USA Diary

February, 2010

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2月1日(月)この月曜日もいつものように過ごしましたが、今年のレントの黙想の準備が遅れていますので、それに時間を割きました。
2月2日(火)お昼休みにいつもの郵便局に行きましたが、結構混んでいてずいぶん待たされました。きょうの夜はきのうの代わりにムービータイムにし、「レ・ミゼラブル」を観ました。原作とは違ったところが多くありましたが、よくできたムービーだと思いました。
2月3日(水)夜の祈り会は、英語の方からシェアリングをしてもらいました。ヨハネの黙示録から Come, Lord Jesus. との祈りを学びました。私はそれを聞きながら Come Lord Jesus and do not delay. というテゼの賛美を思い起こしました。
2月4日(木)午後、以前お会いした宣教師が、少年院での奉仕の途中、教会によってくださいました。夜、教会のリモデル委員会がありました。風邪で具合悪かったのですが、無理をして行きました。有意義な話し合いだったと思います。
2月5日(金)まだ風邪は良くなっていません。きょうは一日ぼんやりとして過ごしました。「レントの黙想」の最初の部分ができましたので、印刷をしてもらいました。
2月6日(土)男性の会の集まりに出ました。1月の行事の反省をし、2月の計画を立てました。反省がすこしづつ生かされていくことを願っています。
2月7日(日)風邪のため、みなさんには聞きづらい説教になってしまったようです。
2月8日(月)用があってギルロイまで行ってきました。行き帰りの車の中でジョン・マッカーサー牧師のメッセージを聞きました。「今日のクリスチャンが聖書を読むとき、自分で何が真理かを決められるかのようにして、自分がどう思うかということを第一にしてしまっている」と言っていたのには同感です。信仰は理性を否定することではありませんから、聖書に書かれていることを考えることは大切なことですし、スモールグループで聖書を読んでの感想を分かち合うことも役に立ちます。しかし、自分で考えたことやみんなで話し合ったことが真理になるわけではないことをわきまえていないと、せっかくの聖書の学びや分かち合いが人々を間違った方向に導いてしまうこともあります。私はここ十年ほどそのようなことを考え続けてきましたので、アメリカの指導的な牧師が同じことに警鐘を与えてくれていることを心強く思いました。
2月9日(火)今週の「霊的訓練」のクラスでは「シンプルな生活」を勉強するのですが、ふりかえってみると、日本にいたときはとてもシンプルでしたが、アメリカに来てからは、地域の変化や文化の変化ばかりでなく、時代の変化もあって、ずいぶん多くの「モノ」に囲まれ、複雑な生活をしているように思います。身辺整理を考えているのですが、なかなか実行できないでいます。
2月10日(水)家内のメガネの処方が変わったので、90日以内なら無料で取り替えるということでしたが、いろんな手違いがあって、なかなかできないでいました。こちらから何度も電話したら、やっと向こうから連絡があり、ようやく正しい処方のメガネを手に入れられそうです。一般のメガネ店では技術者がいて、レンズがあれば一時間ぐらいでメガネを作ってくれます。値段もあまり変わりません。私がこんどメガネを作るときには、病院ではなく、一般のメガネ店で作ってもらおうかと思っています。
2月11日(木)「レントの黙想」の次の部分ができました。読み返してみると言葉遣いを直さなければならないところも多くありますが、それはウェブ版で訂正しておきたいと思っています。
2月12日(金)午前中特別集会があり、昼食もありました。大勢の人がみえましたが、特定のひととしか話すことができませんでした。夜は「霊的訓練」のクラスで、家内も出席し、「とても良かった」と言ってくれました。もちろん家でも同じような話題を話し合いますが、系統だって話すことがありませんので、やはり、クラスに出て整理するのは役立つようです。
2月13日(土)ようやく風邪も良くなってきました。明日は風邪声でなく話せるかと思います。もちろん、「声」よりも「ことば」、外側よりも中身のほうが大事なのですが、やはり、聞きやすい声と聞きにくい声とがありますから、最善を尽くしたいと思っています。
2月14日(日)定例の「霊性セミナー」に出かけました。一緒に席についた方は、6歳のときこの教会で洗礼を受け、ここで結婚し、60年間ずっとここで信仰生活を守ってきた人でした。やさしそうなご主人と一緒でした。帰り際に「来月またね」と声をかけてくれたのですが、来月は別の集まりがありますので、セミナーは休みます。4月は無いので最後の5月には出席したいと思っています。
2月15日(月)「レントの黙想」のウェブ版をアップロードしました。「きょうの聖書」と同じようにコメントが自動的に入れ替わるようにしました。日本の読者のために「日本時間版」も作りました。
2月16日(火)「レントの黙想」の案内をしましたら、多くの方からよい反応をもらいました。以前から考えていて、今年、できなかったことですが、来年は、何人かの牧師たちに声をかけて共同で作ってみようかと思っています。
