USA Diary

February, 2009

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2月1日(日)大統領就任式のときチェロ演奏がありましたが、放送に流れたものは、実は2日前に録音したものだったと、報道されました。本来室内で弾く楽器を野外、しかも、あの寒さの中でするので、前もって録音したものを流したというのですが、私には納得できないものが残りました。あの演奏は演奏会で音楽の技術を披露するためのものではなく、大統領就任を祝うものであり、式典の一部なのですから、たとえ音が狂うようなことがあっても、それはそれで良いのではないかと思いました。すべてが「仮想」的になっている現代、リアルなものが欲しいと強く思います。
2月2日(月)「仮想」の反対は「実在」です。聖餐の解釈をめぐってさまざまな神学的立場があり、カソリックの化体説、ルター派の共在説、カルヴァン派の霊的臨在説ではそれぞれに解釈が違いますが、これらはキリストの「実在」(Real Presence)が覚えられますが、バプテスト派の象徴説になると、「実在」よりも「仮想」の世界に近いような気がします。初代教会では聖餐に関しての厳密な定義はまだなかったようですが、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」というキリストの約束のことばが聖餐において確認され、Real Presence が覚えられていたように思います。
2月3日(火)今どきの礼拝では、プロジェクターを使ってのプレゼンテーションが盛んです。決して悪くはないのですが、聖書のことばまでもが、スクリーンに映るのを見るだけというのは、どうかと思います。やはり、自分で聖書を手にとり、そこから読むということが必要かと思います。そうでないと、教会の礼拝までもが、スクリーン上の仮想の世界で終わってしまうような気がします。ソロモンが神殿を奉献したとき、神の臨在がそこに満ちました。かつての聖会で「手で触れるほどの濃き臨在」などということばが良く使われましたが、今は、そのようなことばが聞かれなくなって久しくなりました。しかし、人のたましいは神の Real Presence を求めています。そのような求めに答えたい。そのような求めを持った人々とともに聖会を持ちたいと、いつも願っています。
2月4日(水)ミッション宣教の声の黒田禎一郎先生を迎えての祈り会を持ちました。それに先だって近くのレストランで夕食をしましたが、なかなか注文の品が出て来ず、祈り会の開始が少し遅れてしまいました。こういうときは、前もって注文しておくと良かったかもしれません。ケータリング(出前)だと、ちょっと手間がかかりますが、経費の節約にはなるかなと思いました。
2月5日(木)半日だけでしたが、黒田先生夫妻にサンホゼの町を案内しました。エジプト博物館のあとインテル博物館に行きました。何千年もの時代を一挙に飛びこえたような感覚を持たれたことでしょう。インテル博物館は以前行ったことがありましたが、エジプト博物館は始めてでしたので、私も楽しむことができました。
2月6日(金)教会のコピー機がネットワーク・プリンターとして使えるようになりました。今日、礼拝プログラムの印刷があったので、試してみました。一部のフォントが使えない他はとてもきれいに印刷できました。また、私のプリンターでは、11x17インチの大判の用紙に印刷できませんが、これならできるので、さっそく夏期修養会のポスターを印刷してみました。うまく行ったので、夏期修養会の責任者にチェックしてもらうため、郵送しました。ファイルを送ってもよいのかもしれませんが、コンピュータの画面だけでは実際の色合いなどわからないので、実物を送ることにしました。
2月7日(土)ある人が「公開質問」として何人かの牧師に質問メールを送ったのですが、それが私にも届きました。質問は「"イエス様が笑った"という記事がどこかにありませんでしょうか?」というものでした。それに対する私の答は次のようなものでした。
私のこどものころ、親は、こどもに「人に笑われないようにしていなさい。」としつけました。ところが、近年の「お笑いブーム」の影響でしょうか、「人を笑わせる」、「人に笑われる」ことが、なによりも大切なことになってしまいました。説教者も、神の奥義のときあかしよりも、「笑いをとる」工夫に力を注ぐようになりました。私にとって、それはとても悲しいことです。
