USA Diary

February, 2004

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2月1日(日)きょうはなんとなく慌ただしい日曜日でした。いつも戸締りを見てくださる方が、用があって早く教会を出られたので、私が最後に教会を出るようになりました。あちらこちらの戸締りを確かめたはずでしたが、別館の戸締りができていませんでした。幸い、私たちが帰ってから来た方がそれに気づいて戸締りをしてくださいましたが、私も、もうちょっとしっかりしないといけませんね。
2月2日(月)家内の買いものにつきあって、新しく拡張したショッピング・モールに行ってみました。家内が買いものをしているあいだモールの中をひとまわりしてきました。新しく映画館が出来、そこはとてもきれいだそうですが、私にはそんなに魅力的な店はありませんでした。しかし、すこし広くなったので、雨の日には散歩するのに良さそうです。もと、映画のセットがあった跡地につくられたグレート・モールは、通路が1マイルあるそうで、運動のためにそこを歩く人も多いと聞きました。
2月3日(火)近所の方から、「提案Gに賛成してください。」というフライヤーをいただきました。今、カリフォルニアでは教育予算が削られており、このままだと地域の小さな学校がなくなる可能性があります。提案Gは、コミュニティーが学校の維持のためにお金を出すという提案です。一ヶ月後のカリフォルニア予備選挙の時に投票することになっています。
2月4日(水)今日の聖書クラス、私は初心者のクラスに引張り出され、みなさんの質問に答える時間を持ちました。たくさん質問が出て、ずいぶん時間が超過しました。このクラスにお茶の用意があり、いつもは、別のクラスの人も、クラスの後、お茶に加わるのですが、私が遅くまで話していたために、他の人たちがお茶を飲めませんでした。申し訳けないことをしました。来週中級クラスに出たら、みんなから叱られるかもしれませんね。
2月5日(木)ここ二週間、礼拝にゲスト・スピーカーを迎えましたので、礼拝メッセージの準備にちょっとエンジンがかからなくなりました。さいわい今日は集会のない日だったので、一日を礼拝メッセージの準備にあてることができました。ここ当分はゲスト・スピーカーの予定はありませんので、ここで調子を取り戻しておかないといけません。
2月6日(金)英語会話教室で「ヴァレンタイン」のお話をしました。礼拝プログラムの印刷もしましたが、カバーが結婚式のプログラムのような写真でした。次週はヴァレンタイン礼拝、しかも説教が「キリストの花嫁」なので、ちょうど良いなと思いました。
2月7日(土)Aさんのメモリアル・サービスがありました。思えば、彼女に最後に在ったのは昨年の11月でした。彼女は看護婦さんでしたので、ちょうどご病気の方から連絡が入り、彼女に電話を取り次いだのを覚えています。その時、彼女自身もキモセラピーを受けていたのですが、朝早い礼拝を守り、その後、ご病気の方のお世話にかけつけてくださったのでした。彼女のそうした親切を慕って、多くの方々がサービスに出席してくださいました。
2月8日(日)午後四時から、「ファミリー賛美コンサート」をしました。英語部の方々をお誘いしましたら「ミュージシャンは誰?」と聞かれましたので、「私たちみんなです。」と答えました。ゲストをお招きせず、すべて教会の家族内の「ミュージシャン」だけで行いました。初めてのこころみだったので、心配していたのですが、「またやりたいね。」という声を聞くことができてうれしく思いました。
2月9日(月)ひさしぶりに家族そろってデナーに出かけました。その前に日本の本屋さんに寄ったのですが、昨年の売れ残りの雑誌が1冊1ドルで処分されていました。何冊か買おうとしたのですが、家内が本を探している間に読んでしまったので、結局買わずに終わりました。私のようなお客さんには、お店の人も困るでしょうね。でも、家や娘がたくさん買いましたから、かんべんしてくれるでしょう。
2月10日(火)毎週火曜日は、三人の牧師たちが祈りあう日です。同じ心で教会のために祈り合うことができるのは素晴しいことです。教会全体の一致は、牧師たちの一致にかかっていると思いますが、そのことをいつも念頭においてくださる同労者に感謝しています。
2月11日(水)水曜日の聖書研究のメンバーからチョコレートをいただきました。ひとりの姉妹がことあるごとに、メンバーのためのお見舞いや励ましのカードなど、よく準備してくださり、私たちにも心づかいをしてくださいます。本人は「私はボケッとしているから…」とおっしゃいますが、なかなか良く気のつく方です。
2月12日(木)宣教委員会でも、手作りのお菓子が出ました。たくさんあったので、もらって帰りました。バレンタインに甘いものが出るのは、"Be sweet." という意味なのです。
2月13日(金)明日はバレンタインデー。日本と同じでスーパー・マーケットにはチョコレートがわんさと置いてありますが、そんなに高級なものは無く、可愛いいものが多くあって、主に子ども用です。大人は花束を贈りますので、路上のあちこちに花束を売るテントが立っています。
2月14日(土)癌のため闘病生活をしていた二世の方が昨日亡くなられたということを聞きました。先週土曜日に別の方のメモリアル・サービスがあったばかりでした。こちらの二世の方々は比較的若いのですが、それでも、ひとり、ふたりと天に帰って行かれるののは、さみしいかぎりです。
