USA Diary

February, 2005

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2月1日(火)南カリフォルニアはさすがに暖かく、持っていったジャケットやセーターをあまり着る必要はありませんでした。午後は、散歩に出かける予定でしたが、先週づっと忙しい日を過ごし、疲れていたのでしょうか、私は、普段は昼寝をしないのですが、めずらしく、昼寝をしてしまいました。
2月2日(水)規則委員会の牧師たち5名で、リトリートでの昼食の代わりにピザを食べに行きました。そこで、委員会の話し合いをするためです。その後、委員のひとりがフラー神学校の知人に届けものがあると言って、神学校に立ち寄ったのですが、相手が見つからず、無駄足になりましたが、私には、食後の良い散歩になりました。
2月3日(木)リトリートからの帰りの道は、とても空いていて、なんと5時間でサンホゼまで帰ってきました。私はドライブしなかったので、とても楽をさせてもらいました。行きも帰りも、車の中では、もっぱらおしゃべりをしながらで、楽をしただけでなく、楽しい思いもすることができました。
2月4日(金)リトリートから持って帰ってきた書類をかばんいっぱいに詰めて教会に行きました。リトリートから持って帰ってきた宿題がたくさんあります。やっと少しは片づけた私のオフィスがまた狭くなります。
2月5日(土)今日は、午後からメモリアル・サービス。ずっと出かけていましたので、いろんな準備が遅れてしまいました。家内は「英語部は明日は牧師のメッセージはないのよ。中尾先生はどうやって説教の準備をするの?」と、英語部の牧師夫人に言われたそうですが、説教の準備に、今日は夜遅くまでかかってしまいました。
2月6日(日)先月すこし書きました「一太郎 for Linux」が届いて、早速使い始めました。Linux には、無料のワードプロセッサも、かな・漢字変換プログラムもあるのですが、送ってもらったかな・漢字変換プログラムは、さすがに辞書や変換機能が充実していて、スラスラと日本語の入力ができるようになりました。家内から詩集の編集をドッサリと頼まれましたが、このソフトウェアのおかげで仕事がはかどることでしょう。
2月7日(月)きょうは、コンピュータでの仕事が主でした。こういう仕事は、あまり健康的ではないので、ちょっと中断して、ひさしぶりに Costco に買い物に行きました。私のラインの女性のレジスターが、大きな声で "I'm hungry!" と言って交代を求めていました。私は、午後買い物に行ったのですが、彼女は昼食を食べる暇もなかったのでしょうか。それにしても、従業員が店内で、大声で "I'm hungry!" と叫ぶことができるのは、アメリカ、あるいはカリフォルニアだからだと思います。
2月8日(火)コンピュータに新しく入れた "ATOK for Linux" というかな・漢字変換プログラムはとてもすぐれたものですが、やはり、固有名詞や専門用語は、自力で登録してやらないと、一度には変換してくれません。他のプログラムで使っていたユーザ辞書から一括登録する方法を見つけましたので、より変換が楽になりました。家内の詩のタイプもひとまず終えることができました。
2月9日(水)今日から「レント」です。この期間、多くの人は、たばこをやめる、酒をやめる、肉を食べない、等々、「しない」ことを誓うのですが、私たちは、もっと積極的に、何かを「する」ことを誓うのだと、私も、昨年まではそう思っていました。しかし、今年は、何かを「しない」ことにも意味があるように思えるようになりました。神さまは「安息日」というものを定めましたが、これは、基本的には「何もしない」ことを意味しています。人間の努力をやめて神さまに頼るということを、私は、今、学びつつあります。
2月10日(木)今週は、金曜日の夜も土曜日も時間がとれないので、今日は日曜日のメッセージの準備を終わらせようとしましたが、他のことが入ってできませんでした。他のことが「雑用」で、いらないものとは思えませんが、もう少し、牧師本来の仕事に専念できればと思わないわけでもありません。