イエスが決して笑わなかったということは考えられません。イエスはしばしば回心した人々と会食をなさり、その席で大笑いされることもあったでしょう。しかし、聖書には、「イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。」(ルカ10:21)ということばはあっても、「笑った」ということばはありません。イエスはあざ笑われることはあっても、ご自分が「笑った」ということは書かれていません。
これには意味があり、理由があると思います。イエスが「世の罪を取り除く神の子羊」だからです。聖書がイエスの笑いを記さなかったのは、イエスの苦難の奥義を示すためだったと思います。
メシア詩篇のひとつ詩篇2篇には「天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。」(4節)とあります。ご昇天のあと、父の右におられるイエスは、ご自分に反抗する者たちを見て、笑っておられるかもしれません。
2月8日(日)昨日は、四教会女性ランチョンと宣教大会、それにフリーメソジスト教会での男子会などがありました。それに参加した高齢の方々も元気で礼拝に見え、うれしく思いました。若い人たちのほうが、仕事に、生活に疲れているという感じでした。
2月9日(月)家内が病院で作ったのと別の眼鏡をもうひとつ欲しいというので、Lens Crafters に行きました。店員から「AAA か AAPR のカードがあればディスカウントがありますよ。」と言われて AAA カードを提出してディスカウントをもらいました。AARP というのは引退者の団体ですが、現役でも会費さえ払えばメンバーになれます。AAA の会費はどんどん高くなるのですが、AARP は安いので、こちらのメンバーになろうかと考えています。
2月10日(火)最近 Wesley Study Bible というのをいただきました。最近の Study Bible は図表やイラストレーションが豊富ですが、これは、ほとんど文字だけの落ち着いたレイアウトになっており、とても読みやすく気に入っています。表紙は人工革で、近年の動物保護にそったものです。手触りがとてもよく、長く使えそうです。
2月11日(水)レントが近づいています。今年は以前翻訳した「レントの黙想」をもう一度使うことにしていますが、翻訳や文章を直してもらったものがあるので、それにそって手直しをしています。「わかりやすく」と思って意訳したところが、かえってわかりにくかったり、意味を取り違えているところが多くあり、恥ずかしいかぎりです。最初に訳したとき推敲に時間をとれませんでした。今年も、あまり時間をかけることができず、十分こなれた訳になっているとは思えませんが、お許しいただきたいと思っています。不完全なものですが、霊的なメッセージは伝わるだろうことを信じて、用意しています。
2月12日(木)きょうの宣教委員会で ageism という言葉を聞きました。宣教大会に招きたいと提案された講師が高齢の方だったので、「もっと若い人のほうが…」という発言に対して使われました。これは「年齢差別」という意味で、おもに老齢者に対する差別に使います。他の文化では「老齢」は尊敬されますが、アメリカでは「若さ」が重んじられます。
2月13日(金)リンカーンの切手を買いました。リンカーンの政治家として生涯を四枚の切手に分けて描いてありました。「リンカーンはいちばん親しまれている大統領ですよね。」と言うと、郵便局員が「私の夫はルーズベルトが好きよ。」と言いましたが、彼女に「あなたは?」と聞きそびれてしまいました。
2月14日(土)今日はバレンタイン・デー。私が家内に花を買ってあげるようなことをしないのを知っているある人が、私のオフィスに来て、「これを、奥さんにあげてね。」ときれいな花を持ってきてくれました。さっそく持って帰りましたが、この花が私からでないことは、ちゃんと見抜かれていて、「誰からいただいたの?」と聞かれてしまいました。
2月15日(日)明日はプレジデント・デーで連休になるので、いくつかの家族が旅行に出ており、礼拝は少ない人数になるかと思っていたのですが、日本からの来客や、しばらく休んでいた人がもどってきたりとかで、結構、大勢になり、昼食も少し足りないくらいでした。今週一週間学校が休みになるので、水曜日の聖書クラスもお休みになりました。
2月16日(月)今日は、ある方に古いミッションに案内していただくはずだったのですが、雨のため延期になりました。かわりに夕食に呼んでいただき、楽しいときを過ごすことができました。
