USA Diary

March, 2011

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3月1日(火)すべてのクリスチャンが「キリストにある成人」となるように労苦していたのは、パウロだけではありませんでした。コロサイ教会の開拓者であり、牧師でもあったエパフラスもそうでした。コロサイ人への手紙にはエパフラスについて、「彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます」と書かれています。この箇所は、先に奉仕した教会の教会キャンプで説教したことがあります。そのころの説教原稿は残っていませんが、このごろ、聖書のここかしこを開くたびに、以前それを語った時や場所が心によみがえってきます。
3月2日(水)5月にある牧師たちの集まりで「ホーリネス」についての聖書的・神学的・歴史的な面からの考察を話すようにとの宿題をもらっていますが、そうしたことを考えるたびに、どうしても、自分自身がどのようにホーリネスを追求するのかという霊性の問題、また、どのように人々をホーリネスに導くのかという牧会の問題へと思いが行ってしまいます。そのときのプレゼンテーションはたぶん、純粋に聖書的・神学的・歴史的なものではなく、実践的なものになるだろうと思っています。
3月3日(木)ホーリネスの聖書的考察では「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。』と書いてあるからです」との聖句をとりあげようと思っています。ここには神のホーリネスと人間のホーリネスが並べられ、それがつながれています。第一に考察すべきは、そのつながりでしょう。人が神のかたちに造られたこと、そしてそのかたちがキリストにあって回復されることなどが焦点になるかと思っています。
3月4日(金)この聖句でペテロはレビ記を引用して「…と書いてあるからです」と言っていますが、これは主イエスが荒野の誘惑で「…と書いてある」と言ってサタンを退けたことや、「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就する」と言われたことを思い起こさせます。使徒たちは、その教えを旧約に基づいて説きましたが、それは、とりもなおさず、主イエスご自身が説かれた方法でした。教父たちは旧約はユダヤ人によってでなく、新しい神の民であるクリスチャンによってはじめて意味のあるものとなると言いましたが、そのようにして、旧約はクリスチャンの聖書となったのだと思います。教会が保ってきたホーリネスの概念は旧約から来ており、初代教会の賛歌、サンクトゥスはイザヤ6:3と詩篇118:25-26からとられています。
3月5日(土)ペテロ第一1:15-16の考察で見落としてはならないのは「あらゆる行いにおいて聖なるものされなさい」という部分だろうと思います。ホーリネスは人の存在、性質、立場からはじまり、それが思考、感情などへとひろがっていくのでしょうが、ホーリネスの実は言葉や態度、行いの中に結ばれるべきものだということを、これは教えているのだろうと思います。ホッジが聖化を定義して「聖化は二つの事からなる。一つはわれわれのうちになお残る悪の原理を徐々に除きその力をこぼつこと、一つは霊的生命の原理が、思考、感情、行動を支配し、魂をキリストの似姿にまで変えていくまでに、成長することである」と言っているように、ホーリネスは思考、感情、のみならず行動にまでおよんでこそホーリネスなのだと思います。
3月6日(日)「ホーリネスと行い」というテーマは、私たちを、特定の聖人、聖徒のホーリネスでなく、日常生活におけるホーリネス、すべての人が、今、いるところで追求することができるホーリネスへと私たちを導いてくれます。5月の牧師会では以上のようなアウトラインでまとめてみようと思っていますが、まだ、プレゼンテーション用のハンドアウトの製作には、気持ちだけはあせっているのですが、まだ手をつけていません。