2月17日(水)祈り会でボンヘッファーの「共に生きる(Life Together)」から、「共にいる日」と「ひとりでいる日」について話しました。このふたつは相反するものではなく、統合しているものなのですが、ボンヘッファーのドイツ人らしい論理を皆さんに分かるように説明できたかどうか、心配しています。
2月18日(木)シニアの会ではミニ・ローズの盆栽づくりのアクティヴィティがありましたが、午後から出かけなければならなかったので、「良い会になりますように」との祈りを残して教会を去りました。
2月19日(金)「ゼロ会」では「大統領の信仰」についてのプレゼンテーションがありました。カーター、レーガン、クリントン、ブッシュ、オバマ各大統領について、それぞれの信仰的背景を学びました。カーターは信仰的な人物でしたが在任中はかならずしも良い評価を受けませんでしが、レーガンは個人としては信仰的ではなくてもアメリカ人の信仰心と愛国心に訴える術を持っていました。このふたりの比較は、私にはとても興味深く思いました。私、個人としてはレーガンよりもカーターのアメリカ観に共感を覚えるものがあります。日本の首相は1885年の伊藤博文以来、鳩山由紀夫まで93代を数えますが、アメリカは1789年のワシントン以来、オバマまで44代にすぎません。日本での首相在任の最長記録は佐藤榮作の七年半だろうと思いますが、それもアメリカ大統領の2期8年にはかないません。政治制度の違いもありますが、アメリカのほうが、より安定した政治ができるように思います。
2月20日(土)宣教大会がありました。雨が降るのではないかと心配していましたが、雨にはならず、ひと安心でした。四組のスピーカーとも、それぞれに良いメッセージを届けてくれ、参加した人々にチャレンジを与えてくれました。
2月21日(日)日本語礼拝でも、宣教大会のメイン・スピーカーに話していただきました。彼女の働きも素晴らしいのですが、彼女がキリストの愛と福音をしっかりと受け止めていることに感動しました。福音を明確に語ってくれたことに、私自身がいちばん励まされたかもしれません。
2月22日(月)明日、近くの教会の牧師といっしょに食事をする予定だったのですが、「風邪をひき、まだ良くなっていないので、延期してもらいたい」と電話がありました。質問も準備して、楽しみにしていたのですが、残念でした。来月、良い日が巡ってくるよう、願っています。
2月23日(火)ブッククラブから "Introverts in the Church" と "Worshiping with the Church Fathers" が届きました。"Introverts in the Church" の著者は「長老派の教職、霊的ディレクターで Introvert(内向的な人)」と紹介されていました。アメリカでは、イエスは Extrovert(外向的な人)な人で、外向的な人が内向的な人よりも「霊的」で、そのような教会が「良い」教会であるかのように考えられていますが、この本は、そうした既成概念に一石を投じるものです。まだ最初の部分しか読んでいませんが、先を読むのが楽しみです。もう一つの "Worshiping with the Church Fathers" は「教父学」の入門書で、途中の必要な部分から読みはじめています。「教父」は、私にとって、かつては、歴史上のものでしかありませんでしたが、「教父」の霊性をプラクティスするようになってからは、私の霊的生活の一部になっています。
2月24日(水)祈り会で「レントの黙想」からの分かち合いをはじめました。私の書いたことを良く理解してくれている人、少しでもわかってくれるようになった人がいてうれしく思いました。
2月25日(木)あるオフィスで行われている祈り会に行きました。私は月に一度しか出られないうえ、先月は、牧師リトリートのために欠席しましたので、久しぶりの祈り会でしたが、神さまから素晴らしい約束のみことばをいただくことができ、幸いな時を過ごしました。
2月26日(金)夕べは夜、ずいぶん遅くなったため、きょうは疲れが残ってしまいましたが、なんとか、今週中にしなければならないことをやり終えることができました。仕事に追われる毎週ではなく、もっと余裕をもって奉仕をしたいと願っていますが、なかなかそういうわけにはいきません。
2月27日(土)午後から、教団の引退牧師のメモリアル・サービスがあり出かけました。家族の方のお話しから、家族が父親をとても誇りにしていたことが分かかり、家族から尊敬されていたこの方はとてもしあわせだったろうと思いました。ただ「サービス」(礼拝)よりも「メモリアル」(思い出)の要素が多く、私がいままで体験してきたメモリアル・サービスとは違っていて、少しとまどいました。
2月28日(日)きょうは、4月に行われる、この地域の「聖会」の打ち合わせのため、きのうと同じ教会に行きました。行く途中、CD を聞きながらで、それに気をとられてフリーウェーの出口を通り越してしましました。次の出口ははじめて降りるところだったのですが、なんとか検討をつけて、無事に教会に到着できました。
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