2月17日(火)明日は、朝の祈り会のあとクラスがないので、レントの黙想の製本をしてもらうことにしました。そのため、今日すべてを印刷しておく必要があり、すこし時間がかかりましたが、24ページ分印刷しました。これを二つ折りにして、48ページの本を作ります。毎週少しづつ印刷していれば良かったのですが、まとめてしたので、少々疲れました。
2月18日(水)祈り会では小預言書を読んでいます。ふだんはあまり読まれないところで、私もしばらく読んでいなかったのですが、数多くの励ましをことばを見つけることができ、良い学びの時を持っています。神殿再建について預言しているハガイ書に「あなたがたの現状をよく考えよ。」「きょうから後のことをよく考えよ。」ということばが繰り返されていることに心が留まりました。神は、私たちに、現状と、明日のことを考えることを求めておられる。信仰は、現実を直視し、そのうえで、明日に希望をつなぐ。そんなことを学びました。
2月19日(木)お昼休みに郵便局に行こうとして部屋を出たら、鍵を持っていないことに気付きました。私の部屋はすでにロックされていて、同僚の牧師に空けてもらおうとしましたが、外出中だったので、郵便局には歩いていくことにしました。ちょうど天気も良く、よい運動になりました。郵便局員が言うには5月に郵便料金が上がるとのこと。母の日の次の月曜日から通常郵便は25セントになるそうです。郵便局から帰ってきてしばらくしたら、同僚の牧師が帰ってきたので、私の部屋を開けてもらいました。
2月20日(金)きょうのゼロ会で、オバマ大統領の就任演説を聞いての感想を話し合いました。次の話題が決まるまでの「つなぎ」として行ったものです。きょうは、次の話題も決まり、ゼロ会も、一年の予定ができたようです。
2月21日(土)夕方散歩に出かけました。今日はひとりでしたので、いつもより早足で歩きました。途中で休憩したのですが、帰ってきたらすこし息切れをしてしまいました。二週間前にした血液検査の結果があまり良いものでなかったので、ドクターから薬をとる必要があると言われました。近いうちにドクターに予約をとらなければなりません。
2月22日(日)ちょっと熱っぽく、コールドソア(熱の吹き出し)が出てきました。それで、早く休むつもりでしたが、いつもの時間になってしまいました。身体の不調はストレスから来ているようです。もうすこしストレスの少ない環境が与えられるか、賢いストレス・マネージメントができればと願っています。
2月23日(月)このところ月曜日はずっと雨で、家内は、遠いところまで買い物に行きたくないというので、近くの店で買い物を済ませました。
2月24日(火)明日からレントがはじまります。東部の教会ではレントが守られますが、カリフォルニアではレントを守る教会はあまりありません。けれども、幾人かの牧師から私たちの教会で用意したレントの黙想を使っていただき感謝しています。
2月25日(水)夕の祈り会の賛美に使う CD を持っていったのですが、その CD がプレーヤーにかからず大変な思いをしました。CD は家でテストして持っていき、以前はうまくいったのですが、どこか悪かったのでしょう。でも、オリジナルの CD を持っていっていたので、なんとかそれで切り抜けました。次からは別の方法にしようと思いました。
2月26日(木)さまざまな印刷物の編集に時間を使ってしまいました。みなさん高価なソフトウェアを持っているのですが、その機能をすこしも使っておらず、ちょっと失礼な言い方ですが、センスのない文書を作って私に送ってきます。私は、印刷物に関してはわりと完全主義的なところがあり、つい編集したくなってしまうのです。
2月27日(金)私が夕方まで教会にいると、夕方の集会に来た人から「パスター、まだ教会にいるの? まるでここに住んでいるみたいね。」と言われました。ダビデは「主の宮に住みたい。」と言ったほど主なる神を愛しましたから、そう言われたことは、悪い気はしませんでした。
2月28日(土)ひさしぶりに近くの教会の土曜日の礼拝に行きました。礼拝が終わって、報告のとき、私の知っている人が、この教会の牧師に任命されたと聞きました。さっそく、その人にメールを入れましたが「3月11日まで不在です。」との返信が自動的に返ってきました。彼がこの教会に来てくれるのは、私にとってすごくうれしいことなので、今日は、キリストの福音とともに、もうひとつのグッド・ニュースを聞いたような気持ちになりました。
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