3月7日(月)レントに入る前に家内とふたりで映画を観に行きました。"King's Speach" でした。かなり前から上映されているので、まだやっているだろうかと心配だったのですが、近くの映画館でやっていました。まだギフト鑑賞券が残っていました。3D ではないので追加料金なしで観ることができました。この映画は、イギリス王ジョージ6世がまだヨーク公アルバート王子だったときに、スピーチ・セラピストのライオネル・ローグを訪ね、吃音を克服の努力をしていく様子を描いたものでした。映画の最後の場面では、ジョージ6世は、ローグ氏の助けにより、ヒットラーに対する宣戦布告を素晴らしいスピーチで行い、国民を鼓舞していく様子が描かれていました。単純なストーリーのわかりやすい映画で、ジョージ6世とローグ氏の友情と努力などがよく描かれています。誰にも観せたい映画ですが、アメリカでは "R" 指定になっています。ジョージ6世の治療の段階で「汚いことば」が連発されるところや、喫煙の場面などが影響したのかもしれません。そんなことはないと思いますが、これがアメリカ映画でなく、イギリス映画だから、いじわるをしたのでしょうか。でも、この映画の価値はアカデミー賞が認めてくれています。日本でも「英国王のスピーチ」として上映されるようです。
3月8日(火)明日からレントです。灰の水曜日から「レントの黙想」を使ってもらえるように、今週礼拝を休んだ人にも送りました。同じものがウェブ・ページにも掲載されていますが、やはり印刷されたものが読みやすいと思います。大きな文字が良い人は、ウェブページの PDF 版を拡大印刷すると良いでしょう。PDF はいろいろと便利なので、そのうち、「PDF 文庫」のようなものをウェブページに置きたいと思っています。
3月9日(水)今年はイースターが遅く、レントの始まりも、3月の第2水曜日からと、ずいぶん遅いはじまりとなりました。先月の英語会話クラスのとき「レント」のお話をしたのですが、そのとき、プレスビテリアン教会から来ているボランティアの人が「私たちの教会では、灰の水曜日に額に灰を塗る礼拝がありますから、よかったら来てください」と案内していました。サンタクララ教会はコンテンポラリー礼拝の教会なので、そういったことはしていませんが、そうしたリタジーを取り入れても良いのではないかと、私は思っています。きょうの祈り会では、灰を使いませんでしたが、聖書で「灰」が意味していることを学び合いました。
3月10日(木)「灰の水曜日」の「灰」は、人は死すべきものであることを覚え、日々が悔い改めであることを教えるものです。しかし、人が死すべきものであるとを覚えることは、なにも憂鬱な日々を過ごすことではありません。だからこそ、もっと真剣に生きることを追い求めるのです。復活の主によって死に勝利することを信じるのです。日々の悔い改めなしに、日々の喜びと力は生まれません。失われ、誤解されている聖書の大切な真理を、このレントの期間に取り戻したいと思います。
3月11日(金)東北地方沖で地震があり津波が発生しました。犠牲者は一万人を越えるだろうと予測されています。福島の原子力発電所がダメージを受け、放射能による汚染が心配されています。地震や津波は「天災」ですが、原子力発電所のダメージは「人災」であって、避けようと思えば避けられたはずで、とても残念に思いました。
3月12日(土)ある記事によると、原子力発電所の設計のレベルは上がっていて、理論的には「安全」であっても、それを施行する技術のレベルは下がっていて、地震などに対してもろくなっているとのことでした。自動車でも飛行機でも設計した人は「こんなになるはずがない」と思っていても、実際には配管がはずれたり、ボルトが折れたりすることがあります。設計どおりに施行されていないことがあるのです。設計と施行のギャップを埋める努力が足らなかったのかもしれません。
3月13日(日)きょうの礼拝のとりなしの時間には数人の方から被災者のために祈ってもらいました。あとで「みんなで黙祷すれば良かった」という声も聞きました。テレビなどでは大勢の人々が「黙祷!」の合図のもと大勢の人々がいっせいに頭を垂れる様子が映し出されますが、その場合の黙祷は、それぞれに違う宗教の人々がいっしょに祈るためのもので、私たち、クリスチャンはともに「イエス・キリストの名」を呼び、その名によって祈ることができるのですから、やはり、主の御名で祈る祈りをささげたいと思いました。聖書には「苦しみの日にはわたしを呼べ」とあるように、神のあわれみを求めて叫ぶことは良いことだと思っています。
