USA Diary

March, 2003

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3月1日(土)夜、間に合わなかった印刷をするために教会に行ったら、ユースグループの女の子たちが、メークアップの勉強をしていました。こういうのはアメリカならではのアクティヴィティでしょうか。日本では少子化の影響で、教会に若い人が少なくなっているとか聞きますが、こちらでは若い人たちが良くケアされ、また、活動しています。
3月2日(日)今日予定されていた午後の集会がキャンセルになったので、昼食後、戸締りを全部済ませて、わりと早く帰ってくることができました。それでも三時半ごろでした。おかけで説教のアップロードが早く済みました。
3月3日(月)わが家の裏庭のリスはたちが悪く、レモンを木からもぎとってくるのですが、すっぱくて食べないで、そこら中にちらかしていきます。家内が集めたら二十個近くありました。今日はヤードのゴミを集める日なので、集めたものはそこに入れました。
3月4日(火)あすは「灰の水曜日」、レントがはじまります。今年も「レントの黙想」を作っています。レントには、もっと祈りに励むとか、断食するとか、何か特別なことをする人が多いのですが、私の場合「レントの黙想」を作ることが、レントの課題です。
3月5日(水)今日送られてきた News Week の最新号は「ブッシュと神」が特集で、彼の信仰が政治にどのように影響しているかが書かれていました。News Week はアメリカで発行されるものと、アジア地域で発行されるものとでは、まるで内容が違うそうですが、この記事は日本でも読むことができるのでしょうか。
3月6日(木)横田めぐみさんのご両親など「拉致事件」の関係者がアメリカに来ています。国際的な世論を高めたいということなのでしょうが、こうした民間外交が必要なのは、日本の外交があまり成果をあげていないからなのでようか。アジアの平和のためにも何らかの進展があるよう願っています。
3月7日(金)わたしのウェブページは、今までインターネット・サービス・プロバイダーが提供している無料のスペースを使っていましたが、分量が増えてきましたので、このたび、ドメイン・ネームを取って、ホスティング・サービスのサーバーを使うことにしました。ファイルの移動のさい、ゲストブックの最新のバックアップをとり忘れて、新しい書きこみが消えてしまいました。もうしわけありません。ゲストブックへの書き込みをお願いします。
3月8日(土)今日も夜教会に行きました。ユースグループの元気な歌声が聞こえてきました。よい指導者とプログラムに恵まれ、私たちの教会のユースブループはさいわいだと思いました。
3月9日(日)日本に旅行中だった人たちも何人か帰ってきて、共に礼拝を守りました。沖縄に行ってきた人は「暖かかった」と言っていましたが、横浜に行ってきた人は「夜はちょっと寒かった」と言っていました。今週、日本に行きますので、さて、どんな服装を用意したら良いかと思っています。
3月10日(月)日本旅行の前に買物に行ったり、銀行に行ったり、いろんな用を果たしておきました。日本からのおみやげにはいくらでもあるのですが、日本へのお土産はいつも何にしようかと困ります。たいていのものは日本にあるので、アメリカのものは珍しくもなくなったからです。マクトナルド、スターバックス、デスニーランド、ユニバーサルスタジオも日本にあります。無いのはグランドキャニオンやヨセミテといった雄大な自然でしょうけど、これは持っていくわけにいきませんので。
3月11日(火)この地域の牧師会に行くのに、英語部の牧師の車に乗せてもらい、途中オフィスチェアーの専門店に立ち寄りました。椅子の高さの調節はもとより、車のシートのように椅子を前に引く機能がついたものもありました。彼はほとんど一日中、長く椅子に座っている人なので、一番からだにあったものが必要なのです。このお店には教会のメンバーがつとめていて、教会のためにディスカウントをしてくれるのだそうです。良かったですね。
3月12日(水)二回の日曜日をスキップするので、礼拝プログラムのほか、「レントの黙想」などを二週間分、おまけに JOD のテキストも「次の週からありません」と言われ、急いで準備しました。今日はハードなパブリケーションデーとなりました。
3月13日(木)午前中のルツ会を終えて、Pastor's Report を作って、やっと明日からの日本行きのパッキングにとりかかりました。ハンドヘルドコンピュータを持っていこうと、チェックしましたら、長いこと電池を使わずにいたので、バックアップ用のボタン電池がなくなっていてデータが消えてしまっていました。データといっても、大事なものは何も入れていなかったので、大丈夫でしたが、英語辞書や Pocket C のプログラミングツールはインストールしなおさなければならなくなりました。
