頼むときには、おもねるようにしなければならないそうです。ボランティアが進んで何かをしようとしているときに自分の面子を主張したり、「頼み方が悪い」などとケチをつけたりというのは、いかにも、悪い意味での、日本的な風景で、私は好きではありません。
4月5日(火)イースターのバプテスマ式のためにバプテスマ準備のクラスを持ってきました。バプテスマ式の前に信仰を言い表わす「あかし」もようやく準備され、なんとか準備が完了しそうです。今まで最低6時間の準備期間を設けてきましたが、6時間は短すぎるように思います。かならずしもすべての人が信仰の確信を持っていてバプテスマの準備ができているわけではなく、多くの場合、「神・罪・救い」からはじめなければなりませんし、教会生活を教えるにも「こうしましょう。ああしましょう」ということを教えても、教会生活の土台になる、「教会とは何か」が教えられなければ、その人は、「世から教会に」移るのでなく、「この世の団体に」加入するだけに終わってしまう可能性があるからです。洗礼準備のカリキュラムを再考したいと思っています。
4月6日(水)レントのデボーションには「十字架のステーション」や「リプローチ」、また「タナバレ」(暗闇の礼拝)などがあります。こうしたものを水曜日の祈り会でやってみようと思っていましたが、今年は「レントの黙想」ひとつに絞ることにしました。でも「十字架のステーション」はやらないのですかという声が聞こえないのは寂しいかぎりです。
4月7日(木)税金の申告締切りは毎年4月15日です。今年は4月15日が金曜日でウィークエンドになるので、締切りは18日まで延長されます。私の場合、収入源はひとつしかありませんので、そんなに難しくはないので、自分でやっていますが、代行業者に頼んでいる人も多いようです。街角に「締切りまであと○○日」と書いたボードをもった代行業者の宣伝係の人を見かけます。
4月8日(金)金曜日夕方のクラスで「使徒信条」を学んできましたが、予定より一ヶ月早く、きょうで終わることにしました。使徒信条は何度も学び、何度も教えてきましたが、そのたびに、新しい発見をし、さらに深い理解へ導かれていくように思います。
4月9日(土)この地域の「聖会」がありました。風邪でとても調子が悪かったのですが、午前中司会に当たっていましたので、無理をして出かけました。途中で咳こみはしないかと心配しましたが、なんとか無事にお役目を果たすことができました。そのとたんちょっと力が抜けたようになり、明日の礼拝での奉仕のことも考えて午後からは失礼しました。午後もきっと恵まれた集会になったことと思います。
4月10日(日)東日本大震災から一ヶ月になります。今回の震災は、「原発震災」と命名しても良いぐらい、原子力発電所の破壊によって被災者の苦しみが増幅しているようです。破壊された原子炉を廃炉にするのには、きっと建設したとき以上の時間とお金がかかることでしょう。でも、世界中の叡智を集め、早く解決してもらいたいものです。
4月11日(月)>買い物をして現金で支払おうとしたら1セント足りませんでした。店員は "It's all rihgt. We can pretend." と言って1セントまけてくれました。お店によっては、細かいお金の持ち合わせのない人のために、1セント、5セント、10セントを入れておく小皿があります。そこから小銭をもらったり、置いていったりする、いかにもアメリカ的なもので、私は、こういう融通をきかせてくれるところが好きです。
4月12日(火)IVP Book Club のセレクションから "This Sacred Moment" が送られてきました。著者はシカゴでリトリート・マスターやスピリッチュアル・ディレクターとして働いているフランシスコ会の修道士です。とても平易な語り口で、わかりやすく、また実践的に「ホーリネス」が説かれています。14章ある各章には黙想のための質問があり、個人でも、グループでも学ぶのにとても良い教材だと思いました。
4月13日(水)"This Sacred Moment" の副題は "Becoming Holy Right Where You Are"(あなたのいるそのところできよくなる)で、この本では日常の具体的な生活の中でのホーリネスが説かれています。それは、カソリックの聖人崇拝に対抗してプロテスタントが主張してきたことなのですが、ヨハネ・パウロ二世が "Universal Holiness" ということを強調されてから、プロテスタントよりもカソリックでしっかりと教えられるようになったように思います。