3月14日(月)原子力は大きなエネルギーを取り出せるのですが、それによって放出される放射能は自然に還元できないため、閉じられた容器の中ですべてを処理しなければなりません。どこかでそれが壊れたなら、放射性物質が外部に出てしまい、環境は大きな被害を受けます。科学者や技術者はこの難題に取り組んでいるのでしょうが、これからは、原子力発電に過度の期待をかけられなくなるでしょう。さまざまな代替エネルギーの開発を進めていかなければならないと思います。
3月15日(火)きょう予定されていた牧師会に行ったのですが、急にキャンセルになりました。それで、私は午後訪問する予定だった引退牧師の先生のところに行き、5月の礼拝の奉仕について打ち合わせをしてきました。牧師会のキャンセルは残念なことでしたが、おかげで、たまっていた仕事がはかどったのも事実です。
3月16日(水)きのうは引退牧師の先生と "Shapers of Christian Orthodoxy" という IVP から出版されたばかりの本を見せてもらいました。先生は、Book Club のセレクションとしてでなく、すぐ注文されたので、いち早く手に入れられたのです。私も、この本は注文してあるのですが、まだ届いていません。キリスト教正統主義を形作った8人の教父を、それぞれの専門家がとりあげてその神学を解説したアンソロジーです。近年、福音派の中にも教父学が浸透してきました。先生は「どの牧師もこういう本をちゃんと読んで欲しい」と言っておられました。
3月17日(木)きょうは、イラン人教会の牧師といっしょに昼食をしました。日本の震災のために援助をしたいということで、その打ち合わせのために会ったのですが、話はもっぱら伝道・牧会のことになりました。その牧師はとてもポピュラーな方で、食事をしたレストランで大勢の人から挨拶を受けていました。とても大きな励ましを受けました。
3月18日(金)一昨日の話題になった"Shapers of Christian Orthodoxy" が私のところにも届きました。10名の教父たち(Irenaeus, Terutullian, Origen, Athanasius, Basil the Great, Gregory of Nyssa, Gregory Nazianzen, Augustine, Anselm, Thomas Aquinas)が取り上げられていますが、Basil the Great, Gregory of Nyssa, Gregory Nazianzen の3人は The Three Capadocians としてまとめて紹介されていますので、本は全部で8章に分かれています。どの章も興味深いのですが、私は、イレナエウスの聖書論に関心がありますので、やはり第一章のイレナエウスから順に読んでいきたいと思います。
3月19日(土)イレナエウスは、使徒たちから伝えられた伝統にしたがって、聖書を神学的(キリスト論的)に読むことを強調してします。そして聖書が真理であるゆえに、それは教会を養い、成長させる、いのちの糧であるわけで、イレナエウスは聖書を霊的に読むことを注意深く教えています。アイレナエウスの時代に当然であった、こうした聖書に対する態度が、現代には欠けてきているように思います。つまり、伝統を無視した好き勝手な解釈や、聖書をハウツーものにひきさげてしまう教説などです。イレナエウスはグノーシス主義との戦いの中で聖書の規範性を確立していったのですが、現代のグノーシス主義と戦わなければならない私たちは、イレナエウスから学ぶべきものが多くあるように思います。
3月20日(日)今礼拝メッセージのテキストに使っているコロサイ人への手紙はグノーシス主義を意識して書かれています。グノーシス主義は歴史の中で変化してきており、教父たちがそれに対抗したときのグノーシス主義と、コロサイ人への手紙が扱っているグノーシス主義には違いがあると思われます。しかし、ゴノーシス主義の基本は、人間は神の御子の贖いが必要なほど罪深くは無い、ただ無知なだけであって、グノーシス(知識)を得れば、自らが神のごとくなることができるとするところにあると思います。これは、エデンの園でエバを誘った蛇が言ったこととまるで同じです。ですから、使徒たちも教父たちもこの教えに警戒し、それを斥けたのだろうと思います。