3月14日(金)エアポートに向かうフリーウェーの電光掲示板に「子供がさらわれた。ダットサン200SX、これこれのプレートナンバーを見たら通報せよ」とのメッセージが流れていました。犯罪防止のために取り入れられたシステムですが、実際に見たのははじめてでした。
3月15日(土)飛行機を降りたらもう土曜日の午後、アメリカから日本に行く時は一日損をするのですが、また帰りにとりもどせるので大丈夫でしょう。ドルを円に変えましたが、円高で、手数料をいれると、ほぼ1ドルが100円でした。
3月16日(日)ここからは当分 「日本日記」になります。今日はサンタクララ教会出身のかたがたとのミーティングがありなつかしい方々にお会いしました。この日は、サンディエゴ教会出身の家族にも合うことができ、二重の喜びを得ました。
3月17日(月)聖書神学舎の第44回卒業式に出席しました。私は第14回目の卒業生なので、なんと卒業して30年がたっていたのです。アメリカの牧師なら25周年などというと「四半世紀もミニストリーをしてきた」と記念会をするのですが、私は25周年も何もせず、30周年のことも何も考えないでいました。
3月18日(火)群馬で、サンディエゴ時代の友人に会いました。昼食にレストランに行きましたが、まわりは皆ご婦人方ばかり。婦人向けのメニューがはやっているとのことです。ご主人が一所懸命働いている時、奥様方がこんなにおいしいものを食べていていいんでしょうかね。
3月19日(水)東京に戻り、都内の教会を訪ねました。東京は不況とはいえ、けっこう元気で、教会も活発でした。
3月20日(木)大阪に来ました。私が育った家は誰も住む人がいなくなり、売られ、とり壊されて、跡地に新しい家が二軒建っていました。あの家が建ってから45年。アメリカにくらべ日本の家の寿命は短かいですね。
3月21日(金)今日は「春分の日」で、日本では休日だったのですね。この休日を利用して新潟時代の友人に会いました。このご夫妻とは、それぞれ別の所に住むようになってもう二十年になりますが、変わらず良くしていただいています。
3月22日(土)午前中、サンタクララ教会メンバーの親族の方をお訪ねしてから大阪市内に出ました。数年前にあった店がなくなっていて、目的を果たせませんでした。ここ数年で大阪も変わりました。どこもきれいになり、大阪らしさが薄れてきたように思います。
3月23日(日)大阪では姉の家に滞在しましたが、近くに天然温泉があり、そこに連れていってもらいました。日曜日の夕方ということもあって混んでいましたが、露天風呂と、打たせ湯、歩行湯、マッサージ湯、香りの湯など何種類ものお風呂を、入浴料600円で楽しむことができました。こうした都市近郊の温泉はひとつの流行になっているようです。
3月24日(月)飛行機は、予定よりも早く着き、移民局を通り、荷物を取って税関と検疫所を通ってもまだ到着予定時間内でした。娘の迎えを待って、帰路に着きました。飛行機では十分に眠れなかったので、家についてから眠ってしまいました。
3月25日(火)今日は、昨日と逆に、私が娘を空港まで送りました。朝早く送っていったのですが、飛行機のエンジントラブルとかで、いったん乗り込んだ飛行機から別の飛行機に乗り換え、出発が二時間以上も遅れたようでした。
3月26日(水)イラクでの戦争はどうやら長期化しそうです。長期化すればするほど、互いに犠牲者が出、アメリカもイギリスも大変になってきます。一日も早い終結のために、フランスやドイツ、ロシアは黙って見ているだけでなく、何かできないものでしょうか。
3月27日(木)今朝のルツ会は家内に行ってもらって、私は教会でたまっている仕事をしていました。ただでさえ、かなりのことが遅れがちなのに、今回のように特別なことがあるとなおのことです。まだ旅行の疲れが残っているのでしょうか、今日の調子は今ひとつでした。
3月28日(金)今日は午前、午後と家庭集会のダブルヘッダーでした。明日も、一日つぶれるので、夜はたくさんの原稿書きがあり、コンピュータに向かっていました。
3月29日(土)ウォールナッツクリーク教会で宣教大会がありました。ちょうど多くの宣教師が帰国中で、一度に多くの宣教師の方々のお話を伺うことができました。
3月30日(日)三月最後の礼拝でした。来週から夏時間になりますので、そのことを皆さんにお知らせしましたが、それでも、礼拝に遅れてくる人がかならずあるのです。みなさん、土曜日の夜、時計を一時間進めるのをお忘れなく。
3月31日(月)家内の買い物に付き合い、ある店に入りました。ちょうどキャッシヤーが使っているレジスターの画面が見える位置に椅子があったので、そこから画面を見ていましたら、新しいカスタマーに画面が変わるたびに画面に、"SAY HELLO" という文字が大きく現れていました。キャッシヤーはそれを見てお客さんに "Hello!" と言うのです。なかなかのアイデアだと思いましたが、レジスターの画面に指示されなくても "Hello!" と言ってもらいたいと思いました。
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