4月14日(木)"This Sacred Moment—Becoming Holy Right Where You Are" の著者、アルバート神父は「ホーリネスのこころは自己中心でないことである」と定義しています。それは、その通りなのですが、これは、日本人クリスチャンにどれだけ受け入れられるだろうかと、私は密かに心配しています。日本人は政治権力や資本家によって「滅私奉公」ということを長い間教えられてきました。「個」というものがなく、何事も「家」のため、「地域」のため、「会社」のため、「社会」のため、そして「国家」のためにすることが強要されてきました。それは自ら進んでではないため、どこかにごまかしのある「滅私奉公」となってしまい、自分自身は「長いものにまかれる」妥協的な生活をしていながら、それに対する反発があります。このような日本人にとってキリスト教は「個」に目覚める良いきっかけなのですが、聖書が求めるような自己の確立のための産みの苦しみを多くの人は避けて通るので、いつまでも、自己が確立しないままで終わってしまい、教会は、「自己の確立」を「自己実現」と取り違えた人たちのための、かっこうの「自己実現の場」になりかねないのです。ですから、神が主であって、このお方に「自分を捨てて従う」ようになどという教えは最も嫌われますし、理解すらしてもらえません。捨てるべき自己を持たない人にとって、聖書の教えは理解しがたいので、教会は、ホーリネスを語ることを止めて、自己実現を語るようになっていったのかもしれません。
4月15日(金)きょうは夏のように暑い日になりました。「こんなに暖かくなったのに、今頃風邪を引いてしまって」と言ったら、いや、「フリューは4月ごろが一番はやるのですよ」と言われました。それは花粉症と関係あるのかもしれません。ふたりにひとりは花粉症で苦しんでいるようですが、私には、いまのところ花粉症がないのは幸です。
4月16日(土)注文してあった LED ランタンが10日ほど前、届きました。大・小ふたつ注文したのですが、入っていたのは小さいものがひとつだけでした。それで問い合わせたら、別に送るとのことでした。しかし、その後、品切れだったのでしょうか、大きい LED ランタンの分は代金の払い戻すとの通知が来ました。この LED ランタンは郵便小包で代金より高い送料を使って発送されていましたので、販売会社はかえって損をしているようで気の毒に思いましたが、ネットビジネスをはじめたばかりの会社なので、信用を作るためにサービスに励んでいるのかもしれません。
4月17日(日)きょうのパームサンデーでパームの葉でつくる「パーム・クロス」を紹介しました。本物のパームの葉がなかったので、別の植物の葉で代用しましたが、うまくいきました。みんながパームを手に手に持って礼拝堂に入り、礼拝を始めるようなパームサンデー礼拝をしたいのですが、説教がはじまるころにようやく人々が揃うというような状況では難しいかなとも思ったりもします。古来から教会で行われてきた良い慣習はできるだけ守っていきたい、そうやって、聖書の真理を行動を通しても身につけていきたい、それが私の礼拝への願いです。
4月18日(月)きょうはタックス・リターン申告の最終日です。私はすでに済ませましたので、きょうは、ここ数年の間未整理だった書類の整理をしておきました。私はすべての申告をきちんとしてきましたので、いままで IRS(税務署)から警告を受けたことはありません。むしろ、IRS の検査でリターンを増やしてもらったほどです。しかし、過去の書類もきちんととっておいたほうが良いと、会計に明るい方から助言をいただきましたので、そうすることにしています。古い書類を整理しようと思っていた矢先でしたので、この助言は助かりました。
4月19日(火)いずれの教会でもそうでしょうが、私たちの教会にも入院中の方々、重い病気と闘っている方々、80歳以上の方を多く抱えています。仕事を無くされた方、離婚や別居といった危機を迎えている方、家族の依存症や暴力に悩んでいる方々もあります。毎週火曜日の牧師たちのミーティングでは、それらの方々のために祈り合っています。このスタッフ・ミーティングは窓の無い会議室で行われています。そこで文字通り「密室の祈り」がささげられています。この祈りが天に届き、主の御手が教会を導き、ひとりびとりの課題に解決を与えてくださるよう願っています。