3月21日(月)我が家にはいざというときのために乾電池で明かりをとるランタンがあるのですが、今壊れています。修理するより、新しいものを買ったほうが安いようなので、電池の消費量の少ない LED のものをインターネットで探してみましたら、一番評判のいい製品が売り切れになっていました。日本の震災の影響でしょうか。
3月22日(火)日本でも懐中電灯や乾電池が足らなくなっているそうです。乾電池のメーカーは海外にある工場の乾電池を日本に空輸する計画があるそうです。乾電池のように重いものを空輸するのはコスト的にメリットがないのかもしれませんが、緊急時にはそれもいたしかたないのかもしれません。輸送料の増加が乾電池の値上がりにならないようにと願います。
3月23日(水)きょうの祈り会は日英合同で日本の被災者のために祈る会となりました。日本にいる宣教師たちからのレポートも紹介されました。
3月24日(木)今日はある方から昼食に誘われました。雨の中でしたが、楽しい食事会となりました。
3月25日(金)原子力発電所のダメージのため、東京の電力が足らなくなりました。「計画停電」があって、多くの人が不便を感じているようですが、東京が電力を使い過ぎている、もっと低エネルギーの都市にしなければならないとの声も聞かれます。日本の技術力を使えば「低エネルギー」の生活はきっと実現できるはずです。これを機に、東京にかぎらず世界の大都市が「低エネルギー」の都市作りに取り組むようになると良いと思いました。
3月26日(土)福島にある原子力発電所は「東北電力」のものではなく、「東京電力」のものです。東京の電力を東京でまかなえないために地方から送電しているのです。日本ではあらゆるものが東京に集中していますので、東京がトップで、他の道府県は東京を支えるためにあるように思われているとしたら、それは良いことではないと思います。以前は「首都移転」なども議論されたことがあるのですが、今はそのようなことも聞かれなくなり、「一極集中」的な構造は改まっていないように思います。
3月27日(日)きょうは二ヶ月に一度の聖餐式でした。礼拝メッセージはコロサイ書からのもので、「キリストにある成人」として成長することがテーマでした。いのちの無いものに成長はありませんが、聖餐はキリストが与えてくださったいのちを覚えさせてくれます。また、日ごとの糧なしには成長はありませんが、キリストご自身が私たちの成長の糧ともなってくださっていることに大きな感動を覚えます。
3月28日(月)遠くのウオールマートまで買い物に行きました。ウォールマートは確かに他の店より安いのですが、けっこう遠いところにあり、そこまで行く時間とガソリン代を考えるとわざわざ行く気にはなれず、いつも近くで買い物を済ませていました。でもきょうは家内が探しているものがあるらしく、何年かぶりでこの店に来ました。でも結局、手頃な値段ではみつからず、探していたものはインターネット・ショッピングとなりました。
3月29日(火)今まで寒かったのに急に夏のように暑くなりました。今日は同僚の牧師とインド料理を食べに行ったのですが、ホットな料理に、胃もちょっと熱くなりました。この午後、集中して仕事ができたのは、香辛料の効き目でしょうか。香辛料は脳を刺激すると言われているのはほんとうのようです。
3月30日(水)教会の会計監査役から教会の車のマイレージ・レポートを出して欲しいということで、コンピュータのファイルを過去の分まで遡ってしらべましたが、七年間のうち二ヶ月分のファイルが壊れていて復元できませんでした。でも、印刷した報告書はすでに担当者に出してありますので、問題はありませんが、データのバックアップをもうすこしきちんとしておかなくてはと思いました。
3月31日(木)同じ市内の韓国教会の牧師が訪ねてくれました。震災の支援金を日系教会を通してしたいということでした。過去、日本は韓国の方々にひどいことをしたのに、日本のために祈り、心をかけてくださることを感謝しました。
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