USA Diary

April, 2010

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4月1日(木)教団夏期修養会の書類を諸教会に発送しました。ほんとうは2月、遅くても3月中にしておくべきことだったのかもしれませんが、夏期修養会の運営が地区持ち回りから、委員会へと移って間もなく、会場の選定やプログラムの変更でいろんな議論があり、夏期修養会も曲がり角を迎えており、以前のようなパターンで進めていくのが難しくなってきました。地域ごとの運営では、夏期修養会のために話し合う機会も多く、ものごとを決めるのも迅速にできましたが、それぞれの役割をになう人々が、アリゾナ、ハワイ、南カリフォルニア、北カリフォルニアと散らばっていると、うまく行かないこともあります。
4月2日(金)グッドフライデーには私たちの教会でも夜に礼拝があるのですが、近所の教会で午後からテゼ礼拝があるというので参加してきました。最初にテゼの紹介があり、賛美と聖書朗読がおりまぜてあり、それからとりなしの祈りをささげました。あとは、聖餐卓のもとに置かれた十字架のもとに行って祈りをささげました。少人数の集会でしたが、金曜日の午後3時を覚えて祈る有意義なひとときでした。
4月3日(土)あすはパームサンデーですが、パームの飾りのないパームサンデーになりそうです。私の希望としては、礼拝堂をパームで飾り、こどもたちにパームの葉を持たせて、礼拝堂に入場してもらいたかったのですが、できませんでした。リタジーのある教会のほうが、それを通してこどもが礼拝で役割を担うことができて良いと思っています。私としてはずいぶん長い間「教会暦」を守るよう努力してきましたが、メンバーの間では、まだ定着していません。クリスマスのポインセチアはあっても、パームサンデーにはパームが、イースターには必ずリリーが飾られるというところまでは至っていません。
4月4日(日)イースターだというのに、寒い日になりました。けれども、この寒さに負けないで、復活の主にこころを温められる礼拝であるよう願って臨みました。聖歌隊が賛美で会衆を送り出し、私が Happy Easter の挨拶をしました。
4月5日(月)ヴァケーションで LA まで出かけました。途中雨でしたが、交通渋滞もなく、明るいうちにホテルに着きました。ホテルから歩いて夕食に行きました。ここは日本人の多い地域なので、日本のラーメン屋さんもあり、とても美味しいラーメンを食べることができました。
4月6日(火)LA に来たのは、四十年来の旧友に会うためでした。彼らは夕べもホテルに来てくれたのですが、きょうは、私たちが彼らのところに行き、旧交を温めあいました。
4月7日(水)きょうはサンディエゴまで足を伸ばし、長年まじわりをいただいている人たちと楽しいときを過ごしました。
4月8日(木)南カリフォルニアはやはり暖かく、狭いホテル住まいですが、快適な日を過ごしています。自宅でインターネット放送を録音し、それを CD に記録して、車で聞きながら移動しました。私の車には MP3 を直接聞くことのできる CD プレーヤがついているので、一枚の CD で何時間も聞くことができますので、今回のような長距離のドライブのときは、CD を取り替える必要がなくとても便利です。
4月9日(金)再び LA に戻り、ある牧師夫妻とひとときを過ごしました。教会員に亡くなられた方や怪我をされた方があり、忙しい時でしたのに、時間を割いていただき、申し訳けなく思いました。LA 地区では教会員がそれぞれ広範囲にわたって住んでおり、しかも、フリーウェーといえども渋滞時にはノロノロ運転になりますので、移動に時間がとられます。それぞれの地域にそれぞれ違った牧会の苦労があります。
4月10日(土)きょう礼拝を守った教会では、礼拝後に週報を配る役目をこどもたちがしていました。この週報には礼拝順序が書いてありませんので、礼拝前にではなく、礼拝後に配るのです。礼拝前に配るとそちらに目が行って、礼拝に参加しないからというので、礼拝後に配るわけではありませんが、週報というものは、家に帰ってから読む部分が多いので、こういう配布の仕方も良いと思いました。なにより、こどもたちがその役割を受け持って礼拝に参加しているのは素晴らしいと思いました。