2月11日(金)教会で "40 Days of Prpose" というプログラムに取り組んでいます。明日はそのキックオフ集会です。このプログラムのテキストブック、"Purpose Driven Life" を書いたリック・ウォレン牧師が、ビリー・グラハムに続く伝道者として「タイム」誌に紹介されていたそうですが、私は、彼はあくまでも「牧師」であって、ビリー・グラハムのような「伝道者」ではないと思っています。「牧師」も「伝道者」も、人々の救いのために働きますが、「牧師」は、教会を建てあげ、救われた人々をその中で養い、導くという仕事があります。「伝道者」にくらべ「牧師」のほうがはるかに守備範囲が広いわけで、それだけに大変な仕事だと思っています。アメリカでは、牧師にはなっても、それを続ける人は半数に満ちません。「伝道とは続けることだ。」と言われますが、長年、忠実に牧師として仕えてきた人たちを、私は、ほんとうに尊敬します。
2月12日(土)それぞれが再婚同士のカップルのお祝いパーティに招かれ、行ってきました。パーティが始まる前に、皆さんが "Happy New Year!" と言っていたので、どうしてかなと思ったのですが、よく考えてみると、中国の新年のことだったのです。私が行った地域は中国からの人が多い地域だったのです。お祝いごとは、何度あってもいいので、二月の中国の新年も、九月のユダヤの新年もうれしいことですね。
2月13日(日)日本から、教会のウェブページに掲載されている私のメッセージを「聞くことができません。」というメールが届きました。今日も、メッセージファイルを作ってアップロードしましたが、このように、私のメッセージを聞こうとしてくださる方、聞いていていてくださる方があるのは励ましになります。ダイヤルアップでも大丈夫なように、音質を下げてあり、少し聞きにくいかもしれませんが、実際の私の声は、もう少し良いので、ご安心ください。
2月14日(月)教会で「目的の四十日」というプログラムをしています。土曜日のキックオフから始まり、昨日から、テキストブックを、一日一章づつ読み始めました。私は、テキストブックにそって、その日に取り上げられた聖書の箇所へのコメントを書いています。
2月15日(火)テレビ委員会に出るために雨の中、車を走らせましたが、とても道が混んでいて、少し遅刻してしまいました。話し合いの中では主に、番組のカメラワークのことが話題になりました。ふつう、こういうことはプロデューサ、あるいはディレクターに任せることなのですが、プロデューサやディレクターなしでやっているので、委員会の中でこんな話がでるのです。手作り番組ならではの議事でした。
2月16日(水)日曜日も、水曜日も「目的の四十日」からのディスカションをしているのですが、それぞれに進度が違うので、進んだり、戻ったりしながらやっています。七日分のディスカションを一回でやってしまうには、あまりにも時間が短いので、一回分を半分にわけてやっているので、こうなってしまったのです。途中、混乱するかもしれませんが、終わりは、一緒に終わるようになっていますので、なんとかなるでしょう。ディスカションには多数参加してくれ、うれしく思っています。
2月17日(木)定例の執事会、今日は全員出席というわけにはいきませんでしたが、良い話し合いができたと思います。「英語部より早く終わる」という目標は、達成しそうにもありませんが、前回よりも早く終わることができました。
2月18日(金)今日の「ゼロ会」では福沢諭吉の『福翁自伝』の紹介をしていただきました。いち早く、ヨーロッパやアメリカの社会制度を学び、それを日本に取り入れた人物で、ずばぬけた先進性を持っていたことを知りました。彼は、ヨーロッパやアメリカの科学技術にはあまり興味を示さなかったのは、日本人は、そうしたものは簡単に身に着け、追いつくことができると考えていたからでしう。福沢の予見どおり、日本人は、科学技術の点では、世界的に進歩しました。しかし、彼の時代から今にいたるまで、社会制度やそれをささえる教育の点では、日本は、かならずしも先進性を示しているとは言えない状態かもしれません。
2月19日(土)各州独自の図案の入った25セントコインが、州の成立年順に発行されていますが、今年はいよいよカリフォルニアのものが発行されます。図案は、ヨセミテのハーフドームと、空を飛ぶ鷲、そしてそこに立つ人ですが、この人は誰を表しているのでしょうか。最初のころは、この States Mint を集めていたのですが、最近のものはほとんど集めていません。50州残らず集められるでしょうか。