2月15日(日)今日は沖縄県人会があって、何人かの人がそちらに行ったため、礼拝はすこし人数が少なかったのですが、それでも、礼拝後の愛餐会やその後の女性の会や男性の会には大勢あつまりました。女性の会では骨を強くするための運動や食べ物について、クリスチャンのカイロプラクターからお話を聞きました。一番手軽にできるのは散歩ということで、教会からかえってからさっそく、家内とふたりで散歩にでかけました。
2月16日(月)明日、私たちの教会の最初の英語部の牧師が喉頭癌の手術を受けます。それで、24時間の連鎖祈祷が行われました。私たちもサインアップした時間にお祈りをしました。神さまが、みんなが心を合わせて祈る祈りに、答えてくださることを、私たちは信じています。
2月17日(火)私たちの教会のメンバーの息子さんが下院議員をしていますが、その奥さまが癌でなくなられました。彼女も、以前私たちの教会に来て、教会のお掃除のお手伝いなどしてくださっていたそうです。彼女のお母様も、私たちの教会のメンバーです。そんなわけで、メモリアル・サービスを私たちの教会ですることになり、今、その対応に追われています。
2月18日(水)今回のメモリアル・サービスでは、別の教会の牧師が司式をし、私たちの教会の英語部の牧師は、開会の祈りをささげるだけということになりましたが、実際のコーディネーティングは、やはり会場教会の牧師がしなければならず、彼は、見ていて気の毒なほど、いろんなことで走りまわっていました。日本語部の私たちが夜の祈り会に来た時、彼はまだおり、祈り会が終わって私たちが帰る時にもまだ働いていました。ほんとうにご苦労さまです。
2月19日(木)この土曜日は下院議員の奥さまのメモリアル・サービスがあるというので、消防署の職員が何度も教会の安全のチェックに来ました。非常口のライトが切れているのを直したりとか、対応におおわらわでした。
2月20日(金)シリコンバレーで働く者たちが、月に一回、ランチを共にして意見交換をする「ゼロ会」が、今月も、レギュラーメンバーがそろって行われました。新しい方も参加してくださり、楽しい集会でした。そのあとすぐ、別の家庭集会でした。ここでも楽しく聖書を学ぶことができました。
2月21日(土)今日は、下院議員の奥さまのメモリアル・サービスでした。千二百人の人々が来られました。サンデースクールの各教室や別館にもテレビを入れ、駐車場には大テントを張りました。最大収容人員三百人の教会にその四倍の人々がよくも混乱無く入れたものだと、神さまの守りを感謝しました。
2月22日(日)今日、家庭でとれたレモンをたくさんいただきました。家内が風邪をひいたので、さっそくレモンをしぼってレモン湯を作りました。カリフォルニアは、年中レモンが手にはいるのがいいですね。
2月23日(月)家内が風邪のため、ほとんど声が出なくなりました。そんな時、オレゴンの友人から電話がありましたが、十分には話せなかったようで、
2月24日(火)教会に大きなトラックが来ました。来週の投票に使うコンピュータ式の投票機を持ってきたのです。今度の選挙から、新しい投票機が使われるのですが、新しいものが導入される時は、いつも混乱があるのですが、混乱がないようにと願います。それにしても、早々と機械が届いたものですね。もうすこし間際のほうが、預るほうとしては、ちょっと困ります。
2月25日(水)今日から、The Passion of the Christ の上映がはじまりました。試写を見た人は「良かった」と言っていましたが、この映画が、キリストの十字架の意味を明らかにしてくれることを願っています。
2月26日(木)昨日からすごい嵐です。風も強く、停電しないかと心配しましたが、どうやら大丈夫なようでした。雨や風は強かったのですが、そんなに気温はさがりませんでした。春の嵐といった感じでした。
2月27日(金)教会からの帰りぎわ、英語部の牧師とサンフランシスコでのホモセックスの結婚のことが話題になりました。いったいアメリカはどこに行くのだろうと心配しました。教会からの帰り、空は暗かったのですが、きれいな虹が二重に見えました。虹は希望のシンボルです。アメリカの将来にも希望があるのでしょうか。
2月28日(土)春の嵐が過ぎて、今日は良いお天気でした。教会の帰りに床屋さんに寄りました。アメリカの床屋さんでは、髪を切ってもらう時、日本のように、鏡のほうに向かってすわりません。鏡を後ろにして座るのです。ですから、時々、なんのためにあんなに大きな鏡があるんだろうと不思議に思います。切った髪が、首筋についていたりすると、日本ではブラシでていねいにとってくれますが、こちらでは、ドライヤでけちらかします。この店では電気掃除機で吸い取ります。床に落ちた髪の毛は、いちいち掃除しませんので、他の人の髪の毛を踏んで椅子に座ります。こんなところにも日米の差があります。
2月29日(日)今日は二月の第五の日曜日でした。二月に五回日曜日があるというのはめずらしいことです。そうなるためには、2月1日が日曜日でなければならないのですが、次のうるう年で、2月1日が日曜日になるのは、あと、何年後なのでしょうね。ところで、今日礼拝後、サンディエゴ教会の英語部のメンバーがふたり英語部の礼拝に来ていて、私たち家族にも会いにきてくれました。連れてきてくださった方も、もとサンディエゴにいた方なので、なんだかサンディエゴ教会にいるような錯覚を感じました。
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