4月11日(日)きょうはまだヴァケーションで、サンタクララの礼拝説教は、教団引退牧師の方にお任せしてありますので、私はひさしぶりに Cathedoral of Faith の礼拝に参加しました。多人種が集まるカリフォルニアらしく、人種や社会的地位などの壁を越えた信仰のコミュニティを目指している教会で、その姿勢には共感できるものがあります。以前報告されていたキリスト像が完成して礼拝堂の前に置かれていました。「重荷を負って労苦している人は、わたしのところに来なさい」と招いているキリスト像でした。この招きに応じて、多くの人がキリストのもとに行くよう祈りました。
4月12日(月)毎年、もっと早くと思いながらできていないタックス・リターンの書類をやっと作りました。センサス(国勢調査)の書類にも記入して送り返しました。私は若い頃「仕事が早い」と言われており、それだけ数多くのことをこなすことができましたが、このごろは、とくにアメリカに来てからは日英両語でしなければならないことが多く、仕事のペースが落ちています。身辺整理の必要をいつも感じています。
4月13日(火)"Introverts in the Church" を続けて読んでいます。リーダーシップと内向性はかみ合わないように思われていますが、この本の著者は決してそうではないと論じています。なるほど、外向的な人はリーダーシップがあるように見えますが、しばしば自己主張が強く、まわりの人に対して支配的であるだけで、真のリーダーシップを発揮していないかもしれません。外向的な人は、問題を一時的に解決する能力はあっても、自分の配下にある会社や団体の根本的な問題を掘り下げ、長期にわたる解決を与えることはできない場合があります。現代はとかくパフォーマンスができる人がリーダーと見なされる傾向がありますが、この時代にはほんとうは、ものごとを深く考えることができるリーダーが必要なのだと思います。
4月14日(水)"Introverts in the Church" は、そのようなリーダーとして Eugine Peterson, Barbara Brown Tayler, Erwin McManas, Brian McLaren, Conald Miller らをあげていますが、これらはどれも、多くの人々に影響を与えている人たちです。この本では、Mother Teresa, Martin Luther King Jr., Jonathan Edwards は、いわゆる外向的なリーダーたちではなかったと論じています。パーソナリティのパターンに応じて、さまざまなリーダーシップ・スタイルがあるので、「こういう特質がなければリーダシップにはなれない」といったことは、軽々しく言うことができないと思います。
4月15日(木)"Introverts in the Church" には、内向的な人には伝統的でリタージカルな礼拝が向いているとありましたが、内向的な人がそこに逃げ込んでもよくないともありました。このことは、外向的な人にもそのままあてはまるのであって、自分がコンフォタブルでないからというので伝統的な礼拝を否定するのも間違っています。礼拝があまりにもコンフォタブルでないというのは問題ですが、公同の礼拝を自分の要求に合わせようとするのは間違ったことであり、すこしばかりコンフォタブルでない部分に学び取らなければならない真理が隠されていることを知るべきではないだろうかと思いました。
4月16日(金)同僚の牧師に「母の日はどんな説教をするの?」と聞いたら「Happy Mother's Day! とだけ言って、あとは別の話をするよ」との返事でした。私は毎年母の日にはそれに関連した話をしていると言ったら、「ハンナの話はどうだい?」というヒントをもらいました。
4月17日(土)明日の説教はイスラエルが過ごした荒野の四十年について話します。四十年の放浪は神の裁きでしたが、同時に神のあわれみの時でもありました。明日は、神のあわれみと守りに焦点を合わせて話すことにしています。
4月18日(日)近隣牧師との月に一度の祈り会を持っていますが、今月は、彼が旅行に出かけるので、きょう短く持つことになりました。今週から来週にかけて特別集会が続きますので、そのために祈りました。