2月20日(日)教会の「女性の会」では、楽しいスモールグループの交わりがあったそうです。よく準備して良いものをしてくださったようですが、いろんな所用があったのでしょうか、残念ながら、参加者が少なかったようです。「ごちそうは少人数で食べるほうがよい。」とはいいますが、良いミーティングには、やはり大勢集まって欲しいですね。
2月21日(月)南カリフォルニアでは例年の三倍の雨がふり、各地で被害が起こっています。雨の多い地域からみれば、そんなに大雨でないように思われるのかもしれませんが、普段雨の少ない地域では、少しの雨でも被害が大きくなるのです。人間も同じで、普段、わがままに暮らしていると、ちょっとした苦しみだけで、パニック状態に陥ってしまうことでしょう。雨のようにふりかかる困難もじわっと吸い取るだけの力量がほしいなぁと思いました。
2月22日(火)昨日「○島さんから電話ですよ。」と家内から言われて話していたのですが、その後届いたEメールによると、電話の主は「○島さん」ではなく「△島さん」でした。とんだ間違いだったのですが、声も、話し方も似ていてわからなかったのです。何か失礼なことを言わなかったかと、後で心配になりました。電話を代わった時は、もう一度名前を確かめたほうがよいようですね。
2月23日(水)夜の祈り会で、教会のグループのことが話題になりました。ある人がいた教会では、奉仕のグループしかなく、そこで年代や性別をこえてのフェローシップが出来たそうです。私たちの教会では奉仕のグループの他に、さまざまなグループがあります。それぞれ、必要性があって出来、存在しているのですが、限られた時間の中では、年代や境遇を同じくするグループ以外の交わりにも参加することがなかなかできないでしまうのでしょう。年代ごとのまじわりと年代をこえたまじわりの両方をこなしていくのはなかなか難しいことだと思いました。
2月24日(木)サンタクララ教会から日本に帰られたNさんから電話をもらいました。いろんなトラブルがあったけれど、大丈夫になりましたと、報告してくれました。「突然の電話ですみません。」と言っていましたが、こういううれしい知らせは、「突然」でも何でも、歓迎します。
2月25日(金)ベイエリア地区で放送している「みえますか愛」という、日本語のクリスチャン番組のスピーカー、榊原 寛先生、邦子夫人を迎えての集まりをしました。テレビでアシスタントとして出演しているSさんが司会役で、いつもテレビで見るツーショットのようで、なごやかでで、それでいて有意義な時でした。この集まりに来たひとりの人が「今日、来て良かった。」と言っていたのを耳にし、なによりうれしく思いました。
2月26日(土)家内と娘に、女性州議会議員から、映画試写会の案内が届きました。近くの映画館を借り切って、家族問題に関する映画を見せ、政策のアッピールをするというものです。なかなかのアイデアだなぁと感心しました。そういえば、この映画館は、空いている部屋を一般に貸し出しています。映画を使ってのプレゼンテーション集会には、もってこいですね。教会のすぐ近くにあるので、教会で借りてみるのもいいかもしれませんが、けれども、どれぐらい経費がかかるのでしょうね。
2月27日(日)ある人のメールに、「聖書の基本的な知識に乏しい人が多く、そうした人々に学びの場を提供したい。」といった意味のことばがありました。ふりかって見ると、私が牧師になったばかりの頃、私の心の中にあった情熱も同じようなものでした。このごろは、「こんなに丁寧に教えているのに、なんで、みんな分かってくれないんだろう。」というつぶやきが多くなったような気がします。もう一度、あの情熱を取り戻して、人々の聖書の学びに役立ちたいと、祈りました。
2月28日(月)今日のムービータイムも「水戸黄門」でした。ビデオテープでなく、DVD を借りてきました。DVD のほうが画像はきれいですが、この DVD はテレビからコマーシャルを省いて録画したもので、場面ごとの頭出しなどの機能はついていません。早送りや巻き戻しなど、テープとは勝手が違いますので、娘に使い方を教えてもらっています。
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