4月20日(水)きょうの祈り会は「レントの黙想」からのシェアリングの最後の機会でした。朝、夕とも少ない人数の祈り会でしたが、シェアリングのしめくくりができて感謝しました。もっと多くの人でこうしたことができたら、また、わざわざ「シェアリングの時」などと銘打って時間を設けなくてもふだんのまじわりの中で、みことばのシェアリング、祈りの分かち合いができたらどんなにいいでしょうか。クリスチャンのまじわりがそんなまじわりへと成長していけるよう、いつも願い、祈っています。
4月21日(木)毎日新聞の社説に次のように書かれていました。
悲劇の渦中にありながらつつましやかな被災者の姿が国内外の人々の心を打つ一方、心ない差別やいじめに苦しむ被災者がいる。福島ナンバーの車が落書きされたり、「どけ」と言われる。ホテルへの宿泊を拒否される。避難している子どもが「放射能がついている」といじめられる。全体から見れば少数かもしれないが、根拠のない差別は厳に戒めなくてはならない。
困難が起こったとき、人々がそれによって連帯する美しい姿を見るとともに、困難にあっている人をうっとおしく思う醜い人の心も表われてきます。醜いものだけを見てがっかりしてしまうと先に進むことはできませんから、このようなときこそ神が善であることを信じていきたいと思います。God is Good. He's so good.
4月22日(金)夜、グッドフライデー礼拝を守りました。十字架上の七つのことばからのあかしと、賛美、それに、新潟県柏崎市にある避難所で被災者を救援している宣教師への献金をしました。私たちがグッドフライデーを守っているとき、日本では宣教師たちが被災者たちにイースターのメッセージを語ってくれているということも献金の勧めの中で語られました。教会から励ましのカードも送られましたので、それが用いられるようにと祈りながら、献金をささげました。
4月23日(土)イースターを前に、男性有志でヤード・ワークと洗礼槽の準備をしました。洗礼槽のほうは、午後からずっとヒーターをつけておいたので、水は十分に暖まりました。夜中じゅうヒーターをつけておくのは良くないと思い、夜10時ごろヒーターを消し、洗礼槽をシートで被っておきました。今頃の気温なら8時間あれば十分暖まることが分かりました。
4月24日(日)イースター礼拝で洗礼式がありましたが、午後、もうひとつの洗礼式がありました。近隣の教会が私たちの洗礼槽を借りて洗礼式をしたいということで、洗礼槽を使っていただいたのです。小さな集まりでしたが、洗礼を受けた人たちを賛美で迎えるなど、祈りに満ちた、温かい洗礼式でした。
4月25日(月)日本食店に買い物に行きました。駐車場改装のため木が全部無くなっていました。車ばかり並んでいる駐車場というのはいかにも殺風景で落ち着かないものを感じました。人にはやはり自然が必要なのですね。神に造られた人間は、人工のものでは満たされない、神の造られたものが必要なのです。
4月26日(火)きょうは教会の事務的なことや、頼まれていた翻訳などの仕事に集中しました。他にも、土曜日の伝道コンサートの準備や、牧師の集まりでの発題のシラバスつくりも残っています。TO DO LIST を見ながら頑張って残っている仕事を片付けていくつもりです。
4月27日(水)復活後の祈り会、すこしはリタージカルなものをしたかったのですが、準備ができず、Lectio Devina にしました。朝は、エマオの途上の物語から、夜は、トマスの信仰告白から黙想したことを分かち合いました。その後、今朝亡くなられた方のご家族、癌の手術を受ける方、出産予定の方々などのため、多くの課題を祈り合いました。
4月28日(木)今週は説教準備がない代わりに、5月の礼拝プログラム5回分の準備をしました。けっこう大変な作業でした。
4月29日(金)きのう、きょうと面談が続き、予定してした仕事が終わらず、夕方また教会に来ました。家と教会を往復する慌しい一日でした。
4月30日(土)きょうの「大作曲家と信仰」シリーズ・コンサートではバッハがとりあげられました。今回は私にトークの時間が与えられたので、バッハが自筆楽譜に Soli Deo Gloria(神にのみ栄光あれ)と書いたことから、音楽だけでなく、私たちの人生のすべての営みに「神の栄光のために」という目的があるようにと話しました。
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