4月19日(月)ひさしぶりに時代劇のビデオを楽しみました。原作は池上正太郎氏が書いたものです。日本のドラマはハッピーエンドで終わることが少なく、このドラマも、もの悲しい結末でしたが、それは俳優のうまさでカバーされていました。
4月20日(火)きょうは、3マイルも歩きました。運動のために歩いただけでなく、必要があって歩いたのですが、さすがに疲れました。でも「歩き貯め」はできませんので、これからも毎日歩いて運動する必要があります。「貯金」はできても「食い貯め」、「寝貯め」はできません。日々のみことばや祈りも同じで、日ごとにみことばを受け、祈りをささげるのも同じです。
4月21日(水)聖書クラスでは先週に続いて「永遠のいのち」ということが話題になりました。多くの人は聖書の「永遠のいのち」を「不老不死」のように考えていますが、そうではありません。また、それは死後もたましいが存続するということでもありません。「永遠のいのち」とは神によって与えられ、神によって、神のために生きることのできるいのちであって、キリストを信じる者に、生きている間に与えられ、それは、その人の内で成長し、肉体のいのちが終っても、成長し続けてなくなることのないいのちです。「永遠のいのち」はキリストを復活させたいのちであり、キリストの復活が私たちに「永遠のいのち」を保証するのです。誰もがいのち以上に大切なものはないことを知っています。しかし、「永遠のいのち」は、地上の、肉体の、一時的ないのちにまさるいのちです。聖書を読む人すべてが、このことを分かり、「永遠のいのち」を求めてくだされば、どんなに良いでしょうか。
4月22日(木)アイスランドの火山の噴火によってヨーロッパのフライトスケジュールがずいぶん乱れていますが、ある教会のメンバーのお嬢さんも空港で足止めされていて大変な思いをしているということで、みんなで祈りました。世界のいろんな異変が身近な人々にも影響を与えています。いつも世界のことを祈らなければならないと思いました。
4月23日(金)きょうと明日、北加聖会です。きょう、夜の聖会では村上宣道先生がお話されました。先生は今年77歳だそうですが、髪が黒々としていてとても若く見えます。声も衰えておられず、何十年も前にお会いしたときの印象そのままでした。
4月24日(土)朝の聖会では、榊原 寛先生がお話されました。数年前までサンフランシスコ・ベイエリアで「みえますか、愛」というテレビ番組を放送していましたが、そのときのことを思いださせてくれるような集まりになりました。
4月25日(日)きょうは村上宣道先生を迎えての四十周年の記念礼拝と愛餐会がありました。「四十周年」というのは、キャンベル教会とサニーベル教会が合併してサンタクララバレー教会となってからの四十年で、その当時の牧師が村上宣道先生だったのです。キャンベル教会やサニーベル教会発足時から教会員だったかたがたのあかしがあり、良い時を持ちました。記念会といっても、あまり堅苦しくないようにと願っていましたが、そのとおりに和やかなものとなりました。
4月26日(月)集会が続きましたので、少々疲れましたが、きょうも、しなければならないことが多くありました。
4月27日(火)今月は Pastor's Bible Study を休みましたので、この年度のクラスは来月が最後です。最後に「礼拝」をテーマに学ぶことにしています。来年は「使徒信条」をとりあげるつもりです。FEBC で加藤常昭師の「使徒信条・十戒・主の祈」が再放送されていますので、皆さんにそれを聞いていてもらうよう願っています。
4月28日(水)伝道集会のプログラムの印刷などをしました。イースターのプログラム・カバーがありましたので、それを使いました。5月9日まではまだイースター・シーズンですので、このカバーがちょうど良いと思いました。
4月29日(木)もうすぐ5月とは思えないほど気温の低い日が続いています。高齢の方や、具合の悪い方の健康が気遣われます。農作物に影響が出ないと良いのですが…。
4月30日(金)朝夕二回の伝道集会をしました。さすがに講師の榊原 寛先生は夜にはお疲れのようでした。来月まで奉仕が続きますので、健康が支えられますようにと